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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第490回

業界に多大な影響を与えた現存メーカー AT互換機という怪物を産み出したIBM

2018年12月24日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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1985年をピークに売上が下がる
原因はAT互換機の出現

 以上のように、IBMはラインナップを増やしていったわけだが、売上はどうだったかというと、1981~1987年の売上推移は下のようになっている。

機種/年度別売上台数
  IBM-PC PC/XT PC/AT 合計
1981年 2万台     2万台
1982年 14万台     14万台
1983年 40万台 10万台   50万台
1984年 87万台 28万台 6万台 121万台
1985年 48万台 56万台 36万台 140万台
1986年 28万台 55万台 35万台 118万台
1987年 6万台 22万台 26万台 54万台
合計 225万台 171万台 103万台 499万台

データの出典は“Creating Strategic Leverage” by Milind M. Lele

 これにPC Jr.やConvertible PCを加えれば、軽く500万台を突破しているわけで、仮に平均小売価格を全部まとめて3000ドルと仮定しても、7年間で150億ドルもの売上になっている。PC Jr.の失敗ぐらいでは揺るがなかったのはこのためである。

 もっとも売上のピークは1985年であり、その後徐々に売上は落ちているのもわかる。理由は簡単で、PCクローンの出現である。

 連載488回でも触れたが、IBM-PCの開発にあたってはオープンスタンダード戦略がとられた。どのくらいオープンだったかというと、ハードウェアの全回路図とBIOSのソースコードが、Technical Reference Manualとして完全公開されているほどだった。

 IBM-PC/ATの場合、“IBM PC AT 5170 Technical Reference 1502494”の表紙が青ということでBlue Bookという名前で知られているが、これをご覧いただくとわかるが、必要な情報がすべて網羅されて掲載されている。

 ただこのBIOSをそのままコピーすると著作権違反になる(実際、これをやってバレて訴えられた会社が複数ある)ため、これが他社の参入を防ぐ障壁になっていたわけだが、まずCOMPAQが自社向けに互換BIOSを開発して製品を出荷、次いでPhoenixが外販用の互換BIOSの販売を始めた結果、1985年以降もPC市場は急速に拡大していくものの、そこに占めるIBMの売上が次第に落ちていくのはある意味仕方がない。

 間が悪いことは重なるもので、こうした新しい競合に対応していかなければならないという時期に、ESDはDon Estridge氏を失った。ここからESDは方向性がずれ始める(次回に続く)。

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