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第3回 鳥取編

「スタバのない県」鳥取で町並作りがまちづくりに!

温泉まち・鹿野町に相応しいWebサービスを考える

2009年12月15日 00時00分更新

文● Web Professional編集部

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「鹿野の魅力は何か?」――町並み作りがまちづくりに

 鳥取県にはスターバックスコーヒーがない。スタバの店舗数で都会度を計る「スタバ数」でいえば、鳥取県は100%田舎である。とはいえ、鳥取駅から湖山池を眺めながら山道を進んだ先にある鹿野町が都会になれるはずがないし、都会を目指すべきでもない。長尾社長がいうとおり、「鹿野で生まれて、鹿野で生きてゆくには、鹿野を売っていかんと。鹿野の魅力は何か。中心市街地ができんことをせんといかん」のだ。

 ふるさと鹿野の株式公募に多くの住民が応募したのは、「まちづくり協議会」いう土壌があったからだ。鹿野町役場が景観整備を進めるとき、住民参加型のコミュニティとして「やらいな、しょいなの会」(やろうよ、しようよの会)を作り、「鹿野らしさとは何か」が話し合われた。鹿野町の和風建築が立ち並ぶ田園風景に懐かしさと調和感があるのは、住民が交わした「町並み整備協定書」によって、「和風、格子戸、自販機は木で囲む」などの自主ルールが徹底され、いくら田舎とはいえ近代建築が少なすぎる、時代劇のセットに入り込んだような錯覚が起きるからだろう。

景観に馴染むよう、木で囲まれた自動販売機
景観に馴染むよう、木で囲まれた自動販売機

 とはいえ、すべての住民が町並み作りに協力的だったわけではない。「景観を整備して、何かいいことがあるのか」という意見もあったという。そこを「まぁみとってみなんせ。あんたんところの弁当が1日80個の売上げだとしたら、1日100個、200個になる」と、中心メンバーとしてプロジェクトを進めたのが長尾社長だ。「私の本業は建設業だけど、大量生産、大量消費、大量破壊では駄目だと思っとった。昔(高度成長期以前)のように、地元で採れた物を地元の旅館で出すことで、地域が活性化して鹿野らしさが出る」と考えていたという。

 ふるさと鹿野が運営するそば道場も、住民が考える「鹿野らしさとは何か」という議論から生まれた。温泉、鹿野城跡、そば、鹿野祭りなど、鹿野らしさを結集したのが鹿野町の観光資源なのだ。「スローフード」や「地産地消」といった概念をみごとに実践しているわけだ。

ふるさと鹿野のWebサイト
ふるさと鹿野のWebサイト

 まちづくり協議会の活動が始まった2000年頃、「スローフード」や「地産地消」の概念は今ほど盛んには使われていなかった。全国から視察が訪れるほど注目される鹿野町の町並み作りは、なぜ成功したのだろうか。長尾社長がいう「人を迎える温かさ、人のふれあい、人とのつながりを大事にするのが鹿野のよさ」という理由では実感がわきにくいが、「親しく挨拶しているので『さっきの人は誰?』と聞くと『いや知らない』なんてことがよくある」というエピソードであればわかりやすい。メンバーは地元出身者だけでなく、県外出身者も多かった。比較的時間に余裕のある自営業ではなく、勤め人の占める割合が多く、会合はいつも深夜まで及んだという。都会のように、隣の人とはゴミ捨て時に顔を合わせるだけなのではなく、互いの素性を理解し、ずっと同じ場所で生きていくことを前提に、敬意を持って他者と関わる地域のコミュニティが生きているのだ。

 こうして、鹿野町の「町並み作り」は「まちづくり」になった。今では鳥取市の一部だが、ふるさと鹿野を中心に、かつての「鹿野町」がしっかり生き残っている。因幡国(鳥取県東部)と伯耆国(鳥取県西部)を結ぶ街道だった「鹿野往来」が「夢街道ルネサンス」に認定され、関連イベントが増え、人通りも増えた。また、地元出身の演出家・中島諒人氏が常設の「鳥の劇場」を開設して、観光客が増えた。まちづくりが軌道に乗ると、ゴミ拾いが盛んになったり、何も言われないのに軒先を飾る家が増えて景観に磨きがかかった。イベントでは地元企業ではまかない切れないほどの弁当需要があり、泣く泣く鳥取市街の業者に発注することもあるという。「まぁみとってみなんせ」という長尾社長らの活動が、みごとに実を結んだのだ。

鹿野の町並み
鹿野の町並み

 では、Webプロフェッショナルは「鹿野らしさを磨き続ける」という長尾社長にどんなサービスを提供してサポートできるだろうか。

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