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第3回 鳥取編

「スタバのない県」鳥取で町並作りがまちづくりに!

温泉まち・鹿野町に相応しいWebサービスを考える

2009年12月15日 00時00分更新

文● Web Professional編集部

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 羽田発の飛行機に乗って鳥取空港まで約1時間40分。そこから国道9号線を自動車で約30分の距離に鳥取県鳥取市鹿野町はある。2004年11月、平成の大合併で鳥取市に編入される以前、鳥取県気高郡鹿野町の人口は約4400人。日本でもっとも人口の少ない鳥取県(約60万人)で、もっとも人口の少ない自治体だった。


鳥取県東部にある鹿野町。大きな地図で見る


 鹿野の観光資源は鹿野城跡と鹿野温泉だ。鹿野城は戦国時代、織田勢(羽柴秀吉)の鳥取攻略のとき亀井茲矩が入城、関ヶ原の戦後に近世的な山城として整備され、その子亀井政矩が津和野藩に転封されるまで、亀井家によるまちづくりが進んだ。ほぼ無名の城跡だが、礎石や堀が残っており、城山公園と呼ばれる鹿野城跡一帯は、「山陰の小京都」として知られる津和野ほどではないにしろ、江戸時代の厳かな雰囲気が残っている。旧鹿野町は島根県津和野町とは姉妹都市関係にもあり、作家の童門冬二氏が鹿野を「豆京都」と名付けるのもうなずける。

「豆京都」鹿野の光景
「豆京都」鹿野の光景

 鹿野温泉は戦後に開かれた比較的新しい温泉で、国民宿舎・山紫苑をはじめとした温泉施設や、近くには情緒のある城下町がある。山紫苑を運営するのは株式の過半を鳥取市が所有する第三セクター、株式会社ふるさと鹿野。「第三セクター」と聞くと、最近は地方のハコモノ行政への反省もあって、どちらかというと批判の対象になりやすい。ところが、ふるさと鹿野は住民も株式を持つ「地域興し企業」の性格が強い。ふるさと鹿野の長尾裕昭社長によると、「鳥取市への編入で城下町らしさがなくなる、鹿野町らしさが損なわれることを懸念した当時の鹿野町役場が仕掛けたのがふるさと鹿野の発端」だという。

ふるさと鹿野・代表取締役の長尾裕昭社長
ふるさと鹿野・代表取締役の長尾裕昭社長

 行政主導の都市計画では、しばしば東京の都市計画コンサルタントが主導し、地元よりは行政や政治のニーズをくみ取った計画が策定され、後戻りできない段階になってから住民向けの説明会が開かれる。しかし、鹿野の場合は違った。「計画段階から地域住民の声をくみ上げて練った」と長尾社長がいうとおり、「鳥取市に編入されたら、域内の住民が少ない支所(旧鹿野町役場)はやがて閉じられる」という危機感から、住民が連帯して合併直前の10月に設立された会社なのだ。株式公募では、鹿野町51%、その他49%という比率を維持するため、出資額を制限せざるを得なくなるほど、多くの住民が応募したという。

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