新しい技術に最初に飛びつけば勝つ
橘川 だから俺のところにサラリーマンやってた大学の友達が来てさ「おまえいいなあ、俺もやるよ」って、独立して始めたやつもいるわけだ。お客がいれば一人でも創業で来た。ところが、最初は言いなりだった発注者も、そのうち「お前これ5000円って言ったけど、あそこは3000円でやったぞ」と言ってくる。
西牧 価格競争が始まるわけですね。
橘川 しばらくするとDNPとかトッパンのような大手が、工員を養成して工場にして、業界相場が決まってくる。印画紙一枚いくら、一文字いくらってね。すると生かさず殺さずの価格になってくる。それで、俺は止めちゃったわけだよ、先がないなと思って。続けたやつはそこから地獄が始まる。
四本 いつの時代も同じですな。
橘川 新しい技術がでてきたら、それで最初に仕事をやるのが一番儲かるんだよな。その10年後に起きた、1980年代の第一次ベンチャーブームもそうだっただろ。
四本 パソコンの時代ね。
橘川 初めはさ、プログラムなんか誰も組めなかったわけだよ。そのへんのパソコン少年の組んだものが、動いただけでカネになったんだ。アスキーなんかはそれで儲けたんだよ。でも、その新しい動きが終わったのに、それに気づかず続けると地獄に落ちるわけだよ。
西牧 一度落ちましたよね。
四本 一度だけじゃないんじゃないかなー。
西牧 ……。
橘川 そして1995年にウェブが始まるんだよ。ホームページっていうのをアメリカでやってるぞと。それを作りたいという大手の会社が出てきて、代理店がコンペやるんだけど、そのホームページというものは一体誰が作るのかと。すると慶応の学生とかさ、パソ通やっててMac持ってて遊びでHTMLを組んでたデザイン事務所の連中に仕事が来るわけだ。それでトップページが重たくて動かないようなのが1ページ50万円とかな。今そんな値段言ったら殺されるよ。広告やってたデザイナーが最初のプレイヤーだったから、広告料金の相場で最初は値付けされたんだな。
四本 懐かしいなー。ダイアルアップ接続で、モデムの速度も56kbpsの時代ね。どこのメーカーとは言わないけど、一枚絵をクリッカブルマップにして、次の絵を読み込むのに何分も待たされるようなのとか、あったよね。
橘川 それでカネになるからって、ウェブできるやつを抱えて制作会社にしちゃったやつは、低価格競争が激しくなった上に新しいシステムを要求されて、いま地獄じゃない。そうやって新しい技術が出てきたとき、最初に飛びつけば勝つ。でも、しがみつき続けると地獄に落ちる。これまでの人生で、私はそういうことを学びました。
西牧 はははは!
四本 それが今回のオチですか。でも、ウェブの後はないよね、そういう話。
橘川 ない。俺も写植のときだけだよ、儲かったのは。
西牧 でも、次はなにかがわかると、また儲かるんじゃないですか?
橘川 次はいいんだよ、俺はわかってるから。まかしてくれよ。
四本 じゃ、その話は後で。
橘川 後でな。よし、話を戻そう、参加型メディアの話に。
Image from Amazon.co.jp |
ロッキング・オンの時代 |
橘川幸夫著『ロッキング・オンの時代』
11月19日発売
渋谷陽一、岩谷宏、松村雄策とともに創刊メンバーだった著者が振り返る、創刊から10年の歩み。荒ぶる1970年代カウンターカルチャーと今をつなぐメディア創世記。装丁はアジール。
著者紹介――四本 淑三(よつもと としみ)
1963年生れ。フリーライター。武蔵野美術大学デザイン情報学科特別講師。新しい音楽は新しい技術が連れてくるという信条のもと、テクノロジーと音楽の関係をフォロー。趣味は自転車とウクレレとエスプレッソ
この連載の記事
-
最終回
トピックス
20年後、人類は「ヒマ」という問題に直面することになる -
第9回
トピックス
草の根BBS乱立時に一番おもしろかったのは「いがらしみきお」 -
第8回
トピックス
40年前にTwitterを実現していた雑誌「ポンプ」が見た限界 -
第7回
トピックス
ネットメディアは良質な投稿とレスポンスじゃないといけない -
第6回
トピックス
まるで2ちゃんねる、すべて投稿で成り立たせた雑誌「ポンプ」 -
第5回
トピックス
デヴィッド・ボウイからパンクの移行は商業ロックへの反動だった -
第3回
トピックス
「締切は不愉快」 いま明かされるロッキング・オン創刊秘話 -
第2回
トピックス
深夜放送はイノベーション、橘川幸夫が語る1960年代のラジオ -
第1回
トピックス
「ロックはミニコミ」早過ぎるインターネット作った橘川幸夫が語る -
トピックス
週刊キツカワ - この連載の一覧へ