1985年をピークに売上が下がる
原因はAT互換機の出現
以上のように、IBMはラインナップを増やしていったわけだが、売上はどうだったかというと、1981~1987年の売上推移は下のようになっている。
機種/年度別売上台数 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
IBM-PC | PC/XT | PC/AT | 合計 | |||
1981年 | 2万台 | 2万台 | ||||
1982年 | 14万台 | 14万台 | ||||
1983年 | 40万台 | 10万台 | 50万台 | |||
1984年 | 87万台 | 28万台 | 6万台 | 121万台 | ||
1985年 | 48万台 | 56万台 | 36万台 | 140万台 | ||
1986年 | 28万台 | 55万台 | 35万台 | 118万台 | ||
1987年 | 6万台 | 22万台 | 26万台 | 54万台 | ||
合計 | 225万台 | 171万台 | 103万台 | 499万台 |
データの出典は“Creating Strategic Leverage” by Milind M. Lele
これにPC Jr.やConvertible PCを加えれば、軽く500万台を突破しているわけで、仮に平均小売価格を全部まとめて3000ドルと仮定しても、7年間で150億ドルもの売上になっている。PC Jr.の失敗ぐらいでは揺るがなかったのはこのためである。
もっとも売上のピークは1985年であり、その後徐々に売上は落ちているのもわかる。理由は簡単で、PCクローンの出現である。
連載488回でも触れたが、IBM-PCの開発にあたってはオープンスタンダード戦略がとられた。どのくらいオープンだったかというと、ハードウェアの全回路図とBIOSのソースコードが、Technical Reference Manualとして完全公開されているほどだった。
IBM-PC/ATの場合、“IBM PC AT 5170 Technical Reference 1502494”の表紙が青ということでBlue Bookという名前で知られているが、これをご覧いただくとわかるが、必要な情報がすべて網羅されて掲載されている。
ただこのBIOSをそのままコピーすると著作権違反になる(実際、これをやってバレて訴えられた会社が複数ある)ため、これが他社の参入を防ぐ障壁になっていたわけだが、まずCOMPAQが自社向けに互換BIOSを開発して製品を出荷、次いでPhoenixが外販用の互換BIOSの販売を始めた結果、1985年以降もPC市場は急速に拡大していくものの、そこに占めるIBMの売上が次第に落ちていくのはある意味仕方がない。
間が悪いことは重なるもので、こうした新しい競合に対応していかなければならないという時期に、ESDはDon Estridge氏を失った。ここからESDは方向性がずれ始める(次回に続く)。
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