Mr.ウォーカー・玉置泰紀がキーマンに聞く「新しい街づくりのOS」 第11回

【法政大学名誉教授・陣内秀信氏】スクラップ&ビルドから「空間人類学」へ。江戸の地形と水網が再起動する、水都東京の未来OS

文●玉置泰紀(エリアLOVEウォーカー総編集長)

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ヴェネツィアと江戸・東京の比較論。
縄文の「古層」とブラタモリが示す地学へのシフト

玉置: 陣内先生の研究の両輪である、ヴェネツィアと江戸・東京の水都比較について伺います。起伏のないフラットな潟(ラグーナ)に浮かぶヴェネツィアに対し、江戸・東京は「起伏に富んだ山の手の谷間から水脈が入り込む」という世界的にも特異な地形を持っています。両都市を研究されてきた先生の目に、ヴェネツィアが水のOSを維持できた決定的な要因と、江戸・東京ならではの「水都としての真のポテンシャル」はどう映っていますか。

陣内: ヴェネツィアが水のOSを維持できたのは、ラグーナというフラットな地形ゆえに水路がなければ生活が成り立たなかったからです。一方で、江戸・東京のポテンシャルは、その「ダイナミックな起伏」にあります。実は私自身、最近になって東京の見方を大きくアップデートしたんですよ。  

 『東京の空間人類学』を書いた段階では、鍬形蕙斎が描いた有名な鳥瞰図『江戸一目図屏風』などが描いた姿を読み込んで、東京を「手前が水の都市(下町)、向こう側が高台の田園都市(山の手)」という二分法で描いてしまっていたんです。でも、後からすぐに「しまった」と反省して、次のステップでは「西側の山の手も水都である」という見方に切り替えました。

玉置: 山の手も水都、ですか。

陣内: そうです。コロナ禍の頃に出した『水都東京』という本では、戦略的に西側も含めて、外濠や大名屋敷の池をフォローしました。さらに、スリバチ学会の皆川さんたちからも学んだのですが、山の手のスリバチ状の谷底には水が湧いて、それが川になるんです。  

 少し郊外に目を移し、自分のお膝元の杉並の善福寺川周辺を調べてみると、大宮八幡宮や阿佐ヶ谷神明宮、鷺宮八幡神社といった古い神社は、すべて背後に川があり、高台の縁に位置しています。つまり、縄文時代から人々は川沿いの湧水のある場所を選んで住み始めていたんです。江戸・東京の真のポテンシャルを理解するには、江戸時代以降のことだけを考えていてはダメなんです。

玉置: 家康の江戸よりさらに深い、縄文や中世の地層、「古層」ですね。

陣内: ええ。私が江戸東京博物館の立ち上げに関わった時も、「江戸と東京をつなぐ」というコンセプトで大成功しましたが、実はそれが完成した1993年に、中世にすでに都市核があったと論じた品川と葛飾の博物館の展覧会を見てハッとしました。東京の不思議さは、江戸から始めたのでは絶対に理解できないと。  

 徳川家康が持ち込んだのは、極めて合理的な「日本的合理主義のOS」です。しかしその下敷きには、縄文や中世から続く「古層」や「深層」が確実に存在しています。最近の麻布台ヒルズの巨大再開発でも、一角に古い八幡神社が取り込まれましたが、あそこも縄文の貝塚が出ている場所です。巨大な都市計画の奥底に、土着の豊かな地層が隠れているのが東京の面白さなんです。

玉置: なるほど。その土地の根源的な地形や地質への関心という意味では、近年『ブラタモリ』が大きな人気を集めた現象とも見事にシンクロしていますね。

陣内: まさにそれです! ブラタモリも最初の「パート1」は王道の東京歩きでしたが、「パート2」からタモリさんが「笑っていいとも!」が終わり、自由に遠くへ行けるようになって、マニアックな地質や石、断層、河岸段丘のダイナミズムの話へとどんどんシフトしていきましたよね。あれは非常に象徴的な出来事です。  

 つまり、今の社会全体の関心が「物理・化学」から「生物・地学」へとパラダイムシフトしている証拠なんです。「生命誌」を提唱された中村桂子さんによれば、私たちが中学・高校で学ぶ理科の4科目のうち、20世紀の科学技術文明を強力に支えたのは「物理・化学」でした。しかし、もうその分野は伸び代がない。これからの21世紀の理科は「生物と地学」なんだと。これ、めちゃくちゃ面白い視点ですよね。

玉置: しかし、現代の建築や都市開発の世界は、まだまだ「物理・化学」的な効率主義が強い気がします。

陣内: そこが大きな問題なんです。建築家は残念ながら、ずっと物理と化学の論理ばかりやってきた。だから、経済論理ですぐに建物をスクラップ&ビルドしてしまう。  

 でも、関東大震災後の復興建築を丁寧に見てください。あそこら辺の建築は、耐震性が異常に高くて、本当は壊す理由なんてどこにもないんです。大阪城の天守閣のような復興建築だって、耐震性がしっかりしているから今も残っている。  

 さらに言えば、昔の建築はディテールがめちゃくちゃ重要でした。横浜国大で西洋建築史を研究する菅野裕子さんが指摘するのですが、明治から昭和初めの日本の建築家達はドリス式やコリント式の柱頭装飾など、ヨーロッパの様式を徹底的に学んで、それをまた独自に日本に合わせて解釈していた。そんな面白い建築作品が日本橋を中心に東京にいくつも受け継がれているという。今の建築には、そうした歴史の重みやディテールが欠けています。  

 何でもかんでも経済論理で更地にするのではなく、大地(地学)に根ざした縄文からの古層をリスペクトし、細部に魂が宿る建築のディテールを大切に継承していくこと。物理・化学の効率主義から脱却し、生物や地学の視点を持った「息の長い都市の作法」を取り戻すことこそが、江戸・東京のポテンシャルを真に活かす未来のOSになるのだと思っています。

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