丸の内LOVEWalker総編集長・玉置泰紀の「丸の内びとに会ってみた」 第15回
時代を先取りした提案でお客様を惹きつけるのがリアル書店の真骨頂。ブックミュージアム&ステーショナリーミュージアムを実現した「丸善 丸の内本店」壱岐副店長に会ってみた
丸の内LOVEWalker総編集長の玉置泰紀が、丸の内エリアのキーパーソンに丸の内という地への思い、今そこで実現しようとしていること、それらを通じて得た貴重なエピソードなどを聞いていく本連載。第15回は「丸善 丸の内本店」の壱岐直也副店長に、丸善の歴史や丸の内本店のコンセプトとこだわり、見どころ、「早矢仕ライス」などの名物、今夏のリニューアルについてお話を聞いた。
「丸善」の起源は明治維新後
すぐに誕生した輸入商社
――丸善は、早矢仕有的(はやしゆうてき)さんが1869年、明治維新の後すぐに創業していますよね。有的さんは美濃(現・岐阜県)のご出身で福沢諭吉の門下生だった
壱岐「本屋というより西洋の文化情報を輸入する会社として、1869(明治2)年に『丸屋商社』を創業しました。ファッションや食文化といった生活文化の情報と、西洋の情報を得る洋書を輸入したのがはじまりです」
――丸善は日本橋のイメージが強いんですが、創業は横浜だったとか
壱岐「もともとは横浜で創業して、翌年には日本橋に移りました。貿易的な意味合いから横浜で立ち上げたのですが、当時、日本の文化の中心は東京だったので」
――早矢仕有的さんは横浜正金銀行や株式会社なども作られましたね
壱岐「海外の文化や情報、経済などを取り入れて、それをもとに仕事としても、銀行、生命保険、株式会社などを実現していきました」
――丸善が今でも日本の書店の中ではいちばん洋書を揃えていて、万年筆など雑貨を扱っているのは輸入商社からの伝統を守っている
壱岐「近年はほかの書店さんも雑貨を扱っていますが、うちは創業当時から、輸入雑貨、輸入商材がセットなんです」
――「丸善」という屋号の由来には諸説ありますが、“丸”は地球を相手に商売にするから地球の“球”=“丸”からとったというのは本当ですか?
壱岐「グローバルに、世界に目を向けようという意味で具現化することを商売としてやったのが丸善です。『丸屋商社』の“丸”は、最初は地球の“球”で『球屋』としていたのですが、“たまや”などと読まれるため、わかりやすいように『丸屋』と変えました。『丸善』の“善”は、早矢仕有的さんの才能を見出した、郷里の庄屋で出資者でもある高折善六という方にちなんで、『丸屋善八』という初代の名義人の架空の名前をつけたことだと言われています」
歴史ある日本橋から
丸の内に移転した理由
――丸善の本社・本店は2004年にオアゾに移転するわけですが、歴史のある日本橋から移ったのはどうしてですか
壱岐「日本橋のビルが50年ほど経った頃で、ちょうど建て替えの時期が迫っていたんですよ。そのとき、三菱地所さんが、丸善を含めたいろいろな大型書店に『オアゾに店を出しませんか? 出すんだったらどんな店を出しますか?』とコンペを持ちかけた。今は丸善と一緒になっているジュンク堂さんや有名書店がこぞってみんな手を挙げたわけです。
丸善としては日本橋店を建て替えするので、どうしてもここに出たいというのもありました。 “ブックミュージアム”かつ “ステーショナリーミュージアム”というコンセプトで、普通の本屋じゃなくていろいろなものに出会えるような、おしゃれな本や文具雑貨も取り扱い、ギャラリーもつくると提案したところ、結果的にはそれを受け入れていただいて決まったんです」
――三菱地所が、金融街の丸の内をもっと人間の血の通った街にしたいという、90年代からやってきたまちづくりの流れにも合っていたんでしょうね
壱岐「三菱地所さんがオアゾの出店店舗を決める際にいろいろな書店を視察して回っていて、ちょうどそのとき私が福岡ビル店にいて、視察の方とお話ししました。
視察された方が、なるほど丸善はただの本屋じゃない。和書だけでなく洋書や生活雑貨、文具も扱っていてギャラリーもある。いろいろなものを提供、発信する場所だということを評価していただいたのかなとは思っています。福岡ビル店もそういう店でしたし」
丸の内本店のコンセプトとこだわり
“1階にビジネス書”の挑戦
――ここ丸の内本店は1〜4階にわたる巨大な書店ですが、全体像と店づくりのこだわりを教えてください
