火除地はプレイグラウンド! それが秋葉原になったのはアキバらしい
秋葉原については、戦後の闇市から《世界のAKIHABARA》にどのようにしてなったか? その立役者こと山本長蔵氏に関して、当時ラジオセンター社主の山本博義氏にインタビューさせていただいたことがあった。「アキバ――秋葉原電気街のはじまりについて」をご覧いただきたい。その中で、私は、
「秋葉原」という地名は、明治2年の大火の折に火伏せの神としてまつられた秋葉神社にちなんだものである。「アキバハラ」、「アキバッパラ」と呼ばれていたが、明治23年に完成した「秋葉原」駅の読みが「アキハバラ」であったことから、そう呼ばれるようになった。当時の秋葉原駅は、貨物専用駅で“やっちゃば”(青果物市場)として栄えた。
などと、なにかを参考に書いたのだと思うが、その秋葉原の地名の由来である《秋葉神社》から先をきちんと裏をとって調べていなかった。遠足で出かけた秋葉神社のことは、私の頭のはしっこで少しもたげていたが、ただの同じ名前の神社だろうくらいにそのときは思ったのだと思う。
それが、いま頃になって調べたくなったのは、秋葉原の地名と関係する《秋葉神社》が、台東区松ケ谷3丁目に移転していまもあると知ったからだ。明治2年の大火のあと、火除地が作られるとともに、明治天皇の勅命により現在のJR秋葉原駅構内(東京都千代田区神田花岡町)の地に鎮火社が作られた。それが、明治21年に大日本鉄道の駅ができる際に現在の地に移転、昭和5年に秋葉神社と改名されたそうだ。
もともと「秋葉神社」という名前じゃなかったのか!? というわけなのだが、なにしろ明治のはじめの話である。鎮火社として、火産霊神・埴山比売神・水波能売神の3つの神様が祭られていたが、江戸時代より、《秋葉大権現》が火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていたので、人々が誤解して「秋葉さま」と呼ぶようになってしまったというのだ。
そして、火除地が「アキバッパラ」と呼ばれるようになり、その広さを利用してサーカスが開催されるなどでにぎわっていた。明治時代にすでに、秋葉原が、エンタメの聖地となっていたようなところがあるというのはちょっと楽しい。
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