◆Modulo誕生の歴史を振り返る
そんなModuloは、どのようにして誕生したのでしょう。土屋氏、福田氏、湯沢氏に話をうかがいました。
土屋氏によると、2009年のリーマンショックの頃にさかのぼるそうです。「それまでは研究所で橋本 健さん(第3期Honda F1の開発責任者)から“市販車の開発をやるか?”と言われたんですけれど、2010年に吉田さんが研究所からホンダアクセスに移って。ホンダアクセスって何ですか? とたずねたら、すごくムッとされましたね(笑)。その時にModuloのエアロとかを持ってきてどう? というから「カッコ悪いね」と。“じゃ、うちの開発をやらない?”というのが始まりですね」。これが土屋氏とホンダアクセスの出会いだったとか。
福田氏は「自分がホンダアクセスに来た時に、同じホンダの従業員として入ってきて、やっぱりクルマ1台の開発をやりたかったという話をよく聞いたんですよ。“いや、できるでしょ。お客様に響くものを作ればね”って思ったんです。オートサロンとかでコンセプトカーを出しているので、ハリボテではなく、走れるクルマにして、自分たちのコンセプトとお客さんのコレを作ってほしいというのが響けば、もしかしたら完成車として、工場で作れるかもしれないって」。
こうして土屋氏と福田氏によるクルマづくりが始まりました。「カッコいいかカッコ悪いか、乗りたくなるか、乗りたくないか。最初はそういうところからですね。土屋さんからは最初『カッコ悪いエアロ作ってもダメだろ、誰でも近寄るようなカッコいいやつを作れよ。近寄ったら、ドアを開けるとカッコいい車内が広がって。そしたら今すぐ走りたくてしょうがなくなるから。いくら機能性がいいと言われても、カッコ悪いと誰も買わないよ』と言われましたね」と、開発初期の頃を振り返ります。そして「土屋さんは気さくな方で、こちらも惹かれていきました。今ではなくてはならない人ですね」と語ります。
最初に選んだクルマはN-BOX。その理由は「売れているクルマだから(笑)」だったと福田さんは笑います。もちろんそれだけではなく、経営陣などの判断もあったのは言うまでもありませんが。そのうえで「小さい車両って簡単そうで難しいですからね。軽自動車で行けるところまで行くというのがいいんじゃないかなと思ったんです」という技術的課題に挑戦する意味合いもあったのだとか。
ブレーキなど制動関係が専門の湯沢さんが開発に関わるようになったのは、この頃だとか。「ちょっと開発中のクルマに乗せてもらったんです。セッティングをしている時で、その時に“なんじゃこりゃ!”と思ったんですね。なんでN-BOXがこんな動きをするんですかって。それからドハマリして。それから福田さんとやらせてもらうようになりました。ですから自分から飛び込みました(笑)」と志願して加入したことを告白。「クルマ好きはそうかもしれませんね。自分から入ってきて、自分の主張をして、ダメ出しをされて成長するんです」と、福田さんは優しい目をして語ります。
それは今も変わらず、Modulo開発の人選はズバリ情熱なのだとか。「俺はコレがいいと思って動き出せるヤツかどうか、ですよね。若い人はあまりそういうのを表に出さないけれど。でも、やらせてみたら熱量がすごいってよくありますよね」。
◆開発はファンの声が大きな力になる
開発において、土屋氏はイベントの影響力が大きいと語ります。「コロナ前まで全国でModuloのイベントをやってきたことが大きなパワーになっていますよ。お客様の声がきけますし。たとえば、S660とか半分以上の方がリミッターを外すだろうという提案を2人したりして。Honda車を買う人とModulo Xを買う人は、絶対に飛ばす人だろうな、という想定で作っていますよね(笑)。お客さんの気持ちを知って作る。自分たちが勝手に作ってこだわっていると言ったってダメなんですよね」と語ります。
それを受けて「リミッターを外されるという話を聞いて、自分たちも外して鷹栖で180km/h近くまで出して、その領域で耐えるエアロを作ろうと思ったりしましたね」(湯沢氏)、「お客様から文句を言われることもありますし、土屋さんもほかの会社から色々聞かれると思うんですよね。ですけれど、色々とご意見をいただくことは、自分たちにとって励みになりますね」。情熱のあるクルマ好きが、クルマ好きに向けて作るクルマ、それがModuloです。
開発は市販車をベースに、デザイナーも含めて走り込みを徹底的に行なわれます。それゆえ、市販車が出るタイミングでModulo Xグレードが登場することはなく、ユーザーからすると”後出しジャンケン”みたいな状況になりがちです。
