メルマガはこちらから

PAGE
TOP

「うちだけの技術」の落とし穴――競争優位性から考えるスタートアップの知財戦略

【「第7回 IP BASE AWARD」スタートアップ支援者部門 奨励賞】弁理士法人セリオ国際特許事務所 パートナー弁理士 石井琢哉氏インタビュー

特集
STARTUP×知財戦略

提供: IP BASE/特許庁

この記事は、特許庁の知財とスタートアップに関するコミュニティサイト「IP BASE」に掲載されている記事の転載です。

第7回 IP BASE AWARDスタートアップ支援者部門の奨励賞を受賞した弁理士法人セリオ国際特許事務所 パートナー弁理士の石井琢哉氏は、知財情報ランドスケープやVC向け知財デュー・デリジェンス (DD)を通じて、多くのスタートアップの知財戦略を支援してきた。石井氏が指摘するのは、スタートアップの知財課題は「特許を出願していないこと」ではない。本質的な課題は、自社の競争優位性や競争環境を客観的に把握できていないことにある。特許を取得していても、事業を守れるとは限らない。知財を競争優位につなげるために必要な視点を石井氏に伺った。

弁理士法人セリオ国際特許事務所
パートナー弁理士 石井琢哉(いしい・たくや)氏
大学院修了後、主に豪雨災害・地球温暖化予測等の研究や防災システム化業務に従事。その後、知財情報ランドスケープ、VC向けの知財デュー・デリジェンス 、スタートアップ支援等、幅広い技術分野において知財が絡む調査・コンサルティングを行っている。

「うちだけの技術」のつもりが、実は競合がいる

 石井氏がまず挙げるのは、多くのスタートアップが抱えるリソース不足だ。

 スタートアップでは知財担当者や知財部門を持たないケースが多く、知財戦略まで十分に検討できていないことが少なくない。その結果、特許出願が行われていなかったり、出願していても事業を守る「バリア」として機能しておらず、ただ時間とコストをかけて手続きを済ませただけになっているケースが見られるという。

 さらに石井氏は、自社の競争優位性を客観的に把握できていないケースも多いと指摘する。経営者へのヒアリングでは、「この技術は自社だけが持っている」「競合はいない」という説明を受けることがよくある。しかし実際には、類似技術を開発する企業が存在していたり、想定していなかった競合が見つかったりするケースも少なくない。

 石井氏は、「スタートアップにとって最初の壁の一つは、自社の立ち位置を客観的に把握すること」だと指摘する。

スタートアップが陥りやすい知財の遠回り

 石井氏がよく目にする失敗例の一つが、相談のタイミングが遅いことだ。研究成果を学会で発表したり、展示会で技術を公開した後になって、初めて特許出願の相談を受けることも少なくないという。

 「研究成果を発表した後に相談があり、気がついたときにはすでに新規性を喪失していたというケースも意外と多い。日本には救済制度もあるが、海外では救済制度がない国もあり、海外での権利取得が難しくなることもある」と石井氏は警鐘を鳴らす。

 一方で、特許を出願し、権利化までできたことで安心してしまうパターンもある。石井氏によると、実際には特許を保有していても、その内容が主力製品と十分に結び付いていなかったり、権利範囲が狭かったりすることは少なくない。競合が少し設計を変更するだけで回避できるような権利になっていることもあるという。

 「出願したから安心」ではなく、「何をどう守れているのか」を考えなければ、知財は競争優位につながらない。

「発明してから相談」では遅い。数年後に響く知財の後回しリスク

 こうした問題はなぜ繰り返されるのだろうか。背景にあるのは、多くのスタートアップが知財人材を抱えておらず、相談できる専門家との接点も限られていることだ。

 そのため、「発明ができたら出願する」「何か特許になりそうなものができたら弁理士に相談する」という発想になりやすい。しかし石井氏は、本来は逆だと指摘する。

 「『この事業を守るために、どのような知財が必要か』という視点から考えるべきですが、スタートアップ自身でそこまで整理するのは簡単ではありません」

 創業初期の企業では、開発や営業、資金調達など優先すべき課題が多い。知財はどうしても後回しになりやすい。

 特にディープテック分野では、その影響が数年後に表面化することもある。事業が成長し始めた段階で、権利範囲の弱さや競合との競争環境が問題になることも少なくない。だからこそ石井氏は、「発明が完成してからではなく、もっと手前の段階での専門家への相談が重要になる」という。

スタートアップの意思決定支援のための知財情報ランドスケープ

 石井氏は、知財情報ランドスケープを活用してスタートアップの競争優位性を可視化し、事業戦略や知財戦略の構築を支援してきたことが評価され、今回のIP BASE AWARD奨励賞を受賞した。知財情報ランドスケープは、特許の取得を目的とした調査ではなく、事業戦略や経営判断の材料を得るための分析手法だ。

 石井氏は、「スタートアップが属する業界の特許情報を分析し、競合の開発状況や他社の動きを調べることで、自社の競争優位性が相対的かつ客観的に見えてくる」と説明する。

 競合企業はどこか。どの領域に特許が集中しているのか。どこが手薄なのか。将来的な侵害リスクはあるのか――。こうした情報を可視化することで、自社がどこで勝負すべきか、どのようなリスクが潜んでいるかを把握できる。

 例えば、大手企業が強力な特許網を構築している領域であることがわかれば、事業戦略の見直しが必要になる。一方で、競合が少なく権利化も進んでいない領域であれば、新たな参入機会を見いだせる可能性もある。自社の技術についてだけ考えていては見えない競争環境やリスクを把握できることが、知財情報ランドスケープの大きな価値だ。

