2023年3月27日、中央省庁初の地方移転として、文化庁が京都に全面的に移転した。実はそこに至るまで、20年以上も前から府知事や市長、そして京都府民に連なる思いと誘致の努力があった。今回は、その文化庁移転の経緯と新庁舎、そして文化庁とともに進める古都の文化発信などについて、京都府 文化生活部の須田建太朗氏に、エリアLOVEウォーカー総編集長の玉置泰紀が聞いた。
ついに長年の大願成就!
文化庁が京都に移転
――文化庁の京都移転に対する思いは?
須田「もともと明治以前は、都(中央省庁)が京都にありました。だから地元の人たちにとっては、京都にはそういう文化が全部あるのだ、という意識もあったのでしょう。
だから、平成27年(2015年)に中央省庁の移転が発表された際にも、国の省庁が移転するのなら、やっぱり京都に帰ってくるべきだ、ぜひとも来てほしいと」
――明治維新で帝が江戸に移り、貴族の方々も大挙して東京に移られた。その視点からでは確かに「戻ってきた」という思いがある
須田「京都では『お帰りやす』と言った人もおられたようです」
――京都はやはり日本文化の中心地です
須田「(一極集中の)リスクヘッジという意味では、省庁の移転も民間同様に動いていました。民間企業も東日本大震災やコロナ禍になって本社機能を縮小、在宅勤務も行いつつ、東西どちらにも拠点を置く、みたいな様子になってきました。
それはテクノロジーの進歩によって会議システムが変化したり、インターネットの発展で場所を問わず仕事できる環境が整ってきたということです。
もちろん人と人のFace to Face、対面が大事なところはあるけれども、その部分をテクノロジーがカバーすることによって発展してきており、公務員の職場においても在宅勤務がだいぶ浸透しております。そういう意味では、今回の文化庁移転も、いろんなテクノロジーやシステムを使いながら行っておられると考えています」
――文化庁移転までの経緯を教えて下さい
須田「事の始まりは平成27年(2015年)3月、内閣府の地方創生という話からです。最初に京都府が『文化庁に来てほしい』と言い出したのは、平成14年(2002年)で(心理学者の)河合隼雄さんが、文化庁長官になった時ではないかと思います。河合さんが『自分が長官になるのだったら、文化庁を京都に置きたい』という考えをお持ちでした。
結局、その当時は移転が叶わなかったのですが、長官室分室を京都国立博物館内に設けて、そこでも勤務されていた。その頃から『文化庁を京都に』という要望を受けて、行政的に動きだしたというわけです。
河合さんが退官されても、京都府庁内に文化庁の分室を置いていたので、実はその頃から文化庁の機能は、もう京都にあったのです」
――現石川県知事の馳浩さんも、移転させたがっていましたよね
須田「馳・石川県知事さんが、文部科学大臣になられた時が転機でした。それまで移転の話は門前払いでしたが、馳さんの『京都移転、いいと思う』といったご発言が、それだったと思います」
――馳さんの大臣になったタイミングがよかった?
須田「そうかもしれません。平成27年(2015年)、内閣官房が東京圏を除く道府県に中央省庁の移転提案を募った際に、京都はオール京都で、文化庁の移転要望を挙げました。
他の自治体も、さまざまな省庁の移転要望を挙げましたが、結局、移転できない理由を挙げる省庁が多かったように記憶します。そうした状況で、『そんなことではいけない』と言って下さったのも馳さんです」
――西脇隆俊・京都府知事もそうですが、前府知事の山田啓二さんも長く関わって来られましたし、京都府としては平成14年(2002年)、京都国立博物館に長官室分室を置いてから、ずっと文化庁の移転に関わってきたのですね
文化庁の新庁舎は歴史的建物と
モダン建築の融合が面白い
――文化庁の移転が確定したのはいつ頃ですか?
須田「平成28年(2016年)3月です。そこから場所などの具体的な検討が始まりました」
――新庁舎は、旧京都府警本部本館の歴史ある建物と、現代的なコンクリートの建物が見事に融合していてカッコいい。あのデザインのアイデアはどこから?
