部署や課ごとに壁ができ、風通しが悪くなる「サイロ化」という現象は、日本企業では特に顕著な傾向だ。このサイロ化した日本の企業ではメールが「情報共有」のツールとして使われている。エンタープライズ向けSNSなど新しいタイプのコミュニケーションツールがもてはやされている昨今だが、日本のビジネスはメール・メーリングリストから脱却できたのだろうか?
サイロ化する組織に巣くう
メールによる情報共有
企業に限らず、官公庁や教育機関、病院など、組織が大きくなると、自ずと部署や課ごとに独自のルールができ、情報共有の壁が構築される。過去に私が取材したケースでは、大学や病院はその傾向が顕著で、情報システムにもこのサイロ化が波及する。ある病院では、新棟と旧棟で情報システム部のような部署がそれぞれ存在し、出入りする業者も、システムも、機材もすべて異なっていた。大学も通常は、校内インフラを束ねる組織と、計算機リソースを管理する組織が異なり、しかも教授のような研究室が大きな権限を持っている。ある教授は、「大学は中小企業の集まりみたいなもの」と語っていたが、まさにルールも、予算も、ポリシーも異なる組織が緩やかに連合している状態だ。
こうした組織同士がいかに情報共有を行なっているのか? グループウェアでもなく、SharePointでもなく、ましてSNSでもない。ほぼ間違いなくメールやメーリングリストだ。「●●氏と打ち合わせ」と書くだけで意図が邪推されてしまったり、閲覧やチェックの有無が残るグループウェアでは、「組織外」に情報を晒しすぎる。一方、必要な情報を関係者だけに伝送し、読んだかどうかを確認できず、情報共有した「アリバイ」だけを残せるメールは、日本の組織においてきわめて都合がよいというわけだ。「件名」を活用することで、グループウェアや掲示板に登録するようなこともまでメーリングリストに流しつつ、場合によっては、「送りましたよね」という履歴を確保しつつ、メーリングリストの本数を増やすことで関係者を思考停止に陥らせ、議題を決定事項としてしまう高度なテクニックもある。
日本企業においてメールが止めてはいけないミッションクリティカルシステムとして分類されているのは、メッセージの伝達ではなく、情報共有のツールとして重要な地位を占めているからだ。自分も含め、1990年代後半に入社し、初めてインターネットに触れたユーザーは、電子メールの利便性に大きなインパクトを受けた世代だ。たった1つのメールアドレスさえあれば、事実上無料でテキストをやりとりできる。しかもFAXを使わずに写真やイラストを送ることもでき、しかも同時に複数人に送信することが可能である。こうしたメリットの恩恵が大きすぎたため、あらゆるものをメールで済まそうとしているのではないだろうか? そして、その過程でメッセージの伝達ツールから情報共有のツールとして利用しようという試みがスタートし、情報共有ツールとしての弱点を上記のような運用面でカバーしてきたわけだ。
日本流グループウェアを再構築すべき時期
もちろん、こうしたメール・メーリングリストの弊害に気がついているユーザーは多い。日本でも多くのベンダーがメールによる情報共有を変革しようとしているし、ノーメールスタイルを主張するサイボウズのようなところもある。しかし、いったんメールによる情報共有が文化として根付くと、抜け出すのはきわめて困難である。メールは組織内のみならず、組織外の情報伝達ツールとして必須となっているからだ。また、年配の方に新たなツールの操作を覚えてもらうのは敷居が高い。せっかくメールを使えるようになったのに、さらにグループウェアやSNSを覚えるのか、という話になるのがオチだ。「このツールを導入すれば、ビジネスが変わる」といったアピールには、どうしても違和感がある。
そろそろ答えはわかったと思うが、要はツールを変えてもビジネスは刷新されないということだ。ツールはコミュニケーションを促進する手段であり、複数のツールを使いこなすオフィスワーカーは必ずしも多くない。その意味では、新しい情報共有ツールを導入する際には、経営者に地道にその重要さを説き続け、トップダウンで導入を進めるか、メールを上回る強力なメリットを提供するツール(しかもメールのユーザーでも違和感なく使える)をエンドユーザーに体験してもらい、ボトムアップで導入を強いる方法しかない。
個人的に期待しているのは、もちろん後者だ。この10年でクラウドは普及し、モバイルのデバイスや通信環境も大幅に向上した。多くのWebサービスやビッグデータと連携し、自社だけでは実現できなかったリッチな機能を実現できる。一方で、多くのコミュニケーションツールは、LAN環境からPCで利用するのを前提としており、前述のようにメール主体の企業文化は大きく変わっていない。実際、ユーザーインターフェイスを単にコンパクトにしただけだったり、社内システムを社外に展開しただけのような製品も多い。今後、日本のソフトウェアベンダーは、この10年で得たノウハウや失敗例を糧に、改めて日本流のグループウェアに取り組む必要があるのではないだろうか? こうして作ったグループウェアは、グローバルとは異なる日本のビジネススタイルのメリット・デメリットをきちんと浮き上がらせてくれるに違いない。

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