エリアLOVEウォーカー総編集長・玉置泰紀の「チャレンジャー・インタビュー」第22回

危機にあえぐ観光王国・九州、復活のカギは観光資源の“商品力”磨き上げにあり! 「九州観光機構」の遠大なチャレンジ

文●土信田玲子/ASCII

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 昨今のコロナ禍でインバウンドを急速に失い、癒えないダメージを負ったままの日本の観光産業。かつての観光王国であり、県をまたいだ広域観光のパイオニア・九州が、この逆境をしのいで再び輝きを取り戻すため、「九州観光機構」が掲げる観光の未来像とは? 米旅行雑誌の読者が選ぶ世界の豪華列車で、2年連続第1位に選出されたクルーズ・トレイン「ななつ星in九州」の生みの親であり、現在は「九州観光機構」会長の唐池恒二氏に、エリアLOVEウォーカー総編集長の玉置泰紀が聞いた。

写真提供=JR九州

今回のチャレンジャー/一般社団法人 九州観光機構会長・唐池恒二

インバウンド3000万人の9割以上が消えたコロナ禍

――コロナ禍ど真ん中、2021年に九州観光機構の会長に就任された唐池さんですが、パンデミックの影響はどのようでしたか?

唐池「まさに私が会長に就任したのは、2021年6月。コロナ禍の真っ最中です。コロナ禍の影響を一番大きく受けた業界としては、観光産業、次に飲食業界。そしてやはり観光関係でもありますが、交通業界ですね。JR九州や航空会社も、かなり痛手を受けました。飲食店も含めて大きく観光関連産業とくくれると思いますが、それ以外の業界はあまり影響を受けていない。実はそういった業界の方が圧倒的に多いんです。

 日本がコロナ禍に突入した2020年、国の税収は過去最高でした。観光関連産業は壊滅的な打撃を受けたけれど、製造業や輸出関連業の業績は絶好調を示していましたから。特に飲食店と観光関連産業は、何かあれば人の移動が悪い、密になるのが悪いとされて、痛めつけられましたね」

――そうかもしれません

唐池「観光関連産業がどれだけの被害を受けたかというと、コロナ前の2019年にインバウンド、つまり訪日外国人の数は3000万人を超えていた。それが90%以上消えましたから。3000万人のインバウンドの方が、1人15万円の消費をすると考えると、経済的な損失は単純計算で4兆5000億円。それを宿泊施設や航空業界、鉄道業界など観光関連企業がモロに被っているんですよ」

――今や日本にとって観光は重要な産業のひとつ

唐池「それほどの大きな打撃を受けたコロナ禍で、昨年、私が九州観光機構の会長に就任しまして、コロナ禍からのV字反騰を狙おう、と。また、かつて観光王国だった九州の復興が、私の大きな使命だと思ったんです。

 よくウィズコロナあるいはアフターコロナで、観光をもう一度復興させる話がありますが、九州の場合は、コロナ禍からの復活・復興だけでなく、観光王国としても復興させようという、2つの意味があるんですよ。例えばインバウンドの元祖は、実は九州・長崎の雲仙なんですよね」

長崎の雲仙地獄 写真提供=(一社)長崎県観光連盟

――雲仙は外国人の家やクラシックなホテルがあったり、軽井沢のような避暑地ですね

唐池「明治の初めに、大勢の欧米人が中国、特に上海にやって来て、その彼らが夏、どこに避暑に行くのか?というと雲仙だったんです。当時、上海から長崎まで上海航路という船舶ルートがありましてね。船で長崎まで来て、そこからカゴや人力車、あるいは徒歩でいらっしゃったんです。鉄道もバスもない頃ですから。

 その雲仙がなぜ欧米人に知れ渡ったかというと、シーボルトさんのおかげなんですよ。シーボルトさんが長崎におられた時によく雲仙温泉に行かれて、ヨーロッパに戻ってから、いろいろな雑誌や書物に雲仙のことを書いてくださったんです」

