PS/2を捨てた途端に黒字決算
UNIXワークステーションの出遅れが決算に響く
Akers氏に不利だったのは、IBMのメインフレーム部門がダウンサイジングの波にうまく対応できなかったこともさることながら、その後継製品に恵まれなかったことも挙げられる。
1987年から投入したPS/2は市場の支持を得られず、1988年から大幅に市場占有率を落とし始める。1990年台も後半になると、IBMのシェアはだいたい3位前後まで復活する。シェアの数字そのものは8%台であるが、例えば1995年では全世界でのPCの出荷台数が7010万台、売上が1550億ドルほどで、ここでIBMのシェアは8%で3位である。
単純に計算するとおおよそ560万台ほど出荷し、124億ドルという計算になるから、1988年の4倍以上の売上が実現している計算になる。
ここで「もし」を言っても仕方ないのだろうが、IBMがMCA路線に走らずに1990年のPS/1(ビジネス向けであるPS/2の下位シリーズで、個人向けのパソコン)路線をこの時点で取っていれば、ESDの売上はもっと伸びており、Bill Lowe氏も辞任せずに済み、そして1993年の赤字が埋められたとは思えないにせよ、もう少しマシな決算報告が出せたのではないかと思う。
1994年にPS/2(MCA路線)を捨てた途端に黒字決算に戻った、というのは単なる偶然というかそこまでIBMのPCビジネスはIBM全体に大きな影響は与えていないが、象徴的ではある。
またAkers氏はPOWERにもずいぶん肩入れしていた。ほかの部門についてはコスト削減や売却の検討対象になっていたにも関わらず、AES IBUについてはこの対象外であり、逆に優先的に資金やリソースが投入されるように配慮していたという話もある(これも最後の方になると結構厳しかったらしいが)。
ただ最初のPOWER 1(RIOS-1)ベースのRS/6000が投入されたのは1990年のことで、この時点ですでにSun-4の3年遅れである。1990年といえばSun MicrosystemsはSPARCstation 2を投入していた時期であり、結構な顧客がUNIXワークステーションとしてSunMicrosystemsのシステムを入れ始めていた。
この後IBMはじりじりと盛り返していくが、それでも最初の3年の遅れは最後まで埋まらなかった。そう考えると、Akers氏は本当に一番悪いタイミングでCEO職を引き受けた感がひしひしとする。決してAkers氏が無能だったというわけではないはずだ。
POWER/PowerPCもそうだし、まだ説明していないAS/400シリーズも1988年からの投入で、やはりAkers氏の時代が起源である。こうした種まきをしつつ、その成果を見ないままに氏はIBMを退任することになったあたりは本人的にも不本意な部分はあったと思われる。
この連載の記事
-
第803回
PC
トランジスタの当面の目標は電圧を0.3V未満に抑えつつ動作効率を5倍以上に引き上げること IEDM 2024レポート -
第802回
PC
16年間に渡り不可欠な存在であったISA Bus 消え去ったI/F史 -
第801回
PC
光インターコネクトで信号伝送の高速化を狙うインテル Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第800回
PC
プロセッサーから直接イーサネット信号を出せるBroadcomのCPO Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第799回
PC
世界最速に躍り出たスパコンEl Capitanはどうやって性能を改善したのか? 周波数は変えずにあるものを落とす -
第798回
PC
日本が開発したAIプロセッサーMN-Core 2 Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第797回
PC
わずか2年で完成させた韓国FuriosaAIのAIアクセラレーターRNGD Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第796回
PC
Metaが自社開発したAI推論用アクセラレーターMTIA v2 Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU -
第795回
デジタル
AI性能を引き上げるInstinct MI325XとPensando Salina 400/Pollara 400がサーバーにインパクトをもたらす AMD CPUロードマップ -
第794回
デジタル
第5世代EPYCはMRDIMMをサポートしている? AMD CPUロードマップ -
第793回
PC
5nmの限界に早くもたどり着いてしまったWSE-3 Hot Chips 2024で注目を浴びたオモシロCPU - この連載の一覧へ