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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第427回

業界に痕跡を残して消えたメーカー MSに妨害されたPDA向けOSのGo Computing

2017年10月02日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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ペンでOS操作を可能にした
ThinkPad

 IBMのThinkPadはやや遅れて同年4月に、ThinkPad 700として発表され、6月から出荷された。

ThinkPad 700。右上に懐かしいIBMのThinkPadロゴが見える

 ちなみにThinkPad 700Tのスペックをまとめると、CPUがi386SX/20MHz、メモリーは4MBか8MB、液晶はVGA(640×480)のモノクロSTN、ストレージは10MBのSolit State File Card×2、バッテリーはニッケル・カドミウム充電池で利用時間3時間といったところ。

 寸法は12.4×9.4×1.6インチ(31.5×23.9×4.1cm)。重さは公式の記述を見つけられなかったのだが、今の基準からすれば相当重かったのは容易に想像が付く。

 Lenovoのソフトウェア・マーケティング・マネージャーであるHoward Dulany氏が2010年にこのThinkPad 700Tを紹介する動画がYouTubeに上がっているが、写真でみるよりも2まわりくらい大きい代物であることがわかる。

 もっともこれ、ThinkPadがとりたてて大きいわけではなく、他社の製品も似たり寄ったりである。例えばNCR 3125は11.7×9.4×1.1インチ(29.7×23.9×2.8cm)で、重量は1.5kgと一回り小さかったが、この寸法にバッテリーパックは含まれていない。

 バッテリー寿命は非常に短く、これもあってNCRはバッテリーパックを大容量化したNCR 3130を用意したが、こちらはもうThinkPad 700Tとさして違いがない大きさと重さになったそうだ。

 要するに、1992年当時の最先端の技術を投入しても、これ以上小さく、軽量にはならなかったということだ。

 余談だが、このNCR 3125は1992年にグッドデザイン賞を受賞しているが、国内での価格は82万3000円だったそうである。

 これらのマシンの上ではGo Corporationが提供するPenPointが動作した。PenPointはOSそのものであり、例えばMS-DOSやWindowsの上で動いたわけではない。このPenPointではどんなことが可能だったかはGo Corporationが作成したデモビデオがYouTubeで公開されているから、興味ある方はご覧いただきたい。

 基本的にはキーボード+マウスの操作を、すべてペンでまかなうことが可能になっている。とはいえ、すべてのアプリケーションをGo Corporationで提供するのはもちろん不可能であり、同社はAPIを公開してさまざまなアプリケーションベンダーに協力を募った。

 1992年2月頃のリストで言えばCompsoft Services、Ink Development Corp、Nortable Technology、PenMagic Software、Oracle、PenStuff、PenSoft、Peripheral Vision、SitkaといったベンダーがGoPoint向けのソフトウェアを開発することを表明しており、このうちInk Development CorpはInkWare Note Takerを早いタイミングで公開している。

InkWare Note Taker。なんというか、OneNoteのはるかご先祖様とでも言えばいいのだろうか?とりあえず見ただけで、操作法が直感的にわかる感じではある

保険会社とインテルの要求により
必然的に決まった筐体サイズ

 やや話を戻すと、どうしてこんなサイズになったのか? であるが、実はこれは投資とユーザーの声の両方が関係している。話は1989年に戻るが、Kaplan氏はさまざまなグループに投資を呼びかけるべく、米国中を回ってプレゼンテーションしていた。

 このプレゼンテーションに興味をしめしたのが、当時としては米国1・2を争う規模の損害保険会社であるStateFarm Insuranceであった。当時同社は数万人の保険外交員の書類手続きを紙ベースから電子化させたい(ただしそれをオフィスではなく現場で行ないたい)という切実なニーズを抱えていた。

 StateFarmはGoPointを搭載したノートで、これを実現できる可能性を見出し、同社と取引のあったIBMとHPの2社を提携先として提案、最終的にGo CorporationはIBMを選んだ形だ。提案されたIBMやHPにしても、StateFarmが機器を購入してくれるというのであれば問題はないし、さらに他の用途にも使えると考えられたから悪い話ではなかった。

 ちなみにIBMは他にもOS/2の開発なども進めており(この話はマイクロソフトのWindows 3の開発と絡んで、これまた大きな問題になっていたわけだが、今回はこの話は割愛する)、そうした面での色気もあったように思われる。

 もっともIBMの場合、この頃のCEOだったAkers氏は他にもいろいろな事業に手をだしまくり、結果1993年に更迭されたりしており、そういう意味ではIBMではなくHPと組んだらまた別の展開があったのかもしれないが、その話もおいておく。

 結局のところGo Corporationは担当となったJames Cannavino氏(当時のIBMのPC部門のトップ)との間で長い契約に関する交渉の末、IBMからの投資を受け取れた。これに加えStateFarmと、さらにインテルからの投資を受けることにも成功する。

 ただインテルの投資は、386SXを使うという紐付きのもので、これが理由で第一世代のGoPoint搭載マシンは386SXが採用されることになった。またStateFarmの投資を受けるということは、StateFarmのニーズが反映されるということでもある。

 先も書いたが、StateFarmは保険外交員が契約書や損害見積りなどの書類を出先で作ることにあり、そうするとどうしても画面サイズは大きくならざるを得ない。結果、VGAサイズの液晶画面は必須となり、それと386SXの組み合わせでほぼ筐体サイズが決まってしまった形だ。

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