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小国から世界に挑むデジタル国家エストニア、生き残りを賭けた戦略 第2回

進化する電子国家エストニアの礎をつくった男・イルベス元大統領

2017年09月14日 09時00分更新

文● 細谷元、岡徳之(Livit )

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世界最先端の電子国家エストニアの基礎を作った男

「世界最先端のデジタル国家」として注目を集めるエストニア。連載第1回では、エストニアのデジタル化がどこまで進んでいるのか、その現状を紹介した。

 第2回となる今回は、エストニアを先端デジタル国家たらしめた人物に焦点を当てたい。2006~2016年に渡って第4代エストニア大統領を務めたトーマス・ヘンドリク・イルベス氏だ。

 エストニアのデジタル化は、イルベス氏の活躍抜きには語ることができないほどの超重要人物といっていいだろう。

 国家レベルのデジタル化をここまで推進してきたモチベーションとはどこにあるのか。そして、この先エストニアがどこに向かって進んでいるか、イルベス氏の足跡をたどりながら見てみたい。

第4代エストニア大統領を務めたトーマス・ヘンドリク・イルベス氏。

プログラミングができるテック系大統領

 イルベス氏は1953年12月生まれ、現在63歳。これまでにジャーナリスト、外交官、外務大臣としての経歴を持ち、前述の通り第4代エストニア大統領を務めた人物だ。

 テクノロジーとはそれほど縁がないような経歴であるが、実はイルベス氏は13歳のときにプログラミングを学んだ経験を持っている。この経験が後に、エストニアのデジタル化を推し進めるモチベーションの根源になる。

 この頃世界は冷戦真っ只中、エストニアはソビエト連邦に占領され、西側諸国への移動や情報のやり取りが自由にできなかった時代だ。

 イルベス氏の両親は、ソ連占領から逃れるためにスウェーデンに移住しており、イルベス氏はそこで誕生している。その後、両親とともに米国に渡り、そこで青年期を過ごすことになる。プログラミングを学ぶ機会を得たのは、まさにこのときだった。

 大学では心理学を専攻し、コロンビア大学で学士号、ペンシルベニア大学で修士号を取得している。

 大学卒業後、リサーチ助手や英語講師などさまざまな職を経験しており、すぐに政治家を目指したわけではない。政治への関心は、反共ニュースラジオ「Radio Free Europe」のアナリスト職に就いたときから大きくなっていく。

 1988年、アナリストからエストニア部デスクに昇格。その頃ちょうど、エストニアを含むバルト三国の独立を目指した「歌う革命」が始まっていた。その3年後、1991年に遂にエストニアはソ連からの独立を達成する。

 独立後のエストニアは混乱状態で、政治リーダーたちは経済・社会の安定化に向けて知恵を絞っていた。そんななか1993年、当時のエストニア大統領レナルト・メリ氏から、イルベス氏に在米エストニア大使を務めてほしいと任命が下った。

 その頃本国エストニアでは、自由市場経済に向け、税制改革、民営化、財政改革などが進められていた。在米エストニア大使となったイルベス氏は、エストニアがロシア寄りではなく西側寄りの方向で社会経済を発展させていく旨をワシントンで示すために尽力することになる。またイルベス氏には、安全保障確保に向けて、エストニアの欧州連合(EU)、そしてNATOへの加盟という使命が課せられた。

 独立したばかりで混乱しているエストニアの経済を発展させ、国際社会のなかでどのようにプレゼンスを高めていくべきか。イルベス氏の頭のなかは、そのことでいっぱいだったに違いない。

デジタル国家エストニアの礎
「タイガー・リープ・プロジェクト」とは

 大使として外交活動に忙しい日々を送るなかで、イルベス氏は経済発展に向けた具体的なアイデアも考えていた。ただし、エストニアは、人口が少なく、豊富な天然資源もない、またインフラも整っていないという非常に難しい条件下でだ。

 そこで考えついたのが、いまのデジタル国家エストニアの礎となる「タイガー・リープ・プロジェクト」だった。この国家プロジェクトは、特に教育に焦点を当て、コンピューターとネットワークインフラを国内全土に広げるというもの。つまり学校をデジタル化しようというものだった。

 13歳でプログラミングを学んだ自身の経験から、若いうちに学べば、その知識・スキルは後のアドバンテージになるという考えのもと考案されたプロジェクトだ。

 この提案は採択され1996年から開始されることになる。政界だけでなく経済界からも同プロジェクトへの賛同者が増え、エストニア国内のデジタル化の勢いは増していくことになる。コンピューターの導入、そしてネットワーク化がほぼ完了した後、次にフェーズとして開始されたのが「Eラーニング」の導入だ。当初は初等・中等教育機関に、そして大学にも導入されていった。国家レベルのオンライン学習プラットフォームを構築し、学生だけでなく、親や教師など誰でも利用できる体制をつくりあげていった。

 このタイガー・リープ・プロジェクトが開始された1996年、イルベス氏は外務大臣に任命され米国からエストニア本国に帰国。ここからイルベス氏は、国内政治に直接関われるようになり、国家レベルのデジタル化を推し進めるために必要な法整備にも尽力することになる。

 この頃すでにデジタル署名やデジタルIDといった「Eエストニア」の根幹となるアイデアも議論され始めたというから驚きだ。そしてエストニアの動きは速い。デジタル署名に関する法案はすぐに可決され、デジタル署名に法的な正当性が与えられた。2000年前後にこのような先進的な取り組みがなされた背景には、イルベス氏を筆頭に国の発展のためにリスクを取りにいくというスタンスのひとびとが多かったのだろうと推測できる。

 デジタル化推進を法的な側面から支えることで、国内のデジタル関連活動は勢いを増していく。デジタルテクノロジーを駆使した企業が増えていき、「Skype」のような大成功を収めるスタートアップも出てくるようになった。国のリーダーたちが率先してリスクを取りに行く姿を見て、国民にもリスクテイクする文化が醸成されていったに違いない。

 このような先進的な取り組みが積み重なり、エストニアの社会・経済は安定的に発展していくようになる。そして、2004年にはイルベス氏の念願だったEU加盟とNATO加盟を実現した。2006~2016年の大統領任期の間も、デジタル化に関する取り組みを加速させ、2017年大統領退任後もエストニアだけでなく他国の電子化について助言するなど、その勢いはとどまるところを知らない。

 現在、エストニアは「Eエストニア」イニシアチブのもと、ガバナンス、税金、インフラ、投票など政治・社会・経済の隅々までデジタル化を進めようとしている。行政サービスに関しては99%がデジタル化が完了。今後は、医療やまだデジタル化が進んでいない産業の革新を進めていく計画だ。

 このようにエストニアのデジタル化の勢いは世界の中でもずば抜けているわけだが、このデジタル化の担い手が「タイガー・リープ・プロジェクト」で学んでいた子供たちであることを忘れてはいけないだろう。まさに、イルベス氏が思い描いていた通りのシナリオが現実のものとなっていっているのだ。今後は、イルベス氏の思いを受け継いだひとびとがデジタル国家エストニアをさらなるレベルへと引き上げていくはずだ。

企画・構成・文:細谷元、岡徳之(Livit)

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