メディアが避けられない特質「ニュースの製造」にせまる
SNSの違和感は膨大な量のニュースと、日々届く無数の感動が原因?
2015年06月10日 10時00分更新
毎日届けられる「製造された感動」
長年私が生業としている「編集」という仕事などはまさに情報を扱うものだから、この感覚は非常によくわかる。ニュースはそこらへんに転がっているものではなく、掻き集めた断片を加工して作り出すものである。
そして、このプロセスがいまやわれわれが個人レベルで情報を発信するソーシャルメディアにも適用されている。もちろん、そのおかげでソーシャルメディアならではの視点や観点、それを表現する独特の言葉と口調が数多く生まれ、ネット文化を豊かに育んできたことは確かである。
しかし、他方で、製造された膨大な量のニュースに翻弄され、あるときは製造されたフェイクの画像や動画にあっさりだまされ、その見事な出来栄えの前で呆然と立ちすくむこともしばしばだ。
よくよく考えてみれば、本当に感動することなど一日のうちにそうそうあるわけはなく、ひょっとすると一生のうちに数回あればいいほうなのかもしれない。
とりたてて何も起こらない日もあれば、多忙や充実とは程遠い無為で空疎な一日もあるだろう(むしろ私などはそういう日のほうが多い)。しかし、われわれのもとには今日もバイラルメディア経由でさほど感動的でもない無数の「感動」が届けられたりする。
冒頭の部分でも述べたように、ニュースの製造はメディアが「不可避的に持っている特質」である。だから、個人のメディア化が進行すればするほど、ニュースの量は加速的に増加し続ける。
「Look Up」と「Look Down」の狭間に生きるわれわれは、この情報の奔流の中でどんな泳法を身に付ければいいのか? 次回以降もメディアと情報に関する考察を続けていくが、ぼちぼち何らかの対処法……、とまではいかなくても、身構え/心構えの一端くらいは示せればと思っている。
著者紹介――高橋 幸治(たかはし こうじ)
編集者。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプロデューサーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。現在、「エディターシップの可能性」をテーマにしたリアルメディアの立ち上げを画策中。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部にて非常勤講師もつとめる。
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