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石井裕の“デジタルの感触” 第14回

石井裕の“デジタルの感触”

アイデア表現のメディアとしてのタンジブル

2007年10月21日 05時19分更新

文● 石井裕(MITメディア・ラボ教授)

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デジタル・シミュレーションの困難


 前回は「思考の道具としてのコンピューター」というテーマで、コンピューターを我々の補助脳として利用する、デジタル・シミュレーション技法について紹介した(参考記事)。

 複雑な現実世界の現象を観察し、その現象を引き起こすメカニズムをコンピューターで実行可能なモデルとして表現するのが、デジタル・シミュレーションの第一歩である。しかし、例えば離散系シミュレーションのための「GPSS」のように、モデルの表現には人工的なコンピューター言語を使わなければならない。すなわち、我々人間が日常的に使用する言語とはかなり異なった人工言語の学習が前提となるのだ。もたらす成果が大きいとはいえ、人間の創造的な思考を支援するという観点からは、その習得のための負荷を当然のものとして引き受けることはできない。

 そのため今回は、コンピューターの発明以前から人類がアイデアの表現手段として慣れ親しんできた物理的なアナログ・メディアに、デジタルの機能を織り込んだ「Tangible Media」(タンジブル・メディア)の役割について論じたい。


デザインの上流工程で求められるスピードと自由度


 数年前、私は現代建築の巨匠として話題を作り続けるフランク・O・ゲーリー氏のスタジオを訪れる機会に恵まれた。最先端のデジタル・デザインを駆使する彼のスタジオで見たものは、個々のプロジェクトで彼のアイデアの進化を雄弁に語る、数々の粗削りな物理的概念モデルであった。特に、デザインの上流工程に位置付けられる、抽象的かつダイナミックな物理モデル群が目を引いた。

 彼は、3次元構造のアイデアを練るときに、コンピューターではなく直接手に触れられる物理的な「モノ」を巧みに組み合わせて利用する。それは木のブロックであったり、折り曲げたカードボードであったり、湾曲させた金属の板であったり、机の上の双眼鏡のようにたまたま見つけたモノであったり、さまざまだ。

 彼の手にかかるとそれらの素材がタンジブルな表現メディアとなり、彼の思考スピードとリズムに合わせてアイデアの可視化と可触化を促進する。さらにそれが同僚との議論を助け、その場でモデルを変更することによって、アイデアのスピーディーな発展を支援する。現在のGUIをベースとしたデジタル技術では決して太刀打ちできないスピードと滑らかさで、物理的なアナログ・メディアは彼の思考の外化とコラボレーションを支援するのだ。

 もちろん、彼はスケッチも多用する。紙とペンは、最も基本的なデザインのための表現ツールである。最初のステージ(上流工程)では2次元の紙にアイデアを高速に描き出し、そしてそれらのアイデアを3次元化・可触化する。そのためにも、ラフな物理モデルを素早く作り上げることが重要になるのだ。そこでは正確さよりも、表現のスピードと自由度が優先される。それがデザインの上流工程において、アイデアを表現するためのメディア(素材)に求められる基本要件である。


(次ページに続く)

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