須田「移転先が京都府に決まった時点で、既に京都府警察本部の移転話も進んでいました。ほかにもいろいろ候補は出たのですが、この旧府警本部本館の建物は歴史もあるので、文化庁が入るのにふさわしいと。
しかし、旧府警本部本館だけでは面積が不足するため、北側に新たに行政棟を建てました。デザインは、政府機関庁舎にふさわしい独立性とシンボル性を確保するため、文化庁利用部分が一体となるような工夫をしております。
旧府警本部本館は、昭和3年(1928年)に京都で行われた、昭和天皇の『即位の礼』に合わせて建設された近代化遺産で、あと数年で建立100年を迎えます。歴史的建造物を保存・活用し、そこに文化庁が入居している、という政策的な意図も込められています」
――新しい行政棟もコンクリートだけど風格があります。デザインのコンセプトは?
須田「新旧建物の調和です。国としての独立した庁舎にしたい考えもあったので、本館と合わせて3階まで統一感を持たせた格子のデザインは、京都の町家をイメージしており、空に溶け込むイメージで鉄格子のようなデザインにした上層階は、府が使っております」
――文化庁移転を機に、新たな文化財の活用例としてこの7月、府庁旧本館内にオープンしたカフェ「salon de 1904」もステキですね
須田「連日、とても多くの方々に来ていただいており、平日でもよく『カフェはどこですか?』と聞かれたりします。ここは、京都府人事委員会事務局の元執務室を改装・改修したもので、モダンクラシックな雰囲気です。実は私、この場所で勤務していたことがあります」
文化庁の移転の意義とは?
――実際に文化庁が京都に移転して、どんな意義を実感されていますか
須田「京都には長い歴史があり、それを積み重ねてきたことによって、文化の都として世界に向けて発信するには最適の地です。だから私たちも、その一助として文化をしっかりと発信していかなければならないし、文化庁から発信されることのお手伝いもさせてもらわないといけないと考えています。
文化庁もこの春に移転してきて、ようやく業務が落ち着いてきたのではないかと思います。中央省庁が地方に移転したのも初めてのことであり、地域の方と触れ合うことも、慣れてこられたところだと思われます」
――移転後、文化庁との付き合い方は変化しましたか?
須田「もちろん、東京にあった時よりは、ずいぶんと距離が近くなりました。ちょっとお話ししたいと思ったら、すぐ電話ができ、お会いできると実感しております。都倉俊一長官も京都に移住されて、こちらに軸足を置かれています。京都府内の各地域の実状を見て、感じてもらいたいです。京都市以外の地域はまだまだ知られておりません。京都には海はない、とよく言われるのですが、いやいやありますから、みたいな話です」
――海の京都、山の京都、お茶の京都…
須田「『竹の里京都』もありますよ。京都市内だけをフォーカスしがちですけれど、実は南北に長いので、やはりより深いところも知っていただきたいです。丹波の栗や、山城のお茶など、まずは親しみやすい食文化をきっかけに、行きやすいところから見ていただければ、と思います」
――文化庁と京都府の今後の動きは?
