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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第628回

CPU黒歴史 周回遅れの性能を20年間供給したItanium

2021年08月16日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII

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開発の遅れが致命傷となったTukwila
多くのベンダーがItaniumに見切りをつける

 Montvaleの後継であるTukwilaはいろいろ苦難の道を歩むことになった。インテルとしては、Xeon系列とItanium系列で別々のプラットフォームなのは無駄に開発や検証コストがかかるだけであり、早い時期にこれを一本化したかった。

 最初にこれを実現しようとしたのがRichfordプラットフォームで、おそらくQPIの原型になるI/Fを利用したものだったと思われるが、これは2005年にキャンセル。2006年にこれの後継としてRosehillプラットフォームという名前も出てきたが、これもいつの間にか消えてしまった。

 ちなみにRichford/RosehillはItanium側のコード名で、Xeon側はこれをReidlandプラットフォームと呼び、これのチップセットがWhitefieldだったが、これらはすべてキャンセルになった。

 この結果として、Montvaleの時点でもチップセットそのものはMckinleyと同じIntel E8870であり、さすがにプラットフォームとして陳腐化が激しかった。結局、インテルのチップセットを使っていたIBM/Dellは早々とItaniumから撤退。残るベンダーは自前チップセット(HP/富士通/NEC/日立/SGI)を使うか、他社のチップセット(UNISYS/BullがNEC、シーメンスが富士通)を使うか、といった状況になっていた。

 TukwilaはFSBからQPIにI/Fを変更することで、こうした状況を改善する予定であった。ところが当初2007年中にリリース予定だったTukwilaは、まず2008年末出荷になり、ついで2009年半ばを経て、2009年2月には改めてデザイン変更のため遅れるとアナウンス。最終的に2010年2月にやっと出荷になった。

 内部そのものは90nm→65nmへの微細化、これにともないコア数の増加、3次キャッシュの容量増加、それとQPIの実装が主なポイントで、なぜこれで3年も遅れるんだ? という感じであるが、ダイサイズは700mm2を超える巨大なものだっただけに、いろいろ苦労はあったのだろう。

 ただこの3年の遅れは致命的で、多くのベンダーがItaniumに見切りをつけるのに十分な期間であった。すさまじく印象的なのはNECである。もともと同社はACOS-4シリーズというメインフレーム用に、2001年まで独自のプロセッサーを開発していた。

 2001年のものはNOAH-5という180nmプロセスで製造されたCPUであるが、この後NECはItaniumでNOAHのエミュレーションをする形で新製品を投入していた。ところがさっぱり出ないTukwilaにしびれを切らしたのか、2011年に40nmプロセスを使ったNOAH-6を開発、ACOSシリーズの新製品をこのNOAH-6に切り替えるという荒業を成し遂げる。NOAH-6は中身はNOAH-5のままでプロセスを微細化しただけに近いのだが、こういう形でNECはItaniumから手を引くことになる。

 もうこの時点で主要な顧客はHPしか残っていなかった。実際、この頃になるとハードウェアメーカーだけでなくソフトウェアメーカーまでどんどん撤退を始める。例えばRedHatは2009年、RHEL6ではItaniumをサポートしないことを表明しているし、マイクロソフトも2010年にサポート打ち切りを表明。2011年にはOracleも打ち切りを表明し、HPとの間で裁判沙汰となった。もうこの時点で、Itaniumの顧客は事実上HPしかなくなったと考えても大きく間違ってはいないだろう。

 そういう状況でまだ新製品を作ったのは偉いというべきか。2012年にはPoulsonコアのItanium 9500を発表する。こちらは45nmプロセスを飛ばして65nm→32nmに移行させ、コア数も倍増(最大8コア)。さらに内部の同時発行命令数を6→12に倍増。3次キャッシュの大容量化やQPIの高速化など、打てる手は全部打ちました、といった格好の構成になっている。

 ただItaniumの場合はVLIWがゆえに、12に倍増した実行ユニットをフルに使うためにはアプリケーションの再コンパイルが必要であり、互換性を保ったままでは性能向上がなかった。動作周波数は多少上がったものの、同時期のx86(というより、もうx64)プロセッサーには遠く及ばない程度。頼みの綱だった高信頼性向けにしても、もうこの時期のXeonにはItaniumと変わらないレベルのRAS機能が搭載されており、唯一搭載されていないのはLockStep程度。ただこれはシステムレベルで実現している例が多数あり、もはやItaniumのアドバンテージは皆無になっていた。

 最終的に2017年に、わずかに動作周波数を引き上げたKittsonをItanium 9700としてリリースするが、これに要した期間はなんと5年。もうItaniumの開発そのものが行なわれていないことを示すのに十分な証拠と言えるだろう。

 そもそもPoulsonの時にはリリースが出たが、Kittsonではリリースもなく、単にark.intel.comにエントリーが追加されただけである。この扱いを見れば黒歴史呼ばわりしても差し支えないだろう。

 Tukwilaの遅延は、ラクダの背を折る最後の一藁であったとは思う。その意味ではTukwilaにも黒歴史入りの責任は若干あると思うが、根本的なところではMercedが2年遅れたことがすべてのタイムラインを狂わせ、輝かしい未来への道を閉ざした最大の要因だ。

 そのタイムラインの遅れを最後まで修正しきれなかったのが決定打で、最後にTukwilaで止めを刺した。それでもそんな黒歴史プロセッサーを20年に渡って供給してきたインテルは偉い、ということなのかもしれないが。

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