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仕事と生き方を変える、著名人の意見 第16回

オリンパス事件、日本と海外で反応に大きな差

今年の日本のコーポレート・ガバナンスの課題

2012年01月30日 09時00分更新

文● 橘・フクシマ・咲江

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 ※この記事は橘・フクシマ・咲江氏のメールマガジン「キャリア羅針盤 - グローバル社会を生き抜くために -」(「ビジスパ」にて配信中)から選んだコンテンツを編集しお届けしています。

 日本企業で相次いだガバナンス上の不祥事。日本のガバナンスにおける問題・課題は何か――キャリアやコーポレート・ガバナンスなど広く執筆・講演活動を行う橘・フクシマ・咲江氏が、Olympusの事件を引き合いに提言する。

 オリンパスの事件で、Michael Woodford元社長が、「proxy fight(委任状争奪戦)を諦めた」というニュースが流れた際、その理由としては、「日本の機関投資家の賛同が得られなかったから」ということで、「社長解任は不当であるとして、損害賠償を求めてロンドンの雇用審判所に訴状を提出した」ようでした。また、今回の出来事で「家族が大変なストレスを感じ、これ以上続けることはできない」という理由も挙げられていました。

Woodford氏の決定に対する内外での受け止め方の差

 このWoodford氏の決定に対して、日本と海外ではその反応に大きな差があります。 海外では、「やはり日本のガバナンスはダメだ」という反応。日本では、「諦めてくれたのか」という反応もあるようです。

 日本国内でも日本のガバナンスに問題があることは多くの人が認めるところです。 日経新聞の昨年12月の「社長100人アンケート」でも、日本の企業統治が欧米より「遅れている」と「やや遅れている」を合わせると42%になり、「進んでいる」「やや進んでいる」は1%にすぎなかったという統計を見ても分かります。

 とは言え、過去のガバナンス向上の努力は「自主的」に行ったとは言えず、外圧によるものでした。 日本の「失われた20年」の間に、新しいアイデアを導入するために積極的に「外の目」として社外取締役を入れた企業以外には、海外投資家の増加によって「内(日本)の常識、外の非常識」となっていることが指摘を受けるようになり、ガバナンスの見直しを検討せざるを得なくなったというのが正直なところでした。

 確かに、各国のガバナンスの制度比較でも日本の全員社内役員で構成されている取締役会は「外の非常識」になっていることが分かります。そして、グローバル企業として、投資家にとって魅力ある投資対象企業となるには「透明性」「独立性」を高める必要があることは自明の理です。

企業は誰のものか――「会社は公器」という考えが強い日本

 しかし、内外の議論の際には、前提を明確にする必要があります。 ここで難しいのは、議論の前提をどう置くかで議論がかみ合わなくなることです。

 先ず前提の1点目として、「企業は誰のものか」という考え方の差があります。 海外、特に欧米では株式会社は「投資家、株主、所有者、資金提供者」のモノという考え方が徹底しています。最近は多少の変化はありますが、stakeholder=shareholderという理解が一般的です。

 Stanford Business Schoolでも初めに習った「経営者の責任」は“maximization of shareholders' profit”ということでした。従業員や取引先はその価値を生み出す資源(resource)の一部であり、組織論等の授業も「profitの最大化のために社員をどう動機付けるか」という考え方が中心にありました。

 一方、日本では「会社は“公器 (public institution)”である」という考え方が強いようです。つまり、雇用維持も含めて「社会」に貢献する「公の器」である必要があり、そのstakeholderは株主だけでなく、従業員、取引先と言った幅の広い定義であるということになります。そして「公器」を「私物化」することに対する批判が強く起こります。

 どちらの国でも株式を公開すれば、“public enterprise(公開企業)”となるのですが、publicの捉え方は一方が「株の所有者」、他方が「一般社会」と異なるようです。これはどちらが正しいか、優れているかではなく、それぞれの歴史的、文化的経緯が背景にあるのですが、この前提を明確にせずに議論をしているとかみ合わなくなります。

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