四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第61回
CD時代から30年、音楽業界に何が起きたのか?
dip in the poolが語る“14年間の沈黙とインターネット”
2011年06月18日 12時00分更新
“dip in the pool”が新しいアルバム「brown eyes」(Amazon.co.jp)をリリースした。しかし、このユニットの名前を聞いて、即座に音をイメージできるのは30代以上の世代のはずだ。なにしろ、これは14年ぶりのアルバムなのだから。
dip in the poolは1983年、当時ファッションモデルとしてカリスマ的な人気を誇った甲田益也子と、コンポーザーの木村達司によって結成された。1985年に12インチEP「dip in the pool」でデビュー。初期のアルバム「Silence」は、UKのラフ・トレードからも発売された。代表曲は丸井のクリスマス向けCMに使われた「Miracle Play 天使が降る夜」だろう。
Image from Amazon.co.jp |
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brown eyes |
dip in the poolは決して大ヒットを飛ばすわけでも、アリーナに大観衆を動員できるような大向うを狙うユニットでもなかった。しかし、音楽好きのコアなファン層に支えられていた彼らが、メジャーシーンで活動できたのは、つまるところ当時の音楽シーンの豊かさだったのかもしれない。
彼らのメジャーでの活動期間はCDが生まれ、衰退していった時期とぴったり重なる。CDというメディアが登場したのが1982年。その後、90年代に入って市場はバブルのように膨らんでいくが、1998年を境に一気に失速して現在に至っている。
98年までCDの売上げが伸び続けた理由のひとつは、ドラマのタイアップなど、少数のタイトルに大量の宣伝費をかけてミリオンヒットを量産する手法の成功だった。それはとりもなおさず、大ヒットの見込めないアーティストを切ることで成り立っていたわけである。dip in the poolのアルバムリリースが途絶えたのは1997年だった。
その彼らが14年後の現在、動画サイトやソーシャルメディアの全盛期に復活したというのは、いろいろな意味で興味深い。dip in the poolの人気は、ボーカリストであり作詞家でもある、甲田益也子のカリスマ的人気が支えていた部分も大きい。インターネット時代以前のカリスマは、情報を積極的に出さないことで成り立っていた部分もある。だが、今はリスナーとアーティストの距離が近い「ダダ漏れ」の時代だ。
この時期に14年間のブランクを経てユニットを再始動させた理由は何なのか。18年ぶりに二人に会って話を聞いてみた。
「君らはいりません」ということで
―― というわけでお久しぶりです。まず、これはIT系のWeb媒体なので、あんまり音楽の話にはならないです。
木村 全然構わないです。音楽を説明するって消耗なことだし。
甲田 そもそも言語化して説明するようなアピールすべきことがないから。でも、なんか面白いこと書いてくれるんだよね?
木村 ってプレッシャーかけとく。
―― ……。で、14年ぶりなわけですが、まず活動を止めるまでの話をしてもらえます?
木村 今までMOON RECORDSで4枚、EPIC SONYに移って3枚アルバムを作ったわけじゃん。実数は聞いていないけど、EPIC時代の制作予算はかなりのものだったと思うんです。うち2枚はそれぞれ3ヵ月くらいニューヨークに行って、十分な時間をかけてやっていたわけで。
―― ところがその後、業界が傾いてきて、アーティスト整理が進んでいくわけですよね。
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WONDER 8 |
木村 僕らも「君らはいりません」ということで。それで自ら「grandisc」※というレーベルを立ち上げたわけです。dipを1枚と、彼女(甲田さん)のソロなんかを出して、そこそこいい感じにやっていたんですけど。
※ 木村さんが1997年に設立。dip in the pool「Wonder 8」、甲田益也子「jupiter」、福士久美子「smile smile today」、coral in space「Hereafter」などをリリース。
―― そして那須に越しちゃうんですよね。
木村 子供が生まれて、幼稚園の頃までに何度か喘息で入院したことがあったんです。それに僕は宮城の田舎育ちだし、彼女は北海道だし、東京で子供を育てるということに違和感があった。もし環境が変わることで良くなるんだったら、その方がいいと。
甲田 それプラス、東京からそんなに離れていないところで、コストを抑えた生活で内外の環境を整えるっていう意味はあったかな。それと面白そうな幼稚園があったのもポイントだったんですよ。
―― あ、そう言えば母親なんですよね。
甲田 そう。私、お母さんをすごく真面目にやっていたので。
―― つまり子育てのために那須へ越したと。それからどんな活動をしていたんですか?
木村 すみません、遊んでました。
―― わははは。正直だなあ。
木村 いや、音楽の仕事もしていましたよ。でも移った頃からガクッと来たんですよ、音楽業界が。チェックも何重にも増えるわ、予算は減るわ、急遽、明日までに直しを入れるとか。それがスタジオ仕事となると、遠くにいる人にはちょっとね。
甲田 その間に(dip in the poolとしての活動を)復活しようとは思っていたんだっけ?
木村 年に一度くらいは、今作るんならこういうの作りたいな、みたいなことは考えてたけど。
―― 考えていただけ、と。
甲田 そうなの、何度もハッパをかけてたんだけど、全然動かなくて。
―― 甲田さんはそういう役目だったんですか。
甲田 そういう役目。身内って言えば身内だから。
―― あの、身内って、ほかに何かいるんですか。
甲田 あ、そうか。うふふ。すみません。でも言うこと聞かないというか、動かないんだよね。
木村 ちょっとアーティスト活動に疲れたところはあったんだよね。自分でやる分にはいいけど、スタッフを巻き込んでまでっていうことに。
(次ページに続く)

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