壱岐「全体の書籍数は約112万冊。和書が100万冊で洋書が12万冊ぐらいです。フロアごとにコンセプトがあり、色合いにもこだわっています。本屋って、どっちかというと明るくて白い、わりと無機質な内装が多いでしょう。でもうちは照明や色、素材にこだわって、お客様にとっても居心地のいい、いろいろなものを体感できるお店にしようということにこだわって店をつくっています。
フロアに御影石を敷いているんですが、1階は白、2階は少し女性を意識したやさしい色でベージュ、3階は落ち着いたブラウン系で4階はダークグレー。書棚など什器も、全体を合わせて見たときに違和感がないような色使いをしています」
――たしかに書店は普通、白くて無機質な感じだけど、丸善は高級感がありますね。1階がビジネス書中心なのも珍しい
壱岐「一般的な多層階の書店だと、1階に雑誌や文芸、コミックという構成だと思いますが、この店は東京駅の目の前という立地、大手町・丸の内というビジネス街なのでビジネス書を中心に売ろう、と。ですから1階にはあえてビジネス、経済、資格、法律と仕事に必要なものを全部置いています。これはある意味画期的なことだったかもしれません。
オープン当時は八重洲ブックセンターさんがすごく頑張っていらして、ビジネス書では日本一の売り上げだったんですが、それを3年ぐらいで抜いてから、ずっとうちが日本一です」
――狙いが見事に当たった
壱岐「当たりました。数千円もするようなビジネス書が、飛ぶほどではないにしても走るように売れますよ」
――ビジネス書はとにかくここに来れば手に入ると、お客さんも丸善で探そうとするわけですね。でも1階を地味な感じのビジネス書で固めるのは決断力が必要だったでしょう
壱岐「その決断はすごく早かった。多層階の本屋ですし、洋書も扱っているから、1階にビジネス書ということは最初に決まっていました。4階にカフェやギャラリーをつくるという決断もすごく早かったんです」
2階『EHONS』では絵本と
絵本のオリジナルグッズで新たな客層を
――2階は、雑誌やスポーツ、実用書や一般書、コミックのフロアですが、絵本と雑貨のコーナー「EHONS(エホンズ)」が面白い。これはどういう経緯で生まれたんですか
壱岐「この店を作るときの大きなポイントの1つが、ビジネス書、医学書と児童書に力を入れるということだったんです。今は土日の方がお客さんは多いんですが、当初は、平日はいいんですが土日はきつかった。だから土日も集客できる店にしようと、もともと児童書には力を入れていたんです。
子どもは1人では来ないので、必ず家族連れで来る。ご両親や、おじいちゃん、おばあちゃんも来る。子どもは1人でも、家族を含めると5人ぐらい一度に集客できますから。
『EHONS』は、2021年に2回目の東京オリンピックが終わって、オリンピック関係の売り場が空いたところをどうしようかなといったときに、絵本だけじゃなくて、そのキャラクターや世界観を具現化したものがあったら楽しいよねということで作ったんです。ネーミングやデザインはデザイナーと話しながら決めました」
――絵本はもちろん、グッズの数が半端ない
壱岐「反響が大きくて、丸善ジュンク堂書店の中に『EHONS』の売り場が拡大していますね」
『丸善の三階』は日本橋の伝統サロンを
令和バージョンに
――3階は、理工、医学、建築などの専門書のフロア。理工系の専門書の品揃えがすごいですね
壱岐「3階はいわば和書のグランドフロアで、500坪以上あって広く、理工、医学書から人文系までを揃えています。もともと丸善は建築書や理工系の専門書を出版しているので、そこは重視しています」
――医学書は丸善の歴史の一つ、日本の医学を支えてきたのは間違いない
壱岐「そうですね。昔は医学書の洋書はうちからしか日本に入らないので、皆さんたぶんうちから仕入れた本を読んでいたと思うんですよね」
――「丸善の三階」というラウンジも素敵です。Wi-Fi完備で仕事もしやすいし、東京駅の眺めも抜群
壱岐「大正時代、日本橋店2階の洋書売り場には来客用の椅子やテーブルが置かれていて、著名人や知識人が集まるサロン的存在でもありました。『丸善の二階』と呼ばれていて、よく利用する人たちの間では、『丸善の二階で会おうよ』みたいな場所。そういうものをここにも作ろうと思ったんですが、3階なので『丸善の三階』としたんです。
3階には東京駅に乗り入れする電車が見える『café 1869』もあって、こちらも人気です」
丸善らしさ満載の4階は洋書・万年筆・クラフト雑貨に
ハリーポッターの聖地も!
