写真:芸術祭「フェット」中心メンバーと子どもたち。「フェットジャーナル Vol.1」より(筆者撮影)
東京・府中で2016年に開催された芸術祭、「フェット(FETE FUCHU TOKYO)」。来場者はのべ4000人。府中市内全体で開催した、同地域初の大規模芸術祭です。初年度の中心的メンバーは、育休中の女性でした。家に閉じこもり孤独を感じがちな育休期間、ともに芸術祭を成功させられたことは大きな意味があったといいます。
メンバーたちはネットを駆使し、芸術祭事務局の活動にあたってきました。昼は家事・育児に追われるため、活動時間は22時すぎなど夜間がほとんど。子どもと寝てしまった後に起きだしてくる深夜2~3時ごろ、チャットで打ち合わせをすることもよくあったそうです。
メンバーのひとり宮川亜弓さんは、真夜中にむくりと起き上がってスマホを見たとき、芸術祭をつくっている仲間たちの姿が目に入って、これは光だと感じたといいます。
「ぱっと灯された光だと。ひとりで何かの作業をして、悶々とするということがありませんでしたから」(宮川さん)
芸術祭は家でも会社でもない第3の居場所。メンバーはみなボランティアという形で自分の力を発揮できる場所を手に入れました。フェット発起人の芝辻ペラン詩子さんは「子育て中だからといって何もできないと思わないでほしい」といいます。
「子育てが始まるといろんな仕事をしている人と関わることになり、仕事で働いているときよりも広い世界が見えてきます。同じことでも子持ちがやっているということで、やり方が変わっていくんじゃないかと」(芝辻さん)
●育休をブランクにしたくなかった
芝辻さんがフェットを思いついたのは2015年。府中市が市民活動に助成金を出すようになったのもきっかけのひとつです。
「みんなで一斉に作品を展示して、情報をまとめたら、フェスティバル(芸術祭)ができるんじゃないかなと。そのときちょうど2人目が生まれるタイミングだったので、翌年から企画会議をはじめました」(芝辻さん)
芸術祭のヒントは府中ではなく、別府で見つけたものでした。
芝辻さんは2009年まで映像制作の仕事をしていましたが、結婚をきっかけに独立。実家を改装したギャラリーカフェを営業していました。その後、2011年の東日本大地震をきっかけに、別府と府中の2拠点居住をはじめます。
別府では地元のアートNPOの活動も定着し、若いアーティストの動きが盛んになってきたころ。「このまま別府で暮らそうか」と思っていたときに妊娠がわかりました。
出産と育児のため、別府への移住をあきらめた芝辻さん。しかし別府で知り合った美術評論家を通じて府中市美術館の学芸員と知り合い、府中のアーティストとのネットワークができました。地元でアトリエやギャラリーを構えるアーティスト仲間ができたことで「アーティストの拠点を結ぶ芸術祭のような催しができないか」というアイデアが浮かびます。
「アーティストだけでは運営できないと言われていたこともあったのですが、ギリギリのタイミングで(宮川)亜弓さんや運営事務に携わるメンバーが加わったんです」(同)
宮川さんは美術系広告代理店勤務。育休中に府中・大東京綜合卸売センターにカフェスタンドをオープンする準備をしていたとき芝辻さんと知り合いました。会社の経験から営業活動のアドバイスをするうち、いつしか主要メンバーになったそうです。
「育休は仕事に復帰することを前提としているので(育休期間を)ブランクにしたくないという気持ちがあったんですよね。自分のお店を持とうと思ったのもそれがあったから。同時期にフェットとつながって、輪に入らせてもらいました」(宮川さん)
●子育てという制約がむしろプラスになった
芸術祭のような大きな催しをイチから作るのは大変なこと。しかし芸術祭を終えて気づいたのは「『育児があるから休める』と言えるいうことでした」と芝辻さんは言います。
「一般的な芸術祭の場合、事務局の人はかなりの業務を抱えているので疲労や体調不良で倒れてしまうことがあります。芸術祭の運営に限らず、あらゆるクリエイティブな仕事に言えることだと思うのですが、私たちの場合は『子どもがいるからできません』と言いきれてしまう。無制限に24時間働くことが物理的に不可能なので、子どもに関わる時間が芸術祭の仕事からの息抜きになり、大変なストレスやプレッシャーを抱えながらでも乗り越えることができました」(芝辻さん)
多様なメンバーを抱えながら柔軟な運営ができたのは、フェットという芸術祭に大きな指揮系統がなくメンバーそれぞれの意思にまかせていたから。メンバーそれぞれの環境でできることを100%やりきった結果が、フェットという1つの芸術祭にまとまったといいます。
「わたしは自分がやりたい企画をやることで混ぜてもらっている。混ざっていくと、手伝ってくれる人があらわれて、もちつもたれつで企画を実現しあっていく。それは、このネットワークがないと実現できませんでした」(宮川さん)
「フェットの母体となる団体『Artist Collective Fucuh』が、メンバー1人1人がやりたいことを実現するための開かれたプラットフォームになっているわけです」(芝辻さん)
なおうまくいった理由はもう1つ、メンバーに共通して「夫の理解が深いこと」(宮川さん)も大きかったそうです。
●いまの環境が不満なら変えていけばいい
芝辻さんは府中出身、生粋の府中人。しかし子どものころからずっと「いかに府中を出るか」ばかり考えていたそうです。府中といえば競馬場、競艇、刑務所。つい近隣の国立や吉祥寺などと比べてしまい、あまりいいイメージをもてませんでした。
アートにふれたければ上野や丸の内、六本木などに出なくてはいけない。子どもがいるとどうしても都心から遠ざかる。それなら自分たちで府中にアートをもってくればいい。街の文化をつくっていけばいい。府中は創設1900年の大國魂神社をはじめとした歴史のある街。自分たちの力で府中にしかない文化をつくれたら。そんな思いが芝辻さんの源泉になっています。
「子供がいると地元につながりがある重要性がすごく増すんです。まちづくりというとなんですけど、空気を変える手伝いができたら」(芝辻さん)
今年のフェットは11月下旬から12月上旬に開催します。企画数は前回の約2倍にあたる60件、屋内会場だけでなく新たに路上パフォーマンスなども追加していきたいといいます。子育て中の女性たちがつくった新しい芸術祭、一度体験してみてはいかがですか。
暮らしと表現の芸術祭フェット
FUCHU TOKYO 2018
2018年11月22日~12月9日
fetetokyo.com
主催、運営:Artist Collective Fuchu アーティスト・コレクティヴ・フチュウ(NPO法人認証申請中)
取材協力:芝辻ぺラン詩子さん、馬渕愛さん、宮川亜弓さん、芦沢友紀子さん(順不同)
書いた人──盛田 諒(Ryo Morita)
1983年生まれ、家事が趣味。赤ちゃんの父をやっています。育児コラム「男子育休に入る」連載。Facebookでおたより募集中。
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