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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情第521回

会社の規模が驚くほど拡大したHP 業界に多大な影響を与えた現存メーカー

2019年07月29日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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Hewlett氏が退陣
後任はJohn A. Young氏

 こうした状況にあわせて、HP社内の仕組みも次第に変わっていった。まず大きなところでは、1978年にHewlett氏がCEOから引退する。もっともCEO職からは引退したものの、引き続き1987年まで取締役会には在籍している(Packard氏の方は1993年まで取締役会に在籍していた)。

 Hewlett氏の後任として、John A. Young氏が就いた。Young氏は1953年に入社、1963年にはMicrowave部門のゼネラルマネージャー、1968年にはElectronics Products GroupのVice Presidentとなり、1974年にはExective Vice Presidentに昇格。1977年にはまずCOOに就き、1978年にはCOO兼CEOになった、という経歴の持ち主である。

 ちなみにYoung氏は1932年生まれで、CEO就任当時の年齢は46歳。Hewlett氏が65歳、Packard氏が66歳だったので、大幅に若返った形である。以後HPはYoung氏の指揮のもと、よりコンピューター関連製品の売上を増やしていく。といっても、まだHewlett/Packard両氏の影響力が社内から消えたわけではなく、HP Wayも健在であった。

1980年の年次報告にも、Young氏(右)と並んでまだHewlett氏(中央)とPackard氏(左)が登場しているあたりがさすがである

HP初のPC「HP-85」を発表

 さてそのYoung氏の元でのコンピューター関連製品の展開を紹介しよう。まず1980年、同社初の(今度こそ間違いなく初の)PCとして、HP-85が発表される。

HP-85。CRTの上に置かれているのがDC100のテープカセット。BASICのプログラムリストが表示されている

 構成はHP独自の8bit CPUで、動作周波数は613KHz(625KHz、という情報もあった)という不思議なものだった。

 この独自CPU、最大で15桁のBCD演算が可能(ただしカタログスペックでは12桁と示されていた)というもので、8bit CPUとは思えない機能の充実ぶりではあるのだが、その分内部構造がかなり複雑になりすぎており、当時のIC製造技術ではこれ以上の動作周波数は不可能だった、ということらしい。

 ただその分性能は良かったそうで、当時の標準的なCPU(おそらくインテルの8080/8085やMotorolaの6800/6809あたりと比較したものと思われる)と比べても、プログラムの実行速度に遜色はない、とされていた(身びいきの可能性もあるが)。

 DRAMは標準で8KB(16KBという説もあり)、拡張スロットを利用して最大で32KBまで拡張可能となっている。入出力関連ではキーボードと5インチのCRTディスプレーを内蔵。CRTは32桁×16行のテキスト表示、もしくは256×192ピクセルのグラフィック表示が可能となっていた。

 他にDC100という容量217KBのテープドライブが搭載され、さらに熱転写プリンターまで内蔵するというAll-in-Oneぶりを発揮した。

 ほかに背面の拡張スロット経由でI/O拡張ユニットやHPIB Disk Drive、XYプロッター、シリアルポート、GPIO(汎用入出力)、HP-IL、モデムなどが接続可能となっており、また拡張BASIC用のROMなども提供された。

 肝心の価格は3250ドルで、現在の相場で言えばかなり高く感じるかもしれないが、当時としては破格(やはりAll-in-OneのIBM 5100の価格が最小構成で8975ドルだった)であった。

 もっともその翌年に登場したOsborne 1はさらに安い1795ドルだったが、拡張性が桁違いだったことを考慮すれば、やはりHP-85は十分安かったと言える。

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