――4階は洋書に万年筆、さまざまな物販コーナーがあって、いかにも丸善らしいフロアですね
壱岐「ブックミュージアムであり、ステーショナリーミュージアムとしていろいろなものを提供するというコンセプトがあるので、4階では文房具や時計のほか、アクセサリーや焼き物、革製品、木工品なども扱っています。アーティストやクラフトマンの作品を提供する場でもありますね」
――万年筆をこれだけ揃えているところはなかなかないのでは
壱岐「日本橋店でも相当の種類を置いていましたけど、ここの万年筆売り場は見せ方も含めてかなり知恵を絞りました。万年筆は名付け親でもある丸善の1つのステータスですので」
※注:「万年筆」というネーミングは、明治時代に⽇本で初めてスタイログラフィックペンを海外から輸⼊して販売に力を入れた丸善の店員・⾦澤井吉さんの通称「万吉」に由来
――メーカーからしても、置いてもらわなければという売り場ですね
壱岐「メーカーさんによっては、文具店が出して欲しいって言っても断わられるんですね。どれくらいの歴史や集客があるとか店員のレベルを見ているんです。万年筆って、ただ置いても売れないんですよ、ちゃんとトークしなきゃいけないので。そういう意味では、この売り場はメーカーさんに評価いただいたうえで商品も出していただいているので、フルラインアップが揃っています」
――節目ごとにオリジナルの万年筆も出されていますよね。京都本店が舞台となった梶井基次郎の小説『檸檬』にちなんだ限定品とか
壱岐「一番売れたのは、そのオリジナル万年筆『檸檬-LEMON-』ですね。1999年の丸善創業130周年に初めて出したんですが、普通は軸の色が黒い万年筆をレモンイエローにしたのが画期的で、数ヶ月で完売しました。140周年(2009年)に2代目、150周年(2019年)に3代目を出しましたが、こちらは即完売。
また初代『檸檬-LEMON-』をベースにしたボールペンも、2007年の日本橋店リニューアルオープン記念に出しました」
――洋書売り場の「ハリー・ポッター」コーナーがまたすごい! 世の中には関連本がこんなにあるのかというぐらい揃っていて、ローブやマフラーもあるし、グッズも豊富。まさにハリポタの聖地ですね
壱岐「書籍が約126種類、グッズは約400種類並んでいます。SNSなどで知られているのか、ここを目当てに来る外国人の方も多いんです。今はインバウンド増加の影響か、土日は外国人のお客様の方が多いぐらいですよ」
丸善名物・ハヤシライスは
ゴルファーズ・ランチだった!
――丸善の名物といえばハヤシライス。4階「M&C Cafe」で味わえますが、そもそもの発祥は?
