ゲスト●(株)ディヴィデュアル 遠藤拓己氏、山本興一氏
テキストから抜け落ちるモノ
日常生活でどれだけ手書きで文字を書く機会があるだろう?
筆者はもっぱら、Macのキーボードをたたいて書く。そうして完成した原稿という文字の大群を、電子メールで送信したり、ブログに掲載したりする。つまり考えをキーボード経由でデジタルデータ化して利用している。
ただし、コンセプトなどを考えるときや日ごろのメモ書きは、ノートに手書きというスタイルが多い。自由度の高いノートとペンという書くツールは、定型に沿って入力するデジタルな記録とは異なる感触がある。
'08年4月に(株)ディヴィデュアルを共同設立した遠藤拓己氏によると、受け取ったメッセージの通りにキーボードがタイピングの動きを再現したら──この発想がキーボードタイピングを記録し、再生するエディターソフト「TypeTrace」のベースになったという。
──ソフトを作って実際に試してみて、タイピングという動作に、ある芳醇な何かが含まれていることに気づいた(遠藤氏)。
また、それだけでなく「TypeTrace」には、フリーのアーティストとして活動していたときの、デジタル上のコミュニケーションに対するひとつの思いも影響しているようだ。
──ヨーロッパに住んでいた当時、日本をはじめ世界各国に散らばる友人たちと、もっと深い息づかいのあるやり取りがしたかった(遠藤氏)。
より具体的に考えてみると、肉筆の手紙は、筆圧や行間の取り方、ペン色の選択、文字の勢い、文字のクセ、といったように、さまざまな情報が埋め込まれている。手書きの年賀状が一層うれしいのは、こういう息づかいを含んでいるからにほかならない。
一方、キーボードから入力された文章は平坦にならされてしまい、手書きのそれにあるような「個人の特徴」は、見つけにくくなる。また、文章を書く過程も決して残ることがなく、受け取る人が書き手の痕跡をつかむことは難しい。文章を作る過程がブラックボックス化して、そこにあるはずの「芳醇な何か」を見つけられなくなってしまう。
しかし、それでも現代の若者は、携帯メールの独特な文字遣いや絵文字の使い方に個性を見いだしたり、電子メールの改行のペースで文章に特徴を持たせたりと、絶えず工夫をしている。このように、デジタルのテキストが全盛になった現代でも、手書きの文章で表出していた息づかいのようなものに代わる方法を試行錯誤して、その思いを伝えようとしている姿があることは見落としてはならない。
(次ページに続く)
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