――今でいうインフルエンサー

唐池「まさにそうです。それをご覧になられて中国まで来た欧米人は、ほとんど雲仙へ足を延ばしたんですよ。そして明治の中頃には、雲仙が結構にぎやかになりましてね。日本で最初の公営ゴルフコースや、テニスコートができたのも雲仙なんです。

 雲仙はヨーロッパのように屋根の色を赤茶色に統一した街並みで、まさにヨーロッパが、日本のここにだけあったんですよね」

――ステキなところですよね

唐池「また、日本の国立公園が最初に指定されたのは1934年3月。アメリカのナショナルパークをまねて、3か所指定されました。瀬戸内海、雲仙、霧島と、すべて西日本ですが、このうち2つは九州です。同じ年の12月、加えて5つ指定された中に阿蘇も入った。つまり1934年に指定された8か所の国立公園のうち、3つが九州なんです」

――すでに広域観光になっていた

唐池「そうですね。インバウンドの元祖の雲仙といい、最初に国立公園に指定された3か所といい、観光は九州から始まったんじゃないかと」

九州を観光王国にした将来を見通す先人たち

唐池「昭和になると、大分の別府に油屋熊八さんという、観光のカリスマ経営者が現れます。同じ頃、宮崎には岩切章太郎さんという宮崎交通の創業者も出ました。

 油屋さんは温泉施設やホテルを造るだけでなく、まちづくりを進めてこられた。当時としては進んでいますよね。観光地を広域に捉えて、まちづくりを手掛けたことは大いに評価したいと思うんですよ。一方で、宮崎の岩切さんは、バス会社の宮崎交通で、日本で初めての『バスガイド』を考案されました」

――すごいアイディアですね

唐池「岩切さんは『大地に絵を描く』と、よく言われていましたけれども、宮崎という広範囲で絵を描かれたんです。まるでキャンバスに絵を描くように。まず、南国風の植物を海岸沿いに植えられた。だから今も宮崎の風景写真を見ると、南国風の植物が育っていますよね」

――あの南国的風景はまちづくりの一環だった!?

宮崎の日南海岸

唐池「岩切さんは、宮崎の広域でまちづくり、地域づくりを行って、公園もたくさん造りました。単に宿泊施設を造るだけじゃなく、こうしてエリア全体を考えて取り組まれたことが、九州の先人たちにあるわけですよね」

――確実に唐池さんにつながっていますね

唐池「昭和の初めに、この2人のカリスマのおかげで九州の観光はどんどん伸びていく。一番伸びたのが高度成長期。昭和40年代半ば、オイルショックの前までですね。これはもう九州の観光の全盛時代ですよ。昭和48、49年にかけて日本の結婚組数は、1年間に約100万組。人口が減少している今年では、年間約60万組ぐらいです。

 当時はちょうど団塊の世代が結婚適齢期になった頃で、その約100万組のうち半分以上が、別府と宮崎に新婚旅行に来ていたんです」

大分の別府温泉

――それはすごいことです

唐池「別府から宮崎に渡るルートが、当時の新婚旅行の黄金ルートだったんですよね。九州はそんな観光王国だったのに、実はその後衰退してしまいます。海外旅行が広まって、大勢の人々が国内よりも海外へ行くようになり、また別府や宮崎以外にも、北海道や沖縄、長野の中央アルプスなど、新興の観光地が続々出てきたんです。

 それで九州の昔ながらの観光地、別府の街などは昭和50年ぐらいから、ずっとシャッター商店街が増えるばかりで。熱海も同じように廃れていきましたが、これには別の理由があるんです。別府にも熱海にも巨大なホテルがいくつかできましたが、巨大ホテルは街全体の繁栄を考えませんから。自分のところだけ良くなればいいと。例えば、そのホテルの中に、お土産物屋、バーやスナックも造ってしまう」

――囲い込んで外に出さないんですね

唐池「そう、人々が街を出歩かなくなるんですよ。もちろん私企業としては仕方ないのだけれども。本当は九州の先人である油屋さんや岩切さんのように、全体を考えたまちづくりの中で観光を捉えることをやっていかなきゃいけないのに。その失敗が衰退につながったと思います。