湯沢さんは「市販車が出てからの方が開発がしやすい、というのはあります。何より一般道が走れるますから、お客さんの領域を知ることにより課題がみえてくると思います」だそう。開発は鷹栖で、最後は群馬サイクルスポーツセンターで確認するのだとか。「土屋さんのHotVersionが大好きで、お客さんにもイメージしやすいですね(笑)」と湯沢さん。
「ここは普通のサーキットとは違い、路面が多彩ですし、荷重変化が激しい場所です。そこで速度を上げるなんてとんでもないことだけど、そこで運転しやすいというのが、一般の方が普通の道で走った時のメリットになります」(福田)とのこと。
テストは過酷なようで、土屋氏によると「酷い時は2泊3日とか、集中的にやりますよね。鹿が出てきたりしますけれど、予想外のことが出てきた時にどうなるか、というのもテストですからね。そのクルマの限界に達した時に、危険な動きをするかしないかというのが一番重要です。そこ限界スピードでいかないと、そこは見れないですね」
こうして作られるModulo Xは、エンジニアを育てる場であるという。「最近は効率だけを求められるので、試す機会を与えられていないんですよ。色々試させて、我々が見て回って、教える。Moduloは人材育成の場でもありますね」(福田)。今後は湯沢氏をトップに、若手エンジニアが前出の補強車両のように様々なトライをして、その開発体制は次の世代へと受け継がれていくのでしょう。
◆醒めている人は合わない職場
Honda純正アクセサリーアンバサダーとして、この日のイベントに参加した大津氏。土屋氏とは、ARTAの監督とドライバーの関係でもあります。ならば土屋氏の人材育成を兼ねて、大津氏がModuloの開発に関わる計画はあるのでしょうか? 土屋氏は「本人が望めば、ですけどね。市販車に興味があれば、向こうから入ってくると思いますよ。そうしたらウェルカムです。逆に上から言われたから仕方なく来ましたというのは、上手くいかないと思います。だいたい醒めた人間は、この人たちと合わないですよ(笑)」。ドライバーのセレクションも、Modulo流儀を貫かれるようです。
これからのModuloについて土屋氏は「時代がEVになっていくし、ハイブリッドも残ると思いますけれども、そういったものに対して、やっぱり実効空力が、かなり効いてくるかなというのはありますね。」と空力の重要性を解きます。福田氏は「これからも土屋さんに怒られ続けてくれるかなと。怒られるということは、可愛がってくれているということなので、真摯に受け止めて、それに応えるだけのこだわりを湯沢がやっていくと思います」と笑顔をみせました。
◆Moduloの火を消してはならない! 早く新型車を出して!
そんなModulo Xシリーズですが、現在販売されているのはFREEDのみという寂しさ。VEZELもSTEP WGNも新型が登場していますし、さらに言えばCIVICも出していますが、すべてModulo Xグレードは登場していません。
実は、VEZELは開発していたのですが、半導体不足や不安定な海外情勢などによるVEZEL自体の生産の遅れから、2022年12月1日に発売中止のアナウンスがありました。Hondaの納車遅延は、現在だいぶ改善されたという話ですし、旧VEZELオーナーからも「出してほしいですね」という声が聞かれたのですが……。
この日はオフ会取材とは思えないほど多くの報道陣が群馬に集まりました。それは「今回のイベントで隠し玉(=新型車)があるのでは?」という期待の現れだったのですが、残念ながら大本営発表はなし。大規模オフ会なら「次はコレを出します!」というアナウンスを、オーナーたちも期待されていました。それは開発陣と広報部も同じ。
ですが、言えない理由として様々なオトナの要因があるようで、土屋氏も「皆さんの声が次につながります」と、内に秘めたる思いを吐露します。ならば、代わりに言わせていただきます。「Hondaよ、Moduloの火を消すな」と。
長年Hondaを見ていると、この会社は「速く走ることには一所懸命だけれど、ファンと一緒に応援したり楽しんだりという部分が弱い」のように思います。Hondaの強みを活かしながら、弱い部分を補うModuloブランドは、ホンダアクセスのみならずホンダグループにとって大きな財産ではないでしょうか。
10年かけて築き上げたユーザーの信頼や期待を、一時の経営判断という“オトナの事情”で失ってよいハズはありません。会場の熱気に触れた人は、早く次のModuloを出してほしい思いを強く抱いたことでしょう。その思いと熱を“偉い人”は真摯に受け止めてほしいと願わずにはいられません。
そういえば、そろそろN-BOXが出ますね。11周年の第1弾として、新型N-BOX Modulo Xを期待していいですか? Modulo Xの第一弾がN-BOXだったことですし。