攻殻機動隊とメタバース。神山健治監督が見つめる「今と未来」の世界
神山健治(映画監督)
デジタル空間に「とどまりたい」と思う理由とはなにか
――現在はSNSなどを使い、双方向なコミュニケーションが容易になった時代だ。コンテンツを作る人々も、専門職とは限らない。誰もがどこからでも情報を発信できる。品質の高い作品を作る「プロ」の価値は高いが、プロとアマチュアが競い、新作と旧作が競う「フラット」な時代にもなった。その点を神山監督はどう見ているのだろうか?
神山:立場上、モノを作っている人間としては、発信がフラットになることにはネガティブです。作っている人間の側からすると、双方向性が強いと情報量が多くなりすぎて、処理できません。まだ人類は、リアルタイムな双方向性を使った作品を作れていないように思えます。
もしかすると、YouTube、そしてYouTuberが「双方向な作品」の成功例なのかもしれません。ただ彼らだって批判にさらされることはあるし、いつだって「いいね」をもらえるわけでもなく、炎上することだってあります。その結果として苦しくなり、情報発信できなくなることもあるわけで、そこだけを取り出せば「ネガティブ」かもしれないです。
間違いなく新しい形は出てきている、と言えるでしょう。2時間の映画、という基本的なフォーマットはなくなってしまうかもしれません。大量に作られる個人の傑作動画に対し、面白い映画の数は圧倒的に少ないのですが、まだ、「2時間映画館に座る」という形は生き残っています。
ただ、将来はわからない。
僕らの業界でいえば、忘れられていた映画・古い漫画が再評価され、価値を生むようになっていきました。実際にはクラシックな作品であっても「これは見たことがないから新作」とする世代もいる。新しい作品を作るハードルはどんどん上がっているし、そのうえでどうするか、ということです。
そういう意味ではしんどいですよ。
――神山監督は、PLATEAUのようなデータを使って自由に街を「デジタルな世界で」動けたらどうか、という質問に、次のように答えている。
神山:自由にデータが使えるのなら、”誰も居ない街”は、ちょっと歩いてみたいです。誰もいない街を作って道路の真ん中に立ってみるだけで、見たことない景色が楽しいと思いますよ。
ロケハンで使うにも、さまざまな制約から「ここからこう撮る」という部分が決まっていたりするものなんです。だから、イメージが似てしまう。
映画の冒頭って、道路の真ん中にクレーンを置いて、カメラが上がっていく描写があったりしますよね? あれって、見慣れた街のようでいて”誰も見たことのないアングル”なんですよ。
映画はそういう部分を切り取らなきゃいけない。たったそれだけのことでも、新鮮に感じるものなんです。ドローンの映像が楽しいのは、街をさらに上から見られるから、というところもあります。
もし完全に自由になるなら、撮影場所をゼロから見直して、どこをどう撮ると面白いかを発見できるかもしれない。東京のように、もうよく知っているはずの街ですら、新しい発見があるでしょう。
――「仮想の都市ができたら、そこで道路の真ん中を歩きたい」という神山監督の回答は、ロケハンや映像制作という、職業上の興味によるものだけではない、と筆者は感じている。
自分が見た世界から何を得られるのか。そこにどれだけ気軽にいけるのか、それが重要なのだ。それが日常になるとき、我々が「デジタルの空間を生活の一部」とできるかどうかは、デジタル空間から得たものとそこで変わる生活のバランスがどうなるのか、そして、それを我々が許容して乗り越えていけるのか、という点にかかっているように思う。
神山 健治(KENJI KAMIYAMA)
映画監督、脚本家