 そういう歴史を経て、九州で頭角を現し始めたのが由布院です。1985〜86年ぐらいから注目され始めて、平成に入るとまさにトップランナーになっていく」

――由布院は今や一大ブランド。黒川温泉も

唐池「由布院の数年遅れで黒川温泉が人気になりましたが、九州の人気観光地では、しばらくその2つしかなかったんです。

 そこで2005年に九州観光推進機構が設立されました。なぜかと言えば、九州は観光で負け組になったから、北海道とか沖縄のような勝ち組に少しでも追いつけ! 九州全体で取り組もうじゃないか! ということで、九州知事会で全知事が賛同して生まれたのです。それから17年間、よくやってきたと思います」

――九州全体で、というのは画期的でした

唐池「恐らくこういった組織が、大きなエリア単位でできたのは全国初だと思います。そこで、この機構は設立以来、徐々にですがいろいろな施策をひとつひとつ実行に移してきた。そして盛り上がってきたところにコロナが来てしまった、と。

 ですから私の使命というのは、先ほどもお話ししましたが、コロナ禍で壊滅的な打撃を受けた九州の観光のみならず、昔の観光王国だった九州を復活させる、復興させるという2つの意味の復興があると思っているんです」

まさかの「トム・クルーズ」!? 「ななつ星」ネーミング秘話

――西九州新幹線がこの9月に開通しました。かつて唐池さんが携われたクルーズ・トレイン「ななつ星in九州」ならぬ、「ふたつ星4047」も同時に開業。新幹線とほかの路線を組み合わせて九州を広域で捉えるのは、九州観光機構の非常にユニークで素晴らしいところですが、今後の取り組みもそうなっていきますか?

写真提供=JR九州

唐池「そうですね。11年前に九州新幹線が開業した時にも、鹿児島とか熊本から夏の大観光列車、私どもはD&S列車と呼んでいますけれども」

――デザイン&ストーリーですね

唐池「そうです。あの時に造ったのが、鹿児島から霧島方面への『はやとの風』、指宿への『指宿のたまて箱』、熊本からは天草方面へ出る『特急A列車で行こう』。またSLを走らせたり。とにかく“線”で機能している新幹線を、在来線の観光列車と結び付けることによって、九州一円、南九州一円に面として広げていこうという発想なんです。今回の西九州新幹線と『ふたつ星4047』も同じ発想ですね。

 もともと『ななつ星』も、九州全7県を輝かせたい思いを込めて造ったんですよ。『ふたつ星』は、佐賀と長崎。この2県にもっと注目してもらおうということで、実はネーミングも私がしたんですけどね」

――「ななつ星in九州」は、最初に唐池さんが「トム・クルーズ」と名付けようとした話がありますが、それは本当ですか?

唐池「よくご存知ですね(笑)。あの頃、デザイナーの水戸岡鋭治さんと名前を考えていて。だいたい週末、日曜の朝に起きて、夜中に思い付いた名前を伝えるんですよ。最初の案は『めぐり逢い』だったんですね」

――「めぐり逢い」と言えば昔の恋愛映画

唐池「はい。ゲイリー・グラントとデボラ・カーが豪華客船で出会って恋に落ちる。その時は、それぞれ別な恋人がいるけれども、半年後にエンパイアステートビルで再会するという映画ですね。

 それでクルーズ・トレインとして、映画のタイトルをそのままやろうかと水戸岡さんに電話したんです。ただ水戸岡さんという方は、正面からは否定しない。『いいですね』みたいな答えでも、全然いいと思ってないことが分かるので(笑)、また考える。

 そこで次に提案したのが『トム・クルーズ』です。クルーズ列車と考えたら、もうトム・クルーズしか出てこなくて、トム=TOMはトラベル・オブ・マーベラス、びっくりするような旅行ということで提案しましたが、これまたボツになりましてね。

 その後、マーク=MARK、メイク・アラウンド九州なども出しましたが、モノの見事に却下されました」

――それがなぜ『ななつ星』へと?

