このページの本文へ

メジャーなビジネスのマイナーな事情

アキバ発アイドル撮影会を追え!(後編)

2008年06月18日 08時00分更新

文● 鈴木隆祐

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

仕事はやりながら覚える アイドルにとっても同じこと


 さらには、「どんな細かな仕事でも入れて埋めていかないと」という事情もある。金じゃなく、モチベーションの問題として、特にタレントにとって、スケジュールの空きは何よりの恐怖

前編で紹介した17歳の平松真実ちゃんも撮影会の後にサインに応じていた

前編で紹介した17歳の平松真実ちゃんも、撮影会の後にサインに応じていた。CDやDVDなど撮影するアイドルのグッズが多いらしい

 昨年、奇跡的な再ブレイクを遂げたルー大柴のマネージャーも、「基本的にどんな取材でも受け、隙間を埋めていく」と語っていた。かつてイエローキャブのタレントがすべての雑誌の表紙を占める、というのを全社姿勢としていたのも、どんな仕事でも認知を高める役割は果たし、小額とはいえ収入になり、何よりタレントに仕事をしている充実感を味わわせると、当時の野田義治社長がよく理解していたからだろう。

プレゼントを持ってきて、アイドルを喜ばせる参加者も多いそうだ

プレゼントを持ってきて、アイドルを喜ばせる参加者も多いそうだ

 そもそも女性が職業として素人向けの被写体になるなど、カメラが生まれてまもなくからあったろう(当時のモデルは芸者や娼妓で、どちらかといえば、有閑階級の密やかな楽しみだった)。だが、アイドルはあくまで握手会などのイベントで、不特定多数からフラッシュを浴びる存在だった。それが80年代後半、いわゆるブルセラ雑誌のモデル供給源となった事務所が、おニャン子に触発されたかのようにアイドル発掘プロジェクトを始め、そこで現在の地下アイドルにつながる撮影イベントも開催した。

 ともかくその頃から、歌謡アイドルは鳴りを潜め、バラドルやグラドルの時代となると同時に、多くの草の根アイドルが生まれた。そして、メジャーからも、そうした気運を吸い上げた一連のつんく♂のハロプロや、秋元康プロデュースによる「おニャン子の夢もう一度」のAKB48などの動きも出てきたのだった。

 去年紅白出場を果たしたAKB48も、2005年のデビュー時はライブにメンバー数ほども客が集まらず苦労したという。秋元がAKB48の本拠を秋葉原と定めたのも、そこで開かれる地下アイドルの握手会、撮影会に多くの若者が集まる様子を見て、新グループに熱狂的なファンを作るには最適な立地と考えたためだ。

カテゴリートップへ

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