「友達がいなくてもサイトなら作れた」
―― まずは経歴を追いながら、林さんの表現活動について教えてください。ネットでの活動は1996年スタートの「Webやぎの目」が最初とのことですが、当時はすでに社会人になられていましたよね。学生時代はどんな活動していたんでしょう。まだインターネットは一般的ではなかったでしょうから、ミニコミ誌やパソコン通信などですか?
林 大学時代は特に何もせず、鬱々としていましたね。友達いませんでしたから(笑)。何かを表現するという意味では、むしろ高校時代ですか。映画を作ったりマンガを描いて応募したりという活動をしていました。
ミニコミだと印刷が面倒くさかったり、友達を集めたりしなきゃいけなかったりするじゃないですか。そういう社会性がなかったんですよね。パソコン通信にも興味はありませんでした。そんな感じで大学を卒業して、パソコン通信で企業情報や新聞記事などを売る会社に就職したんですが、そこの研修で初めてやったくらいですから。
―― そこからインターネットで個人サイトを作ろうと思ったのは、どういう経緯からでしょう。
林 何かを作りたい、何かを作ってほめられたいという欲は持っていたんだと思います。都合のいい条件が揃って、それが表に出せるようになったんでしょうね。1996年頃、ASAHIネット(プロバイダー)に入っていたんですが、そこで5MBのWebサイトスペースが使えたんですよ。仕事柄HTMLは覚えていましたし、デジカメも持っていました。これだけ揃えば全部ひとりでできちゃう。誰にも気兼ねなくできるので「あ、ピッタリ!」と思った気がします。
―― 確かに、誰にも遠慮せずに自分を出せるというのは、Webサイトならではですね。マンガや映画よりも気楽にできますし。
林 そうなんですよね。特に最近思うんですけど、Webサイトは一人で作ったほうが絶対面白くなる気がするんです。仲間と作ると、ちょっと遠慮しちゃう、意見がぶつかって(相手に)合わせる、「こんなこと言ったら恥ずかしいかな」みたいな気持ちが入る。それでちょっとエッジが取れちゃうので、なるべく一人でやって妄想を形にしていくほうが面白いんじゃないかと思うんですよ。
そうやってエッジの効いた妄想を表現物として人に見せて、「これ俺!」と自慢したい。 当時からそういう気持ちがあったんでしょうね。
―― ただ、DPZや、2007年オープンの「東京カルチャーカルチャー」でのイベントなど、多くの人を巻き込んだ取り組みもされていますね。一人が好きだと息苦しく感じたりしませんか。
林 うーん、その2つに関しては(息苦しさは)ありませんね。でも、以前に雑誌で連載記事を書かせてもらったときは、勝手に気兼ねしちゃって、うまくいかなかった気がします。そう考えると、自分の意見やワガママが言える場所、制限なく自分を出せる場所というのが重要だと思いますね。たまに外の世界を覗いては、そういう場所を見つけて逃げ込んでいる感じです。
(次のページに続きます)
この連載の記事
-
最終回
トピックス
アンサイクロペディア“中の人”が語る、ユーモアの難しさ -
第99回
トピックス
マスコミが報じない“カルト”を記事に 「やや日刊カルト新聞」 -
第98回
トピックス
「もし森ガールが森へ入ったら」アサイさんの超地道な努力 -
第97回
トピックス
死刑は必要? 冷静に考えるためのWeb資料室「刑部」 -
第96回
トピックス
NTT研究者が“錯覚”サイトにかける純粋な感情 -
第95回
トピックス
ネットの「熱さ」、現代アートに――藤城嘘とカオス*ラウンジ -
第94回
トピックス
諸君!革命的美人ブロガー安全ちゃんに刮目せよ! -
第93回
トピックス
探検コムの「広く浅く」が深すぎる! -
第92回
トピックス
金髪ギャル語でニュートリノ、Shoさまが熱い! -
第91回
トピックス
「計画断水」知ってる? ネットで日本の昭和を振り返る -
第90回
トピックス
電子書籍を紙で売る! 「コトリコ」挑戦への道 - この連載の一覧へ