このページの本文へ

第2回 山口編

岩国市観光協会の贅沢な「悩み」

観光客増の岩国のWebが地味な「理由」とは?

2009年11月16日 12時00分更新

文● Web Professional編集部

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

毛利氏の岩国

岩国城
旧天守閣よりも錦帯橋側に新築された現在の岩国城

 戦国時代、この地を治めたのが毛利氏だ。ところが毛利氏は関ヶ原の戦で西軍の総大将に担ぎ上げられたため減封され、安芸、周防、長門、備中半国、備後、伯耆半国、出雲、隠岐、石見を有する大大名から、周防、長門の2国を合わせた長州藩の藩主となる。

 毛利氏といえば、毛利元就の3本の矢の逸話が有名である。しかし、長男毛利隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景のきょうだいが力を合わせよ、というこの話の結末は余り知られていない。

 まず、毛利隆元は元就よりも早くに死ぬ。毒殺とも言われるがよくわからない。関ヶ原の戦で西軍総大将に担ぎ出されたのは元就の孫の輝元である。次男の吉川元春の子、広家は東軍の勝利を確信し、徳川方と内通。毛利家の所領安堵の密約を黒田長政、福島正則から取り付け、毛利軍の参戦を阻み、東軍勝利に貢献した。三男の小早川隆景に子はなく、家督を譲った小早川秀秋が東軍に寝返り、東軍勝利を決定づけた。

 そういう事情で、毛利氏は外様大名になる。毛利家の所領安堵の約束は反故にされ、功により、吉川広家に周防、長門の2国が示されるが、毛利家存続を願う広家の懇願により、毛利家は周防、長門を治める長州藩主に、広家は「岩国領」の領主になった。

この連載の記事

週刊アスキー最新号

編集部のお勧め

ASCII倶楽部

ASCII.jp Focus

MITテクノロジーレビュー

  • 角川アスキー総合研究所
  • アスキーカード
ピックアップ

デジタル用語辞典

ASCII.jp RSS2.0 配信中