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松村太郎の“モバイル・ネイティブ”時代の誕生を見る 第8回

ケータイの進化をたどる回顧展に何を思ったか

2010年06月01日 12時00分更新

文● 松村太郎/慶應義塾大学SFC研究所 上席所員

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ケータイが一番輝いているのはいつか?

 話はMOBILE TIDE 2010に戻り、表参道ヒルズの展示スペースにある無数とも言えるケータイ。そこからは、ケータイのハードウェアの進化の時代を一望することができた。

 登場当初は手に余る大きさと厚さ、そしてハンドストラップがなければいわゆる電話の受話器のスタイルで通話することができない端末だった。もちろんネットもメールもできない。そんなケータイが手のひらに収まるようになり、液晶が2行になり、バックライトの色がカラフルになり、漢字が表示できるようになり、iモードが登場した。

ハンドストラップがついた端末から片手で握れるサイズへ。ダウンサイジングの流れは、アナログからデジタルへ、iモードへ、そしてFOMA端末へという進化の象徴でもある

 1991年から1999年までは、ケータイがポケットに入り、生活の一部になり、新しい情報端末へと進化するまでの進化を遂げてきたといえる。そしてケータイからインターネットにアクセスできる安価で誰でも使える端末は、世界中を見渡してもiモードくらいしかなかった。世界に受け入れられたかは別として、現在のモバイルインターネット社会を先駆けてきたのである。

 ここから先は、日本においてはドコモのケータイが必ずしもトップランナーではなくなった。カメラを搭載したのはJ-PHONEであり、デザイン性にまず本格的に取り組んだのはauであった。ハードウェアの進化は、切磋琢磨しながら現在のケータイにたどり着いている。

 僕も1996年に始めてPHSを持ったときから2007年までの10年間、6~9ヵ月のペースで機種変更してきた。1年にすると約1.5機種使ってきた計算だ。新しく買ってきた端末はピカピカで、新しい機能が入っていて、とにかく輝いていた。もっとも最初にアスファルトの地面に落とすまでは、の話ではあるが。

PHSからケータイに乗り換えたときに購入したデジタルムーバ P205と、その端末から乗り換えたiモード端末のN501i。とにかく折りたたみ型が使いたかったのを記憶している

 当時はハードウェアの進化に目を輝かせて機種変更していたわけで、一度落として外装に傷がついてしまった瞬間、その輝きは一気に色あせてしまい、愛着が引いてしまうという経験を何度もしてきた。だからといってもちろん捨ててしまうわけではなく、普段通りの地味なケータイとの生活が始まるだけだ。

 しかしスマートフォンは違った。落とそうが傷がつこうが、1年後が一番自分にとって使いやすく、より輝いているのである。買ってきてそのままの状態のスマートフォンはケータイに比べて使いにくく、しばらくは不平不満を漏らす事になる。しかし程なくすると、それがピタリと止まるのだ。

 ソフトウェアの進化に移行すると、大切なのは中身になる。中身が自分にフィットしている状態が一番使いやすく、愛着があり、自分の生活をサポートしてくれる感覚を覚える。ケータイは買ったときが最新であり、人間がフィットしながらつきあっていく存在だった。このパラダイムが終わろうとしている。

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