『声の網』角川文庫
2019年6月、日本IT団体連盟(IT連)が初めて、2社を「情報銀行」として認定した。個人データを集め、保管し、個人の同意のもとで流通させる仕組みが本格的に動き出したといえる。
7月8日には、三井住友信託銀行株式会社とフェリカポケットマーケティングに対して、認定証を授与する式典が開かれた。
来賓として授与式であいさつした、総務省の秋本芳徳・総括審議官は、こう切り出した。
「いまから50年前に、情報銀行のコンセプトを小説にした作家がいるそうであります」
総務省で情報・通信を担当する審議官が紹介したのは、『声の網』という作品だ。生涯を通じて、1000編を超える小説を発表したことで知られる、星新一が1970年に発表した。
●スマートスピーカーも予見?
物語の舞台は、メロン・マンションという名の12階建ての集合住宅だ。各階の住人が登場する短編で構成されている。
この世界で、重要な役割を占めているのは、電話とコンピュータだ。
1階にある民芸品店の主人は、来店客に商品の詳しい説明をする際に電話を使う。
民芸品を輸入する業者の組合に電話をかけ、商品の番号を入力すると、商品説明の音声が自動的に流れる。
現代を生きる人々が、スマホでグーグル検索をする行為とよく似ている。アマゾンやグーグルのスマートスピーカーに話しかける行為も頭に浮かぶ。
電話を通じて、好きな曲の名前を言うと、スピーカーから音楽が流れてくるサービスもある。
体調が悪いときは、電話回線で体温や脈拍を医療機関に送って診断をしてもらう。
人には言えない秘密を、電話で聞いてもらうサービスもある。こうしたサービスを通じて得た個人の情報を漏らす行為は、この世界の法律で禁じられている。
●情報銀行がプライバシーを握っている
ある日、民芸品店に電話がかかってきて、低い男の「声」が告げる。「お知らせする。まもなく、そちらの店に強盗が入る…」
店には、実際に、刃物を持った若い男が押し入るのだが、それとほぼ同時に警察が現着する。
登場人物たちは、自分がだれかに見られているような、だれかが自分の秘密やプライバシーを握っているような、そんな感覚になる。
マンションの4階に住んでいるのは、人々の情報を預かるサービスを行っている企業の支店長だ。支店長が勤務している企業の名前は、「ジュピター情報銀行」という。
星新一は名称まで予見していたのか、と思ってしまうが、中身はすこし違う。
利用者は、ジュピター情報銀行に電話をかけて、記憶しておきたい事柄を話す。家族の誕生日や、子どもとの約束を、電話でリマインドしてくれたりもする。
制度が動き出した現実の情報銀行とは異なり、クラウド上にメモやタスクを記録するアプリを思わせる。
現実の世界で動き出した情報銀行のサービスは、もう少し先を行っている。
たとえば、飲食店での食事、スーパーでの買い物、ウォーキングなどの運動の記録などの情報を、アプリを通じて情報銀行に提供する。
情報銀行は、提供者の同意を得て、こうしたデータを求めている企業に個人が特定できない形で提供する。その対価として、提供者は買い物に使えるポイントがもらえる、といった仕組みだ。
さまざまな分野の企業が参入の準備をしているため、今後、多様なサービスが登場してきそうだ。
『声の網』を読み進めると星は半世紀先の世界を見通していたのか、と思わされる記述に何度も出会う。
物語の最終盤、登場人物の1人が、電話の「応答サービス」こんな質問をする。
「神は本当にあるのでしょうか」
電話の向こうの「声」がどう答えたかは、ここで控えることにする。
●SNSに情報があふれる状況も
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