 「外部環境との相対的な比較によって初めて優位性は決まるものです。競合を俯瞰して見ることは、意思決定に直結する非常に有益なアプローチだと思います」

知財情報ランドスケープ分析が事業戦略そのものを変える

 知財情報ランドスケープは、競争環境の把握だけでなく、新たな事業機会の発見にも活用できる。石井氏によると、特に素材系やライフサイエンス分野では、事業戦略そのものに影響を与えることも少なくないという。

 ある素材系スタートアップでは、特定用途向けに開発していた機能性ポリマーについて知財情報ランドスケープ分析を実施した。当初は限られた用途を想定していたが、知財情報を起点に調査を進めた結果、日用品や住宅設備、カメラレンズ、医療機器、自動車部品、さらにはエアコンの熱交換器など、さまざまな分野への応用可能性が見えてきた。

 石井氏は、「経営陣が想定していなかった用途が大量に見つかりました。『これは想像したことがなかった。この分野での開発も進めよう』という話になり、中長期的な進出先を検討するきっかけになりました」と振り返る。

 また別の事例では、競合分析によって、中国企業が急速に権利化を進めている状況を把握し、将来的なリスクを早い段階で認識できた事例もあったという。知財情報ランドスケープは、競合の動向やリスクを把握するだけでなく、自社の技術の新たな可能性を発見する手段にもなり得る。

 石井氏は、「どんなに優秀な起業家でも、業界のすべてを網羅的に見ているわけではありません。実際に分析してみると、必ず何かしら新しい気づきがあります」と話す。

「出願する」だけが知財戦略ではない

 石井氏は、「知財=特許」という発想にも注意が必要だと話す。

 スタートアップの競争優位性は、必ずしも特許によって生まれるとは限らない。例えば、素材そのものではなく製造ノウハウが本当の強みである企業もある。そうした場合、無理に出願して技術を公開するよりも、営業秘密として管理した方が有効なこともあるという。

 「『画期的な素材を提供できる会社です』と説明していても、実際には素材そのものではなく、それを支える製造装置の調整ノウハウこそが競合が真似できない強みになっていることがあります」

 そのため重要なのは、特許を出願するかどうかではなく、「何を守るべきか」を見極めることだ。

 「そのような場合は、無理に特許出願をしてノウハウを公開するよりも、あえて出願せずに社内で秘匿する『クローズ戦略』を選んだ方がよいこともあります」

 ノウハウを秘匿する戦略を選ぶのであれば、社内規程や秘密保持体制の整備も欠かせない。スタートアップは人材の流動性が高く、退職者による技術流出のリスクもあるため、営業秘密として保護するための管理体制を構築しておく必要がある。

 食品やアパレルのように、一見すると特許とは無縁に見える分野であっても、ブランドや商標、ノウハウなど、競争優位性を支える知財も存在する。重要なのは、出願の有無ではなく、自社の強みをどう守るかという視点だ。

VCは特許の数ではなく競争優位性を見る

 石井氏は、特許庁のVC-IPAS事業を通じて、「キャピタリストのための知的財産デュー・デリジェンス(知財DD)マニュアル―投資検討時の知財DD手順と効率化―」 の作成にも協力している。VCはスタートアップの知財をどのような視点で評価すべきなのだろうか。

 スタートアップ投資では、大企業のM&Aのように十分な時間やコストをかけた知財DDを行うことは難しい。そのため、キャピタリストは限られた時間の中で事業の競争優位性を見極める必要がある。

 石井氏は、「知財DDで重要なのは、特許の件数を数えることではありません。その企業がどのような競争優位性を持ち、それを維持できる仕組みが構築されているかを見ることです」と話す。

 事業を守れる権利が確保されているか。競争優位性が持続する設計になっているか。その優位性に合った知財戦略が取られているか。場合によっては、特許よりもブランドや商標、あるいはノウハウが競争力の源泉になっていることもある。

 「特許を持っているかどうかではなく、その企業の競争優位性が何によって支えられているかを見ることが重要です」

知財戦略は「発明の前」から始まる

 石井氏は、「発明が完成してから相談するのではなく、もっと手前の段階で専門家に相談してほしい」と話す。多くのスタートアップは、発明や研究成果が形になった段階で初めて専門家に相談する。しかし、そのころには出願戦略や事業戦略の選択肢が狭まっていることも少なくない。

 近年、知財環境は大きな転換期を迎えている。生成AIの普及により、特許分析や出願書類の作成など、従来多くの時間を要していた業務の効率化が一気に進んだ。知財部門だけでなく、開発現場のエンジニアや研究者自身が特許情報にアクセスしやすくなったことで、発明の創出から出願検討までのスピードは飛躍的に向上している。

 一方で、こうした環境の変化は「知財を後から考える」という従来の発想を通用しにくくしている。石井氏は、事業や技術の検討と並行して知財戦略を考える重要性を指摘する。

 「早い段階で検討を始めておけば、出願の内容や事業の守り方も大きく変わってきます。事業化が進んでから知財を考えるのではなく、開発初期の段階から知財の視点を取り入れることで、競争優位につながる権利を築きやすくなります」

 特にスタートアップは、限られた経営資源のなかで事業成長と知財投資のバランスを取らなければならない。そのため、特許の取得自体を目的とするのではなく、事業戦略と密接に連動した知財戦略構築が求められる。

 このような環境の中、石井氏は、知財専門家として単なる出願手続きの支援にとどまらず、事業戦略の伴走者として関わることが重要だと語る。

 「法律の専門家はリスクゼロのアドバイスをして自分の立場を守りがちですが、スタートアップはリスクを取りながら成長していく存在です。法律だけでなく、市場や経営の視点も踏まえながら、一緒に走っていくことが求められていると思います」

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります

バックナンバー