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情報の取り扱い説明書 2015年版 第4回

情報同士がつながり、新たな価値を生み出していく

効率化や合理化は敵? インターネットは無駄な情報に価値がある

2015年06月23日 10時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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意外な好結果を生む「セレンディピティー」という言葉

  「Serendipity=セレンディピティー」という言葉がある。日本語では「偶察性」と訳されたりするが、要するに「計画外の事柄が思わぬ好結果を生み出す」ということである。

 元々は「セレンディップの三人の王子たち」というペルシアの童話に由来する言葉で、セレンディップ(セイロンのこと、現在のスリランカ)の3人の王子たちが、いつも偶然に対して機知を巡らし、予期していなかった幸運をつかみ取ってしまうということから、英国の作家ホレス・ウォルポールが18世紀に命名した造語である。

Image from Amazon.co.jp
ホレス・ウォルポールによる「Serendipity=セレンディピティー」という概念のもとになった童話「セレンディップの三人の王子たち―ペルシアのおとぎ話 (偕成社文庫)」

 前回、ソーシャルメディアがマスメディア化し、その逆も起こる「メディアの液状化」が進行し、メディア特有の現象である「ニュースの製造」がますます加速していく世界で、あふれ返る情報に翻弄されないためには、個人個人が情報の入力を自在にコントロールする調整弁を持たなければならないと述べた。

 「あるときは無際限に入れ、あるときは徹底的に入れない」ことも必要であると。しかし、情報の過多に辟易しているのに、なにゆえわざわざ情報を摂取しなければいけないのか? それはひとえに、「Serendipity=セレンディピティー」の可能性を閉ざしてしまわないためである。

  「編集」の観点から言えば、すべての情報は相互につながり合っている。Aという情報はBという情報と関係しており、BはC、CはD……といった具合に無限の連鎖を形成する。

 従って、普通は別個の存在と思われているAとDを関連付けて新しい価値を創出することが編集のスキルであり、AがDと実はつながっていることを見抜ける洞察力と透視力が編集者のセンスであると言える。

 人間の中には旅行や読書、映画鑑賞、友人との会話などさまざまな機会に取り入れた無数の情報が蓄積されている。しかし、これらは普段は記憶の底に沈殿しており、何かのきっかけがなければ意識の表層に浮上してくることはない。

 そのきっかけとなるのが、何らかの連鎖性もしくは連想性を持った情報との偶然の衝突であり、そこからSerendipity=セレンディピティーは起動する。

 この「情報はすべてつながっている」という様態をテクノロジーによって可視化したものが、ほかならなぬWorld Wide Webである。

 ヴァネヴァー・ブッシュやテッド・ネルソン、ダグラス・エンゲルバートといったパーソナル・コンピューティングの父祖たちが着目したのもはまさにこの「情報はすべてつながっている」という事実。つまりハイパーテキストの概念であり、情報はすべてつながっているからこそSerendipity=セレンディピティーは可能になる。

 これを人間の関係に置き換えて考えれば(人間こそ情報の集積体である)、「6人程度の知り合いを介せば世界中の誰とでもつながってしまう」という有名な仮説「六次の隔たり」ということになる。

 TwitterやFacebookといったソーシャルメディアの思想の根底にはこの考え方があることは言うまでもない。

ウィキペディアの「六次の隔たり」より。6人程度の知り合いを介せば世界中の誰とでもつながってしまう」という、いわゆるスモールワールド現象。日本でも「世間は狭い」とよく言うが、背景にはこの人間という情報の連鎖性がある

(次ページでは、「編集と整理の違い」)

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