須田「まず、文化庁と府と市の若手職員とが、一緒にワーキングすることが始まっております。京都の文化をもっと知ってもらうための第1弾として、祇園祭の歴史などを勉強してもらい、今年は7月17日の山鉾巡行までのお祭り行事に、一緒に参加していただきました。業務とボランティア活動の両方です。今度は京都府内でも、もっと北部の方での行事に関わっていただきたいと思っております」
――文化庁が移転してきたことによって、祇園祭にもしっかり関わられたという手応えはありますか
須田「もともと伝統芸能、伝統文化という面では関わりがありますので。日本三大祭りのひとつである祇園祭に文化庁の職員が参加し、体験・体感することに意義があります。京都に移転されてきたのなら、それがすごく身近に体験できるので、そこで体験・体感したことを、今後の施策展開につなげていただけたらと思っております。
京都はもともと、そういうことがしやすい環境です。若手職員の方の中には、先頭で鉾を引かれた人もおられるのですよ」
――そういう実体験は大事ですよね
須田「お祭りって、外からは面白そうにやっているように見えるかもしれませんが、実は保存会の方が、衣装などさまざまな物を全部揃えたりと、下準備からとても手間暇をかけておられます。そういう見えないところに実際に触れて話を聞いてもらい、造詣を深めていただくのが目的でもありますので」
――祭りは街づくりの一環、コミュニティや街の人の営みからできているものですから
須田「保存会の人たちは、普段の生活の中にお祭りのことが溶け込んでおり、年がら年中気にかけておられるのです。もちろん、その1から10まで体験では触れてはもらえないのですけれども。
京都は、祇園祭だけじゃなくいろいろなお祭りがあります。また、京都特有の地蔵盆文化もあります。地蔵菩薩の縁日、8月24日頃に行われる、路傍にたたずんでいるお地蔵さまを子どもたちが供養する行事で、子どもを主役に、町内会が縁日などを行います。最近は、大人の地蔵盆もあって、それは飲み会だったりしますけど」
――京都市なども一緒に、オール京都体制という感じですか
須田「文化庁との若手交流会は、まずは取り組みやすい文化体験などから始め、プラットフォーム参画団体などと連携していろいろな取り組みを行うなど、将来的にはやはりオール京都で、垣根なく一緒に文化施策の展開を図れればいいな、と思っています。
プラットフォームは、観光協会、観光連盟、文化団体,経済団体、仏教会,神社庁に市町村会にも参画してもらっておりますので、地域の祭りや行事だけじゃなく、経済団体や文化団体などが行っている文化活動にも、積極的に参加していただけるような関係性を築いていきたいです」
文化庁京都連携プラットフォームの意義とは?
――行政、経済界、文化・観光関係団体などのオール京都で構成する「文化庁京都連携プラットフォーム」ではどんな活動を?
須田「本年3月に文化庁が移転されて来ましたので、京都で新たな文化振興政策につながるようなことをオール京都の体制で提案することを目指し、意見交換を行いながら、京都だけではなく全国各地に広がるよう、日本文化の新たな潮流を生み出す施策展開の検討を行うなど、さまざまな活動をしております。
今年度は、文化庁が食文化と観光の推進本部を立ち上げられ、『食文化推進本部』『文化観光推進本部』の事務局が京都に設置されましたことを受け、まずはそういったテーマによる新たな展開を模索する、ワーキングやシンポジウムを開催しているところです。
先日開催いたしました文化観光に関するシンポジウムでは、同志社大学教授の太下義之さん、経済同友会副理事の池坊専好さん、文化庁文化資源活用課長の齋藤憲一郎さん、タイムアウト東京の伏谷博之さんに参加していただき、全国の事例などもお話ししていただき、京都の地元と文化庁が協力しながら文化観光の推進を図れればと思っております。
また、今年度後半には、食文化をテーマにしたワーキングを行いながら、シンポジウムなどを開催していきたいと考えております」
――連携プラットフォームが機能して、これまでいろいろ取り組まれてきたことが立体的になってきた
須田「そうですね。このようなシンポジウムなどの取り組みにつきまして、プラットフォームが実施し始めていることや、今後の取り組みなどの活動を、しっかりと情報発信していきたいと考えております」
今後の京都府の取り組み
―――京都府として、これからどんな展開をしていきたい?
