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石井裕の“デジタルの感触” 第16回

石井裕の“デジタルの感触”

視考のツール「MacDraw」

2007年11月05日 16時52分更新

文● 石井裕(MITメディア・ラボ教授)

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MacDrawによる視考の展開


 ところで、紙やホワイトボードにカラーマーカーで描いたスケッチは、編集/保存/共有などの点で多くの制約がある。入力スピードは訓練によって速くなるが、アイデアの発展に従ってそれまでのスケッチを再編集し、詳細化していくことには限界があるのだ。

 こうしたアナログメディアの「再編集」の困難さは、アイデアの継続的な発展にとって重大なボトルネックとなる。一方、デジタルメディアであるコンピューターは、アイデア記述の正確さを要求される下流工程に威力を発揮してきたが、入力速度というボトルネックから、上流工程で活躍の場がほとんど与えられていなかった。

 私は、デジタルの力を生かしてこの問題を解決しうる思考の道具として、Macを自分の頭脳や身体の一部のように駆使してきた。その誕生の直後からMacを選択した理由は、もやは伝説のソフトとなった「MacDraw」にある。じっくりとアイデアを練る上流工程での視考支援、そしてそのアイデアをほかの人々に伝えるための中流/下流工程でのコミュニケーション。その手段として、私はMacDrawを使い込んできた。

MacDraw

Example of Visual Thinking With MacDraw

 ベクターを基本としたCAD指向の図形エディターがMacDrawの本質であり、直線/四角形/多角形/円などの基本図形を組み合わせ、その縁や内部の色/パターン、重ね合わせやグループ化などのテクニックを駆使することで、驚くほど複雑な構造図を描ける。同時期に一世を風靡したとはいえ、ビットマップ描画を基本とした平板な「MacPaint」とは対照的である。

 MacDrawはベクターグラフィックスゆえに再編集が極めて容易であり、デザインの下流工程におけるプレゼンテーションにも十分堪えうる高精細な図形を出力できる。ただし、デジタルメディアの特性として入力速度にボトルネックがあったのも事実だ。

 アイデアをMacDrawの図形群に展開するまで、どうしても基本図形の組み合わせというパズルを解きながら視覚化していくため、その遅さが悩ましい問題となる。当然、考えるスピードと話すスピードに追いつくことはできないが、日々のたゆまぬ訓練がキーボードのブラインドタッチを実現するように、MacDrawに特化したマウス&キーボードの入力技術を磨き、描画スピードをかなりのレベルまで上げることはできる。

 さらに、何度も何度も再編集しながら長期的にアイデアを発展させる上流の思考プロセスにおいて、MacDrawの再編集機能が絶大な威力を発揮したことは言うまでもない。入力の遅さがもたらすデメリットは、これで帳消しだ。

 '80年代から'90年代前半にかけて私が考え、かたちにした論文は、その多くをMacDrawに負っていた。MacDrawを駆使した視考の技術により、アイデア改善の長い道のりを連続的に支援できた結果、アイデアが論文としてこの世に生まれたと言えるだろう。

 MacDrawという秀逸なツールは、長年にわたる私の視考の技術形成を助けてくれた。それは、MacDrawが「ClarisDraw」となり、「ClarisWorks」、さらに「AppleWorks」のドロー機能のひとつとなっても、視考のエンジンとしてその効果は現在に至るまで続いている。長年の蓄積は、おいそれとほかのソフトが付け入る隙を、私に与えない。もちろんMacDrawによる視考が可能となったのも、スクリーン上に視覚化された情報を直接編集でき、かつ見たままのイメージで印刷できる革新的なMacintoshというパーソナルコンピューターの誕生、そして、そのユーザーインターフェースの根底を流れる美学を持った設計原理のおかげである。若き日にMacに出会い、そして研究者人生をMacとともに歩めたことは、とても幸運に恵まれたと思えてならない。

(MacPeople 2006年10月号より転載)


筆者紹介─石井裕


著者近影

米マサチューセッツ工科大学メディア・ラボ教授。人とデジタル情報、物理環境のシームレスなインターフェースを探求する「Tangible Media Group」を設立・指導するとともに、学内最大のコンソーシアム「Things That Think」の共同ディレクターを務める。'01年には日本人として初めてメディア・ラボの「テニュア」を取得。'06年「CHI Academy」選出。「人生の9割が詰まった」というPowerBook G4を片手に、世界中をエネルギッシュに飛び回る。



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