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『機動戦士ガンダムNT』BD&DVD発売記念 福井晴敏インタビュー

「ガンダムNTでは“ランバ・ラルが居ない時代”の大人像を描いた」

2019年05月13日 12時00分更新

文● 渡辺由美子 撮影●高橋智 編集●村山剛史

提供: 株式会社バンダイナムコアーツ

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(C)創通・サンライズ

理想にたどり着いても幸せではない理由

―― 人の魂が入った機体というのが、『UC』『NT』の特徴的なところなんですね。

福井 そうですね。ニュータイプとして覚醒すると人の魂や時の流れが見えることはこれまでのガンダムシリーズでも描かれていましたが、“機体に魂が入っている”と明確に定義できたのは『NT』からです。

 ユニコーンガンダムには、『UC』の主人公バナージの死んだお父さんが入っています。死んでいるから魂はあの世に行っているわけですけど、高次元の世界は、魂になった誰がいつどこにいるというのがあまり関係なくて、魂は、複数の時間、複数の場所に同時に存在できる状態です。

 『UC』では、ユニコーンガンダムの機体に、バナージという真性のニュータイプに近い人間の魂が入ったことで融合して、完全覚醒します。その結果、機体は究極の理想形態にまで進化して、あらゆる兵器をバラバラにできるほどの万能の状態になることができた。でも、バナージはそれを良しとせずミネバのいる人間の世界に帰って来た、というのが大まかな流れです。

―― 『NT』のヨナたちも、ニュータイプとして覚醒して“究極の理想形態”になりますね。

福井 はい。でも理想形態にたどり着いたけれども……それが幸福かというと、明らかにそうではなかった。

―― 究極の理想形態なのに、幸福ではなくなってしまった?

福井 幸福ではないですね。2つの意味で幸せではないと思います。

 1つは人類そのものの存続です。『逆襲のシャア』のときには、サイコフレームを通して人類の意志が結集したことによって隕石を食い止め、人類の危機を回避することができましたが……『UC』の時代になると技術が進んで、人間と機体が完全に融合することができるようになって、機体の腕の一降りで、全ての兵器をバラバラにすることまでできるようになってしまいました。

 これを現実のこととして捉えたとき、人類は放っておきませんよね。核兵器どころではない大変な力ですから。

 もう1つは個人の幸せについてですね。高次元の中に完全に入って魂だけの存在になってしまったら、たぶん過去も未来もなくなって、そこにあるだけのものになっちゃう。人間として生きる意味がなくなってしまうと思います。

 宇宙世紀はサイコフレーム技術の向上のおかげで、人によっては万能の力を得られるほどの進化を遂げたけれども、技術の進化が人類の幸せには直結しなかったという。

(C)創通・サンライズ

今の日本には「生きることを肯定する話」が必要

―― 『NT』劇中にも、生きている意味を見失いかけた主人公のヨナが、戦いの末に1つの答えを見つける場面がありますね。『UC』も『NT』も、「ニュータイプが高次元に届く」過程を経ながらも、命に限りがある“不完全な人間として生きる“ことに焦点を当てたラストになっています。そのような結末にした理由をお聞かせ下さい。

福井 やっぱり、こうした作品というのは、今生きている人に対して背中を後押ししたり肯定したりするものである、そういう部分がなくてはいけないだろうというのが自分の考えです。

 そこはこれまでのガンダムシリーズの流れも踏襲していて、生命というものは絶対的に肯定しなくてはならない。でも生命というものは、今、目に見えているものだけで構成されているわけではない。その二律背反の良い案配を持っているのがガンダムだと思います。

 特に、今の世の中みたいに日本人全体が疲れ切って疲弊している時代には、「命というものがあることによって取れているバランスがあるよ」といった、生きることそのものを肯定できるお話が必要だと思いました。あの世に行って時間も何もなくて完璧な存在になってしまったら、それはとんでもなく退屈な世界かもしれないよね、っていう。

―― 今生きている人の背中を後押しするというのは、最初に出たファーストガンダムの残り香である“将来的な展望に対する期待や希望”のお話にもつながっていますね。今の世の中が疲弊しているというのは、どのような点でお感じになっていますか?

福井 何を読んでもどこを見ても「10年後はろくなことになっていない」と書いてあることですよね。

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