IPv6インターネットの世界を拡げる縁の下の力持ち
JPNEのエンジニア社長石田慶樹氏に聞いた「v6プラス」に至る道
ようやく離陸しつつあるIPv6インターネットを推進してきた日本ネットワークイネイブラー(JPNE)。10年前の設立当初からJPNEに関わってきた石田慶樹氏は、東京大学の学内LANの構築からインターネットインフラに携わってきた生粋のエンジニア社長だ。そんな石田氏にネットワークエンジニアとしての経歴、IPv6に関わるまでの経緯、そしてJPNEが展開する「v6プラス」に至るまでの道を語ってもらった。(以下、敬称略 インタビュアー アスキー編集部 大谷イビサ)
村井純先生のコミュニティからネットワーク構築に関わる
大谷:まずは石田さんがIPネットワークに関わるきっかけについて教えてください。
石田:はい。東大工学部の院生時代、当時東大にいた村井純先生が発起人になって立ち上げた学内ネットワークの管理者コミュニティに参加したのがきっかけですね。まだ、WIDEプロジェクトが始まったばかりの頃で、ネットワークも相互接続された「インターネット」になってなかった頃。研究室でワークステーションをヘビーに使っていた関係で、コミュニティに呼んでいただきました。
そのまま大学で助手に採用されたので、学内ネットワーク管理者コミュニティの何人かといっしょに大学内で学内LANを構築するプロジェクトに携わることになりました。結果的に、大型計算機センターに学内LANを構築する部署ができて、そちらに移ることになったのが1991年頃ですかね。
大谷:1990年頃だと、LANもEthernetではあったんですよね。
石田:はい。バックボーンがFDDIで、エッジはちょうどでてきたばかりの10BASE-Tです。設計に加え、構築、運用までやっていました。結果的に、工学部から始まって全学部にまでネットワークを拡大させました。
大谷:自前で構築していたんですか?
石田:当時はシスコやプロテオンのルーターが出始めたくらいで、輸入してくれる業者はいましたが、構築まで任せるのは難しかったですよ。あとキャンパス間をつなぐ必要があったので、そこらへんも自分たちで設計して、TTNet(東京通信ネットワーク 現KDDI)の専用線を引いたりしました。
その後、実は同じミッションを受けて、九州大学に行きました。ケーブリングとか、機材の設置とかは、業者なんですけど、ネットワーク機器の設定は私たちがやりました。あと、メールやDNSなどは自前で構築するしかなかったので、サーバー構築と運用ですね。当時はネットワーク機器とサーバー構築は一体化していたので。
大谷:では企業人になったのは1990年代の後半ですね。
石田:IX事業を展開していたメディアエクスチェンジ(MEX)に入ったのが1998年です。
大谷:当時はどのような市場動向だったのでしょうか?
石田:それまでのISPや通信事業者はコンテンツを垂直統合で囲い込んでユーザーに提供していましたが、それがちょうど分離してきたタイミングがこの頃です。メディアエクスチェンジとしては、ISP間の接続をなるべくオープンにし、コンテンツを提供しやすい場所としてIXを提供していました。結果的にはデータセンターが主たる事業になったのですが、コンテンツの置き場所を基盤として、ISPと対等にピアリングしていくというコンセプトでした。
その後、2005年にメディアエクスチェンジの親会社であるパワードコム(元TTNet)に入社しましたがそのままKDDIに吸収合併されることになり、さらにKDDIが主要株主であった日本インターネットエクスチェンジ(JPIX)に移って、社長になりました。その後、JPIXとしてIPoE方式やVNEという仕組みに携わり、2010年に事業会社としてのJPNEを立ち上げました。その後、2016年に日本ネットワークイネーブラー(JPNE)の社長になって、今に至ります。
VNE(Virtual Network Enabler)はなぜ生まれたのか?