唐池「『ななつ星in九州』は九州の7県を巡ります。そして客車が7両。九州の7県と7両。7、7、7とつぶやいているうちに“ななつ星”、と思い付いたんですよ。レストランには二つ星、三つ星、ホテルには五つ星がありますよね。その上になるから“ななつ星”がいいな、と。

 また7から『北斗七星』も考えました。自分たちの夢、私たちが目指すもの、自分たちの方向を示すものという意味で。そこで北斗七星を辞書で引いたら、和名が七つ星。だから7つの県を輝かせて、7つの車両で、ということで“ななつ星”にしたんです」

――素晴らしいネーミングで見事に定着しましたね

唐池「ええ。この名前は本当によかったと思います」

リピーター増の決め手は営業力よりも商品力

――唐池さんは、九州観光のいろいろな施策にプラスして、“感動”を加えるとおっしゃっていますよね。まさに「ななつ星」のネーミングもそうですが、ストーリーやエモーション。つまり感動というものがしっかり経営の中に入ってきている。それは大変なことだし、九州観光機構のこれからにとっても大きいのではないですか?

唐池「実は機構の名前も変えたんですよ。2005年の設立当時から九州観光推進機構でしたが、22年6月、機構の総会で“推進”を取って九州観光機構にしたんです。

 推進というと、何かカッコイイ言葉のようですが、実は結果を求めない、当事者意識がないというか、お役所が使いたがる言葉なんですよね。だから私はこの言葉が好きではなくて、取っちゃおうと。

 そのうち玉置さんがおっしゃるように、九州感動機構に変えようかと。私は、推進も嫌いですけど、観光という言葉も嫌いです。観光よりも旅の方がいいと思いましてね。観光ってどうも薄っぺらな感じがして、やっぱり旅という深みのある言葉の方がいいなと」

――“旅”という方が、実際に旅をする人が見えてきますね

唐池「よく人生を旅に例えますよね。“旅こそ人生”とか。間違っても“人生は観光”だと言いませんからね。しかし観光だけは一応残さないかん、と思って残したんです」

――観光王国・九州復興を目指して、どんな取り組みや事業を行っていきますか

唐池「これまで九州観光(推進)機構は、プロモーションを中心に活動してきました。プロモーションとは、広告宣伝あるいはセールスです。一般的なビジネスで大切なのは商品力と営業力の2つ。商品力は商品そのものの価値、営業力は大きな広告宣伝したり、いろいろな販売促進活動ということです。

 でも、ひとつの商品が毎月毎年売り上げを伸ばしているとします。それはなぜかというと、広告宣伝、営業力を強化したからではないんですよね。

 例えば、最も広告宣伝に力を入れた当初は、ドッと皆さんの頭の中に入っていく。この商品はいいな、買いたいなと思うようなプロモーションをしますよね。もちろん、それでセールスは一時的に増えますけども、コンスタントに増えていくのはリピーターの力なんです。

リピーターになるのは、営業力じゃなくて、商品そのものが認められたから。営業力と商品力はどちらも大事ですけれども、売り上げを確保する、増やそうと思えば、最終的には商品力なんですよ」

――「ななつ星」は本当にリピーター率が高いですし、開業から時間が経つほど予約が取れなくなってますよね

唐池「私は若い頃、外食業界で経営をしていたことがありますが、飲食店も、一度そのお店に来られて、美味しい、満足感がある、お得であるとか、そう感じる店にはまた来られるけれども、いくら宣伝しても、不味い、サービスが悪い、全然お得感がない店には二度と行かないですよね。

 飲食店こそ、営業力よりも商品力。要するにお店そのものの値打ちです。観光にも同じことが言えるんじゃないかと。だから観光はプロモーションも大事だけれども、観光地そのもの、観光資源の魅力を磨かないと。“商品力”を上げないといけないよ、と言い始めているんですよ」

――結局、観光も行ってみて本当に満足できる「まちづくり」につながっていくということですか?

