SHOWROOM代表の前田です。ニコニコ超会議2018で、「誰がテレビを殺すのか、あるいは誰も殺せないのか。」というテーマでパネルトークをしました。
テレビを殺す、というのはなかなかに刺激的な表現ですが、まさに「テレビを殺す」側のトークを期待される人材として、AbemaTVを運営するサイバーエージェント藤田さん、そしてSHOWROOM前田が呼ばれました。
逆の立場からは、テレビの生き残り可能性を示唆する役割として、テレビ東京・佐久間プロデューサーと、元フジテレビで現BuzzFeed Japan動画統括部長・福原さんがステージに上がりました。それぞれの立場・見地からの多様な議論が飛び交う中で、いくつか考えたことがあります。
中でも、生き残る動画とはどんなものか、という観点で、三つの考え方を紹介したいと思います。
1:生き残る「動画」ビジネスには、A型(クオリティー型・レストラン型)とB型(インタラクション型・スナック型)の二種類ある
2:A型で成功するには、制作費原資の量と出どころが重要である
3:A型・B型に関わらず、「ヒト(及びキャラクター)」がメディアの生死を分ける
テレビ vs ネットの議論はクオリティーの定義がないと成り立たない
第一に「動画」の未来を二つに分けて考える必要がありそうだ、という観点を持ちました。生き残る「動画」ビジネスには、クオリティー型(便宜上A型と呼びます)とインタラクション型(B型と呼びます)の二種類が存在するということです。
「誰がテレビを殺すのか」というテーマで話すことは思いのほか多いのですが、この議論はとかく、A型の「クオリティー」論に終始しがちです。
例えば、テレビとAbemaTVの比較。放送同様のハイクオリティーコンテンツを通信側で実現しているAbemaTVはテレビにとって脅威なのか? あるいは、別のデバイスを主戦場としているゆえそこまで意識しなくてもよいのか。
別の例だとテレビとNetflixとの比較です。今やNetflixの方がテレビ以上に制作原資を使っているため、より“クオリティー”の高いコンテンツを生み出し得るのか、あるいはテレビが培ってきた制作力を活かせば、低予算でもハイクオリティーコンテンツは生み出していけるのか。
こうした議論は、おそらくメディア関係者の中では日常的に議論されているテーマでもあるでしょう。ここで重要なのは、「クオリティー」の正体・本質・定義をきちんと言語化することだと考えます。
結論を述べると、クオリティーには広義と狭義で、二通りの解釈があると考えています。
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