大谷:次にJPNEの事業なんですが、正直個人ユーザーにはなかなか理解してもらいにくいB2B2Cのビジネスですよね。
石田:結局、われわれはVNE(Virtual Network Enabler)の先駆者だったりするので、このVNEの仕組みを理解してもらえるかどうかにかかっています。
VNEはキャリアのネットワークを仮想ネットワークとしてISPに卸し売るという立場です。モバイルの世界では、この仕組みがわりと理解されていて、NTTドコモやKDDI、ソフトバンクのモバイルネットワークを格安SIM事業者にあたるMVNOに対して卸し売るMVNEがいます。固定系のネットワークでも同じで、NTT東西が所有している光ファイバのアクセス網であるNTT-NGNを、われわれのようなVNEが仮想ネットワークとしてISPに卸売っています。だから、フロントとしてはISPがいるので、一般ユーザーからはちょっとほど遠い存在ですが、縁の下の力持ちとして重要だと思っています。
大谷:なるほど。なぜこうしたVNEという事業が生まれたのかを教えてください。
石田:長らくNTT東日本・西日本(以下、NTT東西)は「フレッツ網」という光ファイバのアクセス網でFTTHサービスを展開してきたのですが、2007年から「フレッツ光・ネクスト」というサービスのために構築したNGN(以下、NTT-NGN)という次世代ネットワークへの切り替えを始めます。このNTT-NGNは次世代と謳っており、NTT東西で両方ともIPv6をベースに構築されています。
NTT-NGNは当初インターネットと直接接続できないIPv6の閉域網として構築されていたのですが、IPv4アドレスの枯渇がいよいよ本格化してきたため、2008年頃からIPv6インターネットに接続する方法が模索されるようになります。ただ、制度上NTT東西自体はインターネット接続を直接ユーザーに提供できません。そのための接続方法として、IPv6 PPPoE(トンネル接続)とIPv6 IPoE(ネイティブ接続)という2つの方式が検討されることになります。
大谷:PPPoEは長らくIPv4でのブロードバンド接続で用いられていた方法ですよね。
石田:IPv6 PPPoEは今までのIPv4のフレッツと同じようにPPPoEでユーザーにアドレスを提供します。つまり、NTT-NGNにトンネルを構築し、集約装置からISPを経て、IPv6のインターネットに接続するVPNです。
でも、「せっかくNTT-NGNがIPv6でできているのであれば、もっといい方法あるのでは」という意見が当然ながら出てきました。これを実現するのがネイティブ接続と言われるIPoEです。ちなみに一般的なIPによる通信はIPoEつまりイーサネット上の上位レイヤにIPをカプセル化する形態になるので、IPoEとはPPPoEと対比して付けられた名前です。
大谷:PPPoEと対比して、IPoEなんですね。
石田:はい。NTT東西がインターネット接続まで受け持つと、ユーザーへの提供はISPが行ったとしても、それではISPは単なるNTT東西のリセラーになってしまうため、業界内では猛反発が出ました。そこで、ISP側からIPv6アドレスを持ち込ませてもらい、NTT東西のNGN網に渡すという方法の提案が出ました。つまり、ISP側ではIPv6アドレスを直接ユーザーに割り当てることはしません。この方法なら、3社までならできそうということだったので、われわれのようなホールセール事業者であるVNEが登場します。
大谷:なるほど。あくまで卸売り業者なんですね。
石田:2009年にNTT東西から選定されたのが、当時社長を務めていたKDDI系のJPIXと、NTT/IIJ系のインターネットマルチフィード、ソフトバンク系のBBIXの3社です。見かけ上は3大キャリアでVNEを分け合ったことになるのですが、FTTHによるインターネット接続をIPv6化するという目的を考えれば、同じ仲間だと思っています。そしてJPIXはVNEの事業を新たに設立したJPNEに移します。
われわれは直接コンシューマーにサービスを提供するのではなく、あくまでISPに仮想ネットワークを卸し売るというB2B2Cのための事業者になります。B2BはわれわれとISP、B2CはISPとコンシューマーという形です。
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