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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第14回

過去に影響を受けていない作品などこの世にあるのだろうか?

五輪エンブレムに見る、世に出る作品はオリジナルという誤解

2016年03月02日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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Photo by Ian Burt

アンディ・ウォーホールとオリンピックのエンブレム

 

 2月22日(月)、仕事の合間にTwitterをぼんやり眺めていたら、以下のようなニュースが流れてきた。

 ひとつは「今日はアンディ・ウォーホールの命日」、もうひとつは「4点に絞り込まれた東京オリンピックの新しいエンブレムに関する意見を一般から募る方法が決定」というもの。この2つは妙に心に引っ掛かった。ウォーホール(1928~1987年)が30年以上前に提出したオリジナルに関する問題と、昨年の「パクり騒動」が鮮明な対比として想起されたからである。

2月22日、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は第11回エンブレム委員会を開催し、近く公表される最終4作品についての意見を一般から広く募ることを決定した。同委員会の公式サイトからの受付だけでなく、ハガキによる受付も実施するとのこと。募集期間は候補作公開から10日間ほどを予定

 筆者としては例のドタバタに関して当事者側の人物や団体を擁護する気はさらさらないけれども、短絡的というか盲目的な“オリジナル神話”のようなものが再び振りかざされるのかと思うと少々憂鬱な気分になった。

 オリジナルと模倣……。ひとくちに模倣と言っても、引用、改作、剽窃、オマージュ、リスペクトなどなど、どこまでが許容され、どこからが断罪されるのか? そしてそもそも、日々膨大な情報を好むと好まざるとにかかわらず“見てしまう”現代の情報環境において、“正真正銘のオリジナル”なるものがはたして成立し得るのかどうか? 今日はそのあたりをつらつらと考えてみたいと思う。

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