【西新宿百景】新宿とアキハバラは似ている――幻の西のアキハバラ構想

文●遠藤諭(角川アスキー総合研究所主席研究員)

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西新宿の風景とメモリーを語る「西新宿百景」の第1回は、「月刊アスキー」の元編集長として長らくコンピューター業界を見てきた遠藤諭氏。「西のアキハバラ」として存在しえたかもしれない新宿のコンピューターの街としてのポテンシャルとは?
 

「新宿西口駅の前♪」の歌でもおなじみヨドバシカメラ

 東京23区の主要なエリアをクルリとめぐるのが「山手線」、その真ん中をゆるやかなS字を描いて通っているのが「総武線」だ。この「山手線」と「総武線」の東西の乗り換え駅が、「秋葉原」と「新宿」。

 だからというのではないが、この2つのエリアが似ていると言った人物がいる。歌手で作詞家で作曲家、エッセイストで声優のモモーイこと桃井はるこさんだ。

 その「元祖アキバ系女王」をして、「新宿と秋葉原は似ている」と言わしめた理由はなにか? この2つのエリアに共通していて、ほかの山手線駅など東京の地域にはない要素とは「どちらも欲望の街だから」だというのだ。

 「それって、新宿の中でも歌舞伎町のほうでしょ」と言われそうだが、新宿すべてを合計してみても、たしかに「個人の欲望」を満たす街としての要素が強いように思う。

 彼女が、この言葉を発したのは、私が編集長をつとめていた『月刊アスキー』に連載(女子大生として!)してくれていた1990年代である。それが、その後のアキハバラといったら本当に目に見えて「新宿化」していったように思える。街の風景や歩く人たちが新宿と共通化したのではない。2000年代にかけて、フィギュアやメイドカフェ、あるいはコンピューターやデジタルそのものが、一人一人の偏愛的疑似恋愛の対象物としての魅力を放つようになった。その疑似恋愛の対象は違ってもうずまく欲望は似た構造をもってくる。慧眼としか言いようがない。

 いまやコンピューターなどのデジタルといえば、その秋葉原が本場だが、初期のマイコン(パソコンのことをかつてそう呼んだ)の時代には必ずしもそうではなかった。そうしたお店は都内や横浜などに点在していて、新宿西口は、そうした中ではマイコンの本場といってよかった。

 南口に近いところに「ムーンベース」というマイコン専門店があり(私は一度しか訪れたことがなかったが)、秋葉原のコンピューター大型専門店「T・ZONE」を作ることになる亜土電子は大久保が創業の地である。ブロック崩しやスペースインベーダーが大流行した1970年代なかば、新宿歌舞伎町とJR高架をはさんだ西新宿側は、その修理基地のようになっていた。やがて、ビルの中でLSIゲームや部品などを扱うお店ができていくのである。

 ヨドバシカメラがパソコンの取り扱いをはじめたのも早い。その後、ヨドバシカメラ マルチメディアAkibaの店長もつとめる松井昭二郎氏にインタビューしたことがあるのだが(月刊アスキー1998年7月号)、まだアキバも電脳街とはいえない1980年代はじめに、長机にシャープのMZ-80など8ビットパソコンを並べて売ったのがはじまりだそうだ。松井氏は、パナファコムのL-kit16というワンボードを学生時代に遊んでいて「パソコンを売りたい」と思ってヨドバシカメラに入社したという。

 ヨドバシカメラのある西口の繁華街のど真ん中には、CSKのマイコンショップもあった。CSKというのは、コンピューター業界では知らない人はいない会社。1990年代に、亜土電子、アスキー、セガなどを買収することになるが、当時は、企業向けにソフトを作っていたお堅い会社だった。そんな会社が、なぜかマイコンショップをやっていたのだ。

 西新宿が持ちうる秋葉原に共通するなにかが、そのままヨドバシをカメラ専門から総合家電量販へと押し上げた。それは、桃井はるこが指摘したような地理的対称性と乗り換えターミナル駅の宿命的なことなのか。私が、ある銀行関係者から説明されたのは、いま新宿南口のバスタ新宿となっているJR線の並んでいるあたりをより大規模にフタして、その上に「西のアキハバラ」を作るという計画だった。

 

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