インターフェースの美学
Macを好きな理由はたくさんあるが、そのいちばんはインターフェースデザインの「美学」にある。「使いやすさ」をMacが好きな理由にする人も多いだろう。しかし私は、その使いやすいインターフェースの裏側にある「美学」に深く共鳴するため、あえて「美」という理由を挙げたいのだ。
美しいものは気持ちがいい。そして、全体を貫くインターフェースの一貫性こそが、Macの美の源泉だと考える。一方で、醜いインターフェースを持ったコンピューターには触れたくもない。だからLisaのあとは、Macひと筋の人生を送ってきた。
アップルが迎えたいくつかの経営危機や、私が働いていた組織の多数決論理で醜いダークサイドに引き込まれそうになったことも一度や二度ではない。しかしそういった危機を乗り越えて、Macに対して操を守り続けたことを誇りに思っている。一貫性は美だ。その美を追究するアップルに未来を感じ続けてきた。そして、その思いはOS 9からOS Xに変わり、ますます磨きがかかっている。
マイナーであることの魅惑
もうひとつ、私がMacを好きな理由にそのスタートから現在に至るまで、パソコン市場で一貫して「マイナー」な存在だからというものもある。米インテル社のCPUへの移行がOS 9の登場した初期に実現していれば、世界は大きく変わっていただろう。しかし、それは起きなかった。市場では決してメインストリームになかったMacがルック・アンド・フィールを他社にコピーされても、そのコピーは表面だけに過ぎず、「Macの魂=美学」までは到達できていない。そこにある種、Macが抱く孤高の美を感じるのだ。
音楽のたとえでいうと、昔、荒井由美がひっそりと活動していたころ、まだ広く知られてはいなかった彼女のファンであることにひそかな喜びと誇りを感じていた。その後、彼女が音楽チャートを席巻して松任谷由実となり、すっかりメジャーになってからはある種の距離と寂しさを禁じ得なかった。それは、もはや自分だけの彼女ではないという寂しさであったと思う。
Macは未だマイナーである。そのことが、私のMacへの思いをより強くしてくれる。世界の大部分がダークサイドにあるのに、自分はMacとともに光の中を歩けることを幸せに思う。
(MacPeople 2006年9月号より転載)
筆者紹介─石井裕
米マサチューセッツ工科大学メディア・ラボ教授。人とデジタル情報、物理環境のシームレスなインターフェースを探求する「Tangible Media Group」を設立・指導するとともに、学内最大のコンソーシアム「Things That Think」の共同ディレクターを務める。'01年には日本人として初めてメディア・ラボの「テニュア」を取得。'06年「CHI Academy」選出。「人生の9割が詰まった」というPowerBook G4を片手に、世界中をエネルギッシュに飛び回る。
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