パソコン登場という転機に立ち会う
1979年に日本AMDを去って半年後に今度はインテルジャパンに誘われ、営業本部長に就く。当時はかの有名な、世界初のマイクロプロセッサ(中央演算装置)誕生の頃で、8086を世界の標準のプロセッサーにしてゆくというインテル全社の戦略にしたがって、熾烈な市場競争を展開していた時期であった。
古田 IBMのパソコンに搭載し、インテルのマイクロプロセッサ標準化に成功して、爆発的成長を遂げた。そうすると、もうすることがなくなったという気持ちになって、その後、ウエスタン・デジタル(以下、WD)に移ったんですよね。
ちなみに、インテルはこの成功によりFortune 500の仲間入りを果たした。またウエスタン・デジタルは現在HDDの専業メーカーだが、1980年代までは通信用ICやHDDのコントローラなどで知られていた。そこで氏は日本法人の社長兼会長に就いた。「ゼロから起こすスタートアップは最もエキサイトできる。好きですね」と古田氏は笑う。
だが50歳になると突然トップの座を降りた。アメリカの考え方がインテル時代から持っていた自身の考え方と違うことに気づいたからと言う。
古田 「信仰第一で生きる道を選びました。退社するので、本社から人を呼んで交代します」と200人ほどの方に言ったんです。
桜子 みなさん驚いたでしょうね。
古田 もったいないって。色々なお客様から反響があって、今まで業績を残してきたのに、とか。
桜子 50歳というとまだ現役バリバリ……。
古田 うん。ただねえ、人生50年と昔から言われているように、50まで神様に守られて好きなことをやってきて一区切りつけてもいいかなと。日本の会社のトップとはいえ、海外から見れば支社や出張所のヘッドでしかなかったし、今までのものを全部整理してあとは神様宜しく、という形で始めた。そしたらその半年後に、ミツミ電機からアメリカに開発子会社を作るので手伝ってほしいと言われたんですよ。
それだけの業績を治めた古田氏なら引く手も数多であったとは思うが、退社時に将来への不安はなかったのか。
古田 聖書の列王記に、“預言者エリヤが神様から言われて砂漠の真ん中に引き篭らざるをえなくなった”という記述があって、“神様がカラスを使って肉とパンを運ばせた”という話がある。神様に従って生きる者には神様が与えてくれるというエリヤの話から、私たちにも必ず神様がパンと肉を備えてくださる、という確信は確かにありました。問題はそれがいつ来るか。
結果、半年後にミツミ電機の仕事が来て、ロスと日本の往復が3年続いた。開発子会社は、無事に動き始め、そろそろ手放そうと思った矢先、空港で思いがけない出会いが待っていた。
古田 昔のトップ仲間連中とバッタリ会って、「なんでお前ここにいるんだ?」と。彼らはQlogic(ストレージ用コントローラーのメーカー)に移っていて、「ああ、だったら今度、俺たちの日本のビジネスを手伝ってくれ」と言われたんですね。
単身で細々と仕事をするつもりが、起業せざるを得ない状況になった。自分は神様のしもべだから、servants(=しもべ)。1990年にサーヴァンツ・インターナショナルが誕生した背景だ。
古田 会社は順調に伸びていき、やがてIBMに勤めていた長男やソフト会社にいた次男が会社を手伝うよと言ってくれて。
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