唐池「だから九州観光機構も、今年度から大きな方針のひとつに、観光をまちづくりと一体となって取り組むことを掲げています。

 観光の目的は?と聞くと、たいがいの方は交流人口の拡大っておっしゃるんですよ。行政の方は特に。人口の拡大のために観光を進めるんだと。でもその先にはね、もっと大きな目的があるんじゃないか、と。

 観光の始まりは、日帰り旅行だと思うんですよ。近場の美味しいレストラン、あるいは今の時期だと、紅葉がキレイな近くの山に行ってみようかとお出掛けになる。こういった日帰り旅行からスタートして、ここはいいな、長くいたい、もうちょっと見てみたい、あくる朝も見たい、あるいは朝食はどうなのかな、と思われると宿泊につながります。日帰りから宿泊に行って、宿泊が良かったなら連泊されますよね。そして来年もまたここに来よう、と」

――そうですね

唐池「由布院はまさにそういうところで、お正月に宿泊された方は、翌年も同じお正月の予約をされて帰るんですよね。これは日帰りから1泊、1泊から連泊、連泊からリピーターでしょう。リピーターが高じると、例えば沖縄などは2、3度観光旅行で行った方がここはいいところだ、過ごしやすいと思われて、リタイアしたら沖縄に移住される人が多いんですよね。

 都道府県別の人口には、自然増と社会増がありますが、社会増は移住して増えること。自然増は出産して人口が増えることです。沖縄は社会増が多いんですよ」

大分の湯布院温泉

――確かに沖縄でお店の方と話したら、実は東京出身も多いですね

唐池「2、3度行って、ここは住みやすいと思うと移住する。東京は別格としても、やっぱり沖縄、九州、あるいは福岡は結構社会増が多いんです。それは観光に行った時に、住んでみようかなと思うからです。そうすると、観光とは交流人口の拡大だけじゃなくて、移住まで見えているんじゃないかと」

――その街自体を好きになるのは理想ですよ

唐池「だから、そこに住んでみたいということですよね。交流人口の拡大の先には移住人口の拡大がある。観光の目的の究極は定住人口の拡大、移住者を増やすことです。

 そうすると、観光への取り組みが決まってくるんですよ。訪れてよしという訪問する方だけを待っているのではなくて、将来そこに住んでみたいと思わせるようなまちづくりをしていかないといけない。ただ沖縄に移住しても、リタイアしたとはいえ仕事がなければ、そこで暮らせませんからね。だからそこには雇用の場が必要です。

 だから住んでよし、訪れてよし、働いてよし。この“三方よし”がまちづくりには大切なんです」

――楽しいだけじゃなく暮らしやすさも大事

唐池「観光は、まちづくりと一体となって進めること、それは移住者を増やす、定住者を増やすことが究極の目的だから、ずっとリピーターを増やす必要があるんですよ。リピーターが移住者につながっていきますからね。そして一番ステキな観光資源は、歩いて楽しい街なんです。

 実は高度成長時代から、かなり衰退期に入った別府温泉も蘇っています。別府にはいろいろな温泉がありますが、歩いて楽しい温泉まちづくりをしたんですよね。別府八湯温泉という、歩いて8つのお湯を巡る企画でボランティアガイドも設けました。鉄輪温泉の道は石畳にしてガス燈を設置しました。そうするとね、別府全体ではまだまだですが、鉄輪温泉は復活したんですよ。

 やっぱり歩いて楽しいまちづくりこそ、訪れる人にも、住んでいる人にもいい。心地よい気分で散歩できる街には住みたくもなりますよね」

――実は最近別府に行きまして、地域の方といろいろお話しすると、大阪のアーティストが移住したなどの話が本当に多くて。別府ってやっぱり住みたくなる街だと感じました

別府市内の鉄輪温泉

唐池「本当にそうだと思います。先ほどお話ししましたように、高度成長期に巨大なホテルが、ホテルの中にお客様を囲い込んでしまい、街が廃れてしまったのですが、2000年以降、別府の志のある大旅館の主人たちが、街を歩いてもらえるように仕掛けていったから、今は歩いて楽しい街になったんです。訪れても楽しいし、住んでいる人も楽しい、と」

米旅行誌ランキングで上位に選出
世界中を魅了する九州の観光価値

――コロナで急減したインバウンドが政府の規制緩和で戻りつつありますが、今後はどうなっていくとお考えですか?