壱岐「1953年から提供していますので、約70年くらい前からですね。移転前の日本橋本店屋上に、日本で最初にできたといわれるゴルフ練習場があったんですよ。その向かいにゴルファーズ・スナック(クラブハウス)があって、そこでハヤシライスを出していました。お昼時には行列ができるぐらい人気で、ほかの定食もありましたが、ほとんどの人はハヤシライスを食べていたそうです」
――まさかゴルフ練習場から来ているとは! 丸善ではハヤシライスを「早矢仕ライス」と書きますが、早矢仕有的さんが考案されたんですか
壱岐「諸説ありますが、江戸時代に鎖国をした日本は離れ島だったこともあって、動物の肉をあまり食べる習慣がなかったんですね。でも、感染症や皮膚病には栄養素が関係していて、動物性タンパクが必要だ、と。医師でもあった早矢仕有的さんが、栄養を摂るために肉や野菜をごった煮にしたものをご飯にかけて振る舞った『早矢仕さんのライス』がルーツだと、私どもは理解しています」
――その後、世の中にハヤシライスはたくさん出てきますが、僕はここのハヤシライスが一番美味しいと思います。ちょっとビーフストロガノフ風ですよね
壱岐「黒くて甘い。いわゆる普通のハヤシライスのようにトマト味が立っているんじゃないんですよね。『早矢仕ライス』は現在、この本店、日本橋店、ラゾーナ川崎店、京都店で提供していますが、すべて日本橋店発祥の味を継承しています」
――『檸檬』にちなんだスイーツも食べられるんですよね
壱岐「『檸檬ケーキ』は私のアイディアなんですよ。梶井基次郎の『檸檬』にちなんでこういうものを出したらいいんじゃないかということで、丸の内本店で始めました」
オイルショックの就職難で再就職
洋書の営業から新店舗の立ち上げ役に
――壱岐さんと丸善の関係についてうかがいます。新卒で採用されてずっと働いているんでしょうか
壱岐「それがね、実はそうじゃないんです。就職する年がちょうどオイルショックの翌年で、私は化学系の会社の営業職に採用が決まっていたんですが、その影響で自宅待機になってしまいまして。当時社会問題にもなりましたけど、不景気だから何か月か採用を猶予するということでした。もちろん給料は3分の2ぐらいもらえるんですけど、4月から夏ぐらいまで自宅待機するうちに不安になってきましてね。
大学に電話と手紙で、採用を辞退したい、何か新しい就職先があれば紹介してくださいって伝えたんですよ。そうしたら9月に電話があって、丸善という会社が募集している、と。私は丸善という名前は知っていたけど、正直それほど行きたいという感じでもなかった。でも、本屋なら不景気に左右されないだろうと思って受けたんです。
募集は洋書を中心に売る営業職で、あいにく私は英語があんまり得意ではなかったし、就職難でたくさんの人が受けるから私のことは採らないだろうなと思っていたら、筆記試験の後、面接が終わった時点で採用が決まりました」
――運命、ですね
壱岐「それから丸善の福岡支店で洋書の営業をずっとやっていました。面接で英語は苦手だとはっきり言っていたんですが、あとで上司に『本当に英語が苦手なんだね』と言われましたね。でも仕事で慣れていけば、パッと見て理科系のこういう本だとか、英文学のこの作家だというのがわかるようになっていきました。あの頃、洋書は丸善がほぼ独占状態でしたから、いい仕事をさせていただいていました」
――店舗勤務はいつから?
壱岐「1989年に福岡イムズ店を出すときに立ち上げと初代店長を担当して、岡山シンフォニービル店などを経て、丸の内本店に来たのが2003年。翌2004年の開業を目指して立ち上げ準備から関わって副店長を務めました。2007年から新しい日本橋店の立ち上げと初代店長を3年ほど務めたあと、丸の内本店の店長として戻り、1年半ぐらい福岡のジュンク堂書店に行って、そのあとはずっと丸の内です。私は今71歳ですが、65歳まで店長、それ以降は副店長を務めております」
洗練された大人の街・丸の内の
お気に入りスポット
――丸の内との関わりは長いですね。この街はずいぶん変わってきましたが、印象はいかがですか
壱岐「通算15年ぐらいですかね。いつも仕事が終わって帰るときに丸の内と東京駅を左手に見ると、ビルがたくさんあるじゃないですか。それを見て『俺、都会に住んでいる!』って思うんです。宮崎出身で山や川に囲まれたところで育ったので、いまだにこの歳で、日本の中心であるこの街で生活している、働いているのはすごく気持ちがいい。
開業前は、ちょっと不安もありましたけど、丸善という本屋があるから街が活性化して、この後の新丸ビル開業へという、いい流れができたんじゃないかと。街はどんどんどんどんおしゃれに変化していっているし、丸善の土日も当初心配していたのが嘘のようにお客さんがいっぱいです」
――丸の内でお気に入りの場所はありますか
壱岐「丸の内仲通りと丸の内ブリックスクエアの中庭が大好きです。三菱一号館美術館のカフェやベンチがあって、緑も豊かで。洗練された都会、大人の世界という雰囲気が気持ちいいんですよね」
開業20周年・丸の内丸善は
リニューアルでさらに進化する!
