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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情第533回

創業時の業種をすべて捨てたHP 業界に多大な影響を与えた現存メーカー

2019年10月21日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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CEO交代で経営方針を大幅に変更
企業理念のHP Wayが限界に達する

 HewlettとPackardの両氏が完全に引退したことで、企業文化に手を入れたPlatt氏は、ここから大幅にHPを変えていく。

新CEOのLewis E.Platt氏

 HPの企業文化といえばHP Wayであるが、実のところまだHewlett、Packard両氏がCEOを務めていた時期から、HP Wayそのものにひずみが出始めていたことを、自身が理解していた。

HP Wayにおける5つの基本的な価値観

  • 1. 我々は、従業員一人一人を信頼し、尊敬する
  • 2. 我々は、高いレベルの成果と貢献を重視する
  • 3. 我々は、誠実をモットーとするビジネスを行なう
  • 4. 我々はチームワークを大切にして、共通の目標を達成する
  • 5. 我々は柔軟性と革新性を奨励する

 実際、1995年にPackard氏が出版したThe HP Wayの中で、1980年台後半から「(問題に対処すべく)HPはさまざまな特別部門や評議会、委員会などを設置した。時間が経つにつれ、これらは複雑な官僚主義を生み出した」と供述している。

 もともとのHP Wayは官僚主義の対極に位置するものであり、Open Door Policy(従業員は何時でも管理者に悩みや問題の相談をすることができる)や、MBWA(Management By Walking Around:歩きながら経営する。要するに管理者が現場に赴いて常に情報を確認することで、迅速な対応を可能にする)を目指すための指針だったはずである。

 またこのHP Wayは、いわゆる家族主義的な経営方針にもつながり、この結果としてNon Laid-off Polycy、つまり従業員の首を切らないのがHPの特長でもあった。

 このあたりの話は初期のIBMの経営方針にもつながる。最近でこそ、日本IBMのリストラがしばしばニュースになるが、かつてはIBMも社員をリストラしないことをポリシーに掲げていた時期があった。

 ただIBMもそのポリシーを撤回せざるを得ない時期が来たし、それはHPにしても同じであった。Packard氏は1995年にHP Wayを出版したが、その中身を読むとHP Wayそのものが必ずしもうまく行っているとは言い難い状況にあることを率直に認めている。

 そもそも創業時の1950~1960年代の頃は、何社か買収したとはいえそれほど従業員数も多くなかったが、その後の従業員数は右肩上がりで増えており、さらに1989年以降の買収ラッシュで従業員数は急速に増えていった。

 1970年に1万6000人だった従業員数は、1980年には5万7000人、1990年には9万2000人にまで増えている。その1990年初頭には、製品グループが13、部門数は65も存在していた。ここまで大規模になると、それは官僚主義に陥っても仕方がないだろう。

 Hewlett/Packard両氏の企業統治の仕方は分散経営であり、各事業部に大幅な権限移譲を行ない、個々の事業部がほぼ独立して動くスタイルになっていた。2人の後を継いだYoung氏もこの経営スタイルを踏襲したのだが、これだけ部門が増える(しかも似たような商品を扱っている)と、当然ながらぶつかるシーンも出てくる。

 HP 9845の市場をHP 9816が奪い取るといったことはその一例でしかない。こうなると、部門間の調整が当然必要になる。

 その目的で、例えば1983年にはComputer Business Executive Committeeという委員会が発足。コンピュータービジネスの部門間での調整を行なうことで、製品の重複を避けたり、HPのコンピュータービジネスの向かうべき方向性を決めたりするはずだったが、そうした思惑に相違して、むしろ方針決定のプロセスがより複雑化し、かつ決定までの時間が大幅に伸びるという、まさに官僚主義の悪しき特徴が顕在化する結果になったそうだ。

 もちろん、これでも売り上げが伸びている間は文句のつけようがないのかもしれないが、連載531回の表に示したように、売上こそ伸びてはいるものの利益が低下しはじめたあたりから、当然こうした問題が改めて提起されることになる。

HPの1980年からの業績
  総売上 純利益
1999年 423億7000万ドル 39億4100万ドル
1998年 470億6100万ドル 29億4500万ドル
1997年 431億5300万ドル 31億1900万ドル
1996年 384億2000万ドル 25億8600万ドル
1995年 315億1900万ドル 24億3300万ドル
1994年 249億9100万ドル 15億9900万ドル
1993年 203億1700万ドル 11億7700万ドル
1992年 164億1000万ドル 5億4900万ドル
1991年 144億9400万ドル 7億5500万ドル
1990年 132億3300万ドル 7億3900万ドル
1989年 118億9900万ドル 8億2900万ドル
1988年 98億3100万ドル 8億1600万ドル
1987年 80億9000万ドル 6億4400万ドル
1986年 71億200万ドル 5億1600万ドル
1985年 65億500万ドル 4億8900万ドル
1984年 51億5300万ドル 6億6500万ドル
1983年 47億1000万ドル 4億3200万ドル
1982年 38億7100万ドル 3億8300万ドル
1981年 35億7800万ドル 3億1200万ドル
1980年 30億9900万ドル 2億6900万ドル

 ただYoung氏ではこのあたりのコントロールができないと判断されたようだ。それどころか1989~1992年に8社もの企業を買収して、むしろ企業統治をより混乱させる方向に振っている感もあり、このあたりが問題視されたと思われる。

 最終的に1992年にYoung氏は取締役会において辞任を勧告されて退職するわけだが、この際にはHewlett氏も辞任に賛成票を投じた(社外取締役と結託する形で積極的に辞任を迫ったという話もある)というのは、Young氏が、Hewlett&Packard氏が期待するほどにHPを改革できなかった、という想いもあったのかもしれない。

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