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松村太郎の「西海岸から見る"it"トレンド」 第140回

パソコンは消耗品だが、キーボードは一生もの――HHKB 20周年イベント

2016年11月24日 13時00分更新

文● 松村太郎(@taromatsumura) 編集● ASCII.jp

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Happy Hacking Keyboard開発のきっかけとなった和田氏作成のキー配列原案と、初代HHKB。ASCII配列、小型軽量、堅牢性を実現するキーボードのデザインスケッチは、PostScriptで描かれているそうだ。「PostScriptで何でも描いちゃうんですよ」と和田氏

 まずは先週の宿題の続きから。MacBook Proの新モデルに買い換えよう、という話です。

 すでに4年半が経過した筆者のメインマシンたる2012年モデルの15インチMacBook Pro。同じ15インチを選択すると、当時のモデルから処理性能はおよそ2倍に向上していることになります。

 振り返れば15インチというサイズのMacは2001年頃からの付き合いになりますので、実に15年。長いですね……。何も考えずに15インチの新モデルを予約し、悩みこんでそれをキャンセルしたところまで前回書きました。

 結果として、13インチを予約し直すことにしました。あれから色々悩みを深めていく過程で、13インチで大丈夫だ、と思ったきっかけは、普段のアプリの使い方にありました。

 筆者はiPad Proも併用していますが、MacでもiPadでも、Ulyssesというエディタアプリを使う際、常に全画面表示で使っています。iPadアプリはもともとそういう仕様ですが、それゆえに9.7インチでも作業が可能になっています。 1つの画面に複数のウインドウを配置して、という作業はしないのです。

 そう考えると、画面サイズが必ずしも15インチでなくてもよく、それなら軽くて持ち運びにより便利な13インチの方が良い、という結論に至った次第。たくさん言い訳をしている分、未練も大きい、というわけです。

 という話をMedium(https://tarosite.net/down-sizing-macbook-pro-review-9f1ce071957c#.g2e13ssz2)に書いた所、後でお話しするイベントの会場で、諸先輩方から13インチという選択に、「驚いた」「まさか」「心が揺らいだ」という反応をいただきました。非常にロジカルに考えた結果なのでこれでまた4年間使っていこうと考えているのですが、そんなに意外なことだったとは。

一生もののインターフェイス

 さて、11月22日に秋葉原で開催されたのは、PFU主催のHHKB 20周年記念イベントです。

 HHKBとは「Happy Hacking Keyboard」の略で、「ASCII配列」「深さがあるしっかりとしたタッチ」「持ち運びが可能な小型・軽量・堅牢性」を兼ね備えた外付けキーボードというコンセプトで開発された製品です。今もなお「プロの要求に応えるキー配列と、上質なタイピングの実現」という本質を追究している製品です。

初代HHKBと、HHKB 20周年を記念して用意された原寸大のケーキ。20年変わらぬデザインを貫くプロダクトの思想も、固定されたものだった

 HHKBシリーズとしてリリースされたすべての製品が会場に並べられ、変わらぬパッケージと、深化の変遷を指先で確かめることができました。その製品群を眺めながら記憶を辿ると、筆者は2001年に、HHKB Lite2というUSB