須田「食文化と文化観光は、京都にとっては親和性の高いテーマなので、継続的に文化庁と一緒に展開していきたいと思いますが、京都にはそれだけではなく、さまざまな文化があります。
それら文化について、各種団体それぞれの特色があるため、例えば、文化団体や経済団体が取り組みやすい文化ジャンルをテーマに、今までにない連携した取り組みを進めて行くなど、新たな連携事業などを考えて実施していきたいですね。
府内の地域でできることがあるなら、それは京都に限らず全国で展開できるじゃないか。ならば、それを文化庁の職員に見てもらい、施策として実施・展開していただくのも、ひとつの方法かなとも思います。それは京都の文化が広がっていくことにもつながるでしょう」
――今後の大きなイベントの予定は
須田「次は大阪・関西万博です。せっかく関西に多くの方が来ていただけるなら、本当の京都を見ていただきたい。文化もしかりですけども、産業経済の面でも2025年に合わせて、いろいろなことを検討しております。
伏見から夢洲への淀川疏水観光もおすすめです。三十石船を動かして、坂本龍馬の寺田屋とか、枚方とかを巡る淀川水運の観光というものもひとつ」
――僕は枚方なので″くらわんか舟″のくらわんか餅を食べていました。懐かしいし面白い
須田「もうひとつは、三川合流地の木津川の方に、いろんな文化財や史跡があります。恭仁京も木津地域にありますので、そうしたものと組み合わせた観光ができないかと。
例えば宇治だったら、昨年から復活した『放ち鵜飼』があります。鵜飼って普通、首に縄を着けますが、それをここで育てた鵜は縄なしでやるのです。卵から孵化させて大切に育てておられるので、不思議と逃げないのですよね」
――そして京都はサブカルの都。アニメやゲームなど、今の若い人が好むジャンルでも大いに魅力がある。その点で何か考えていることは?
須田「たまたまですが、私は以前、コンテンツ産業の部署で勤務しておりまして、アニメ、ゲーム、マンガ、映画などに関わっていたのです。
京都のアニメ会社と言えば、京アニ(京都アニメーション)だけというイメージもあるかもしれませんけれど、実は東京の会社の制作スタジオなどが、京都に多く移転しております。
ゲームも、もともと任天堂の本社が京都にありましたおかげで、小さな制作会社が50社以上もあります。どうして京都に集まるのかと思っておりましたら、京都には学生が多いのです。学生がいると、そういう文化に興味を持つ人も集まってきますから。
また京都は、街がほどよくコンパクトなのです。東京だとエリアも広く、会社が多く情報も多すぎて、目的の情報を得るのが非常に難しい。けれど京都は、自転車でも回れるようなちょうどいい広さで、情報なども集まりやすいのです。
また、仕事と教育にも適していると外国人にも好評なため、海外の情報も集まることが特徴です」
――鴨川沿いを歩く風景など、ドラマのロケ地でよく使われていて、来年は大河ドラマの舞台にも
須田「宇治市の『源氏物語ミュージアム』など、ゆかりの地を盛り上げたいですね。アニメツーリズムもそうですけれど、聖地巡礼が一般化する中で、そこにどこか文化施設を加えられたら面白くないですか。
だから今後、取り入れられそうなものを先に見ておく。こんなところが紹介されると分かったら、いち早く面白いことを仕掛けられます。制作側からは、なかなかネタの提供はしにくいとは思いますが、新しいアニメなども利用して文化と経済をうまくつなげていければいいと考えております」
「文化庁を京都に」。長年の悲願が叶い、ついに文化庁を迎えた京都府。日本随一の歴史を持つ街だが、地方都市の代表としても、その文化を伝えながら全国に展開できるような施策を、と常に頭を巡らせている。明治維新以来、初の中央省庁移転がどんな成果をもたらし、全国にも影響を与えるのか。オール京都による活動に注目だ。
須田建太朗(すだ・けんたろう)●1973年生まれ、京都市出身。1994年4月に京都府に入庁、商工労働観光部、人事委員会などを歴任し、2022年8月より現職。趣味は体を動かすことで、スポーツ全般。好きな言葉は「努力」。最近は「文化に関してもそうですが、古いことをそのまま行うのではなく時代の流れに沿って、新しい意見や考え方などを取り入れることが大切だと意識しております」。
聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)●1961年生まれ、大阪府出身。株式会社角川アスキー総合研究所・戦略推進室、エリアLOVEウォーカー総編集長。ほか、国際大学GLOCOM客員研究員、一般社団法人メタ観光推進機構理事など。座右の銘は「さよならだけが人生だ」。近況は、「大学は、京都の同志社大学で、生まれも京都に近い大阪府の枚方市なので、小さい頃から梅田よりも河原町に出ることの方が多かった。今は、京都市埋蔵文化財研究所の理事を務めていて、京都市内のすべての発掘事業に関わっている。京都市だけでなく、京都府にはさまざまな顔があり、今も足繁く通っていて、そんな京都に文化庁がやってきたワクワク感でいっぱいだ」。
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