――丸の内本店は今年9月で開業20周年、この夏に一部リニューアルするということですが、どのように変わるのでしょうか
壱岐「これからも丸善の創業理念に基づいていろいろな生活文化情報を支えるお店でありたい、あり続けたい。それは基本ですね。ただ時代とともに新しい文化が生まれて生活文化も変わってきていますので、柔軟に対応していく。
例えば、昔はマンガを『コミック』と呼んでいましたが、今は日本語も英語でも、外国でも『マンガ』。『ジャパニーズコミック』じゃなくて『マンガ』なんですよ。だから丸善では『マンガ』としていますし、洋書のマンガコーナーもどんどん広げています」
――洋書のマンガもかなり増えているんですか
壱岐「増えていますね。『マンガ』は世界共通語になっていて、それだけ日本のカルチャーとして認められている。だからマンガに限らず、キャラクター雑貨や文芸作品などいろいろなものを日本はもちろん、世界にも発信していきたいですね。今回のリニューアルでもその辺を増やしていく予定です」
――常に時流を捉えていく
壱岐「いつもレーダーのアンテナを張りめぐらせる。乗り遅れたらダメだし、時流に乗るというよりも、こちらが先頭を切るような気持ちでやりたい。マンガだけじゃなく、書籍だったりクラフトやハードだったり。そういったものも情報発信したい。
先ほども申し上げましたが、丸善は、リアルなブックミュージアムであり、ステーショナリーミュージアム。リアルの良さって、行かないと分からない、体験できないでしょう。例えばここではイベントの内容を2週間から1か月ぐらいで変えています。その方がお客さんも季節を感じたり、いつもは素通りするコーナーの中身がよく見えることで興味が湧いたりしますよね。だから今回のリニューアルでは、とくに3階、4階にはいろいろなものを提案する場所を増やそうと思っています。
今はネットで簡単に本が買える時代ですが、うちはやっぱり“リアル書店”として、こちらから提案する。お客様を待っているのではなく、時代を先取りした提案をして呼び込んでいきたいと思います」
壱岐直也(いき・なおや)●1953年生まれ、宮崎県出身。1975年「丸善 福岡支店」に洋書の営業職で就職。1989年福岡イムズ店初代店長を担当したのち、岡山シンフォニービル店、福岡ビル店などを経て、2004年から丸の内本店副店長に就任。2007年より新しい日本橋店初代店長、丸の内本店店長、福岡のジュンク堂書店勤務を経て丸の内本店店長を務め、2018年から現職。知識欲は、本を通してしか体験できない。それが読書の醍醐味で、好んで読むのは時代小説。部下をどう掌握して相手をどうやって攻略していくかというところは現代の処世術やビジネス書にも通じる。最近では澤田瞳子の作品など人間の心の葛藤などを深く描いた文芸作品としても楽しめるものが好き。
聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)●1961年生まれ、大阪府出身。株式会社角川アスキー総合研究所・戦略推進室。丸の内LOVEWalker総編集長。国際大学GLOCOM客員研究員。一般社団法人メタ観光推進機構理事。京都市埋蔵文化財研究所理事。産経新聞~福武書店~角川4誌編集長。
7月24日(水)~8月6日(火)の期間中、4階ギャラリーにて「リト@葉っぱ切り絵展」を開催。
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