唐池「現在の状況が続くという前提でお話ししますけれども、22年10月11日から水際対策が緩和されましたよね。併せて国内旅行では全国旅行支援も始まりました。実は私、規制緩和開始の3日後に東京に行きましたが、泊まったホテルの宿泊客の7割が外国人。

 内訳を聞くと、さすがにゼロコロナ政策の中国は来ていない。驚いたのは、欧米人が多かったこと。韓国と欧米が多かったですね」

――世界中でコロナ禍中に行きたい国はどこかとアンケートを取ると、日本が一番だったとか

唐池「そうなんですよ。韓国でも、コロナが終わったら一番行きたい国はというアンケートで、1年前から日本という答えが多かったんですね。また日本の中でも九州が結構入っていました。

また人気旅行先のランキングで言うと、アメリカの『TIME(タイム)』誌の『2022世界で最も素晴らしい場所 50 選』に、グレートバリアリーフやバリ島と並んで“九州”が選ばれています。さらにアメリカの旅行誌『TRAVEL+LEISURE(トラベル+レジャー)』誌の『2022年に行くべきところ』でも九州がランクインしました。

 『Conde Naste Traveler(コンデナスト・トラベラー)』誌の『読者が選ぶ世界の豪華列車』では 、JR 九州の『ななつ星』が2年連続第1位に選ばれたんです」

――素晴らしい。まさに九州新幹線を造った時に、唐池さんが「次の夢は世界一の豪華列車、寝台列車を造ることだ」とおっしゃったことが実現しましたね

唐池「よくご存知ですね。このコロナ禍でも海外誘致部が本当によく頑張ってくれて、やっとそれが実を結んだのでしょう。九州観光機構では、これからも観光とまちづくりを一体と考えて観光資源の魅力を磨いていく。リピーターを確保して移住者をも増やしていく、という方向で取り組んでいこうと思っています」

 コロナ禍からの復活、観光王国・九州の復興を目指すには、先人が歴史に刻んだ「広域観光」「歩いて楽しいまちづくり」が要になる。日帰り旅行から宿泊、連泊から移住へと続く定住人口の増加も、観光産業の究極の目的だ。世界が認めた九州の発展は、先人たちの思いを受け継ぐ唐池氏、そして九州観光機構のチャレンジに託されている。

からいけ・こうじ●1953年生まれ、大阪府出身。1977年、日本国有鉄道(国鉄)へ入社。1987年、国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)に入社。「ゆふいんの森」等のD&S(デザイン&ストーリー)列車の運行をはじめ、博多~韓国・釜山間の高速船「ビートル」の就航に尽力。その後、子会社化した「JR九州フードサービス」の社長を経て、2009年6月JR九州の社長に就任。2013年10月から運行を開始したクルーズ・トレイン「ななつ星in九州」では、その企画から運行まで自ら陣頭指揮を執った。2021年6月一般社団法人九州観光(推進)機構会長に就任。現在に至る。

聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)●1961年生まれ、大阪府出身。エリアLOVEWalker総編集長、KADOKAWA拠点ブランディング・エグゼクティブプロデューサー。ほかに日本型IRビジネスリポート編集委員など。座右の銘は「さよならだけが人生だ」。 近況は、「12月23日に『戦国LOVEウォーカー(総編集長です)』を出しますが、パシフィコ横浜での『お城EXPO』にも参戦。観光のレイヤーとして、お城や古戦場など歴史的な記憶の場所を巡るメタ観光にハマっております。歴史の痕跡を知ることで、まったく違って見えてくるのも観光の醍醐味と思う、今日この頃です」。

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