iPhoneみたいな金融サービスいう“妄想”から始まった新プロジェクト
永吉氏は、2014年、福岡フィナンシャルグループの経営企画室にいた頃に、当時の社長からあるミッションを与えられる。“10年後の銀行がどうなっているかを想像して、今からどんなアプローチをすべきか考える”というものだ。
ミッション自体も大切だが、実はあわせて言われた、“既存の銀行の延長線上で考えなくていい”という言葉が重要だと永吉氏は語る。銀行は規制業種で、いろいろな法律や規制でがんじがらめになっている。そのおかげで安心安全に資産を預かっているが、今と同様の規制があるという前提では、10年後を思い浮かべても新しいことができないからだ。
とはいえ、チームで新しい何かについて考えはじめたが、そうそうぶっ飛んだことは思いつかない。いろいろな調査をしつつ、夜な夜なチームで飲みながら悩んでいた中、酔った勢いで思いついたのが“iPhoneみたいな先進的でイノベーティブな金融サービスができたら面白いよね”といういわば“妄想”の思い付きだ。
「当時、iPhoneは、デザインや操作性、アプリケーションやビジネス、何をとっても秀逸で、イノベイティブなサービスの代表格だった。そんな金融サービスを実現したら、めちゃくちゃ受けるのではないか」と永吉氏は振り返る。皆で酔いながら、そうだそうだと盛り上がり、その勢いでプロジェクトが立ち上がる。iPhoneをもじって、プロジェクトiBankという名前でスタートした。
「お客様起点」と「サービスイノベーション」にアプローチを定め、この2つを掛け合わせて新しいサービスを創ろうと、チームで、デザインシンキングやユーザーインタビュー、アンケート、観察などを重ねる。さらにプロトタイプを作り、フィードバックを繰り返した。そしてクリスマスイブに、新サービスを経営陣の前でプレゼンすることになる。2014年のことだ。
プレゼン後、経営陣に開口一番言われたのが「こんなサービス、誰が使うんだ」という一言だ。カチンときた永吉氏は「これはあなたたちが使うサービスではありません」と返す。これまで、やれ、お客様志向だと経営理念や戦略でうたってきた中で、お客様に寄り添って、ニーズを確認して、何度も壁打ちして作ったサービスの何が悪いのか、とも(小さな声で)重ねた。
啖呵は切ったものの、百戦錬磨の経営陣からリスクを筆頭としたさまざまな観点での質問が飛び交う。回答にてんやわんやになるが、最後には「はっきり言ってなんのサービスなのかよくわからん、これがうまくいくかもわからないが、こういうことをやらないと何も変わらないなら、やらせてみよう」という社長の締めで、プロジェクトは前に進んだという。
ネオバンクを切り開いたWallet+のリリース
こうして2016年の4月にできた新会社、iBankマーケティングは、銀行の内部のプロセスに時間を要したため、永吉氏のポケットマネーの1万円で半ば強引に設立。そして2016年の7月、ついに新サービスである「Wallet+」がリリースされた。金融サービスと、お得な情報やEC、ポイントといった非金融サービスをつなぎ、いわゆるネオバンクのサービスを日本で初めて展開したと自負する。今ではユーザー数は約250万に増え、12の地銀にも採用されている。
永吉氏は、サービスができあがっても歩みを止めない。このチャレンジを終わらせず、継続的な仕掛けができないか考えた。しかし、Wallet+をリリースしたばかりで、売上も立たないし、投資してお金もない。永吉氏は、すぐ変えられる「ソフト」の面から変革することにした。
まずは服装だ。金融サービスにおける最低限のクオリティを維持しながら、自分達でルールを作り、カジュアルな服で、より良いアイディアが生まれるように変化させる。現在は、他の銀行でもビジネスカジュアルを始めている。
もう一つ、ソフトの観点ですぐできることとして、スケジュール管理を見直した。これまで銀行の外に出ると、システムがつながっていないので、スケジュールや、誰が何をしているのが把握できなかった。そこで「LINE WORKS」を導入することにする。
新しいサービスは特に年配世代が使い方が分からなくなるため、老若男女誰でも使っているLINEと同じUIのLINE WORKSを選択したという。簡単にスケジュール確認やチャットコミュニケーションができ、今まで電話を取り次いだらメモを残していたのが、メッセージを送るだけで済むようになった。また、スタンプもカルチャー形成に寄与したという。
ハードに関しても、アイデアを生まれやすい空間になるよう工夫した。何とかコストを抑えられるよう、IKEAの椅子に全部座って、安くて良い椅子を探したりもした。そして、ソフトもハードも整ってくると、行動も伴わせようということで、世界最大級のFintechのイベント「Finovate」に登壇し、日本企業として初めてプレゼンをした。