CRAYを離れたChen博士が手がけた
「SS-1」
今回の主題はSteve Chen博士のその後である。Chen博士の話は連載279回で細かく解説したが、もともとはCRIでCRAY X-MPの主任エンジニアを務め、CRAY Y-MPの開発を途中で降ろされ、CRAY-MPの打ち切りに反発して自分の会社を興した人だ。
彼は最終的にSSI(Supercomputer Systems Inc.)という会社を作り、ここでSS-1というマシンの開発に携わる。このSSIの出資者はIBMであった。なぜIBMが? というと、簡単な話でCRAYへの対抗策が必要だったからだ。
IBM自身も演算能力の強化には余念がなく、例えばIBM 3090という、1986年に発表されたシステムには、Vector Facilityというベクトル演算のコプロセッサーに相当するものが用意されていた。IBMが出した“Vector system performance of the IBM 3090”という論文では、このVector Facilityを利用した場合の性能を以下の表のように紹介している。
| Vector Facilityを利用した場合におけるIBM 3090の性能 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| ベンチマーク | ベクトル化率 | 演算性能 | 速度向上比 | |||
| Static Structual Analysis | 82% | 14.7MFLOPS | 2.03 | |||
| Black-Oil Reservoir Simulation | 80% | 8.4MFLOPS | 2.35 | |||
| Seismic Analysis | 82% | 16.9MFLOPS | 2.65 | |||
| Bucking Analysis | 60% | 8.5MFLOPS | 1.57 | |||
ベクトル化率は、それぞれのベンチマークの処理時間のうち、ベクトル演算化して処理できる時間の比率、速度向上比はVector Facilityを利用せずに3090単体だけで処理した場合と比べて、Vector Facilityを利用するとどれだけスピードアップするか、というものである。
結果はご覧の通り相応に高速ではあるが、絶対的な処理性能という意味ではCDC-6600よりはマシという程度でCDC-7600の36MFLOPSには遠く、ましてやCRAY-1の160MFLOPSははるか彼方であった。
そういう事情があったからこそ、IBMはFPSのFPS-164シリーズなどと組み合わせてLCAP(Loosely Coupled Array of Processors)を構築しようとした、という話は連載327回で解説した通りだ。
ただFPSのFPS Tシリーズは全然うまく行かずに失敗してしまったし、その間にもCRAY-1から始まるシリーズでCRIは着々と市場規模を奪っていたため、IBMとしてはなにかしらの対抗手段が必要であり、ここでCRIを見返してやりたいというChen博士の意向は見事にIBMの望むものであった。
最終的にSS-1がどういう形で構成される予定だったのかはさっぱり情報がないが、手頃なIBMのホストに接続される形で高性能なマシンが提供されるのであれば、これはCRAYの製品に対する良いライバル機になるからだ。
最終的にSSIはIBMからの資金調達が途絶えた結果として、SS-1の完成を待たずに倒産する。Chicago Tribuneの1993年5月7日の記事によれば、SSIはIBMから1億3千万ドルの資金援助を受け、その他に国防総省やボーイングなどの企業から合計2千万~3千万ドルを調達していたらしいが、これが全部水泡と化した形だ。
ちなみにこの記事によれば、製品完成までにはあと6千万ドルが必要だったらしい。このSS-1は、1GFLOPSのプロセッサーを64個集めた共有メモリー構成のものだったらしい。
詳細は不明なままなのであるが、セラミックベースのマルチチップ・キャリア(MCM)を採用したり、液冷にしてもCRAY-2のような単なる液浸ではなく、加圧冷却を行なうといった技法がとられていたらしい。
この加圧冷却というのは、冷却液に圧をかけてチップ表面に吹き付けることで、熱境界層(温度境界層と呼ぶこともある)を破壊して効率よく冷却するというものだ。
古いバイクをご存知の方だと、スズキの油冷のGSX-R 750のエンジンがこれを採用していた事を記憶しているかもしれない。
普通にチップを冷却液に漬けただけでは、チップの周囲に熱い領域が残ってしまい、これが冷却の阻害要因となっていた。これを温度境界層と呼ぶのだが、圧力をかけて冷却液を吹き付けてこの温度境界層を無理やり破ってしまえば、より効率よく冷却できるというわけだ。
加圧冷却や、セラミックのマルチチップパッケージは、そのままIBMに採用されることになった。例えばだいぶ後になるが、Power 5で採用されたMCMや、IBMが2000年に発表した64bit S/390プロセッサーモジュールがこの代表例だ。
画像の出典は、2000年10月に開催されたMicroProcessor ForumにおけるIBMの“The First S/390 64-bit Microprocessor”という発表資料。
大口出資者がIBMということもあり、完成しなかったSS-1や、開発された技術などはIBMがそのまま引き取ることになり、最終的にはIBMの資産となって生かされた部分もあるため、まるっきり無駄ではなかったにせよ、IBMにとって高い投資になったのは間違いなさそうだ。
1992年6月のCBR(Computer Business Review)の記事によれば、シングルプロセッサーモデルのSS-1はおおむね7000万ドルという話で、これが実現できていれば、確かにCRAY X-MPやCRAY Y-MPと比べてもそう悪い性能/価格比ではなかった。
ちなみにこの時点でSSIは300名の従業員を抱えていたらしい。それはオペレーションにかかる費用は半端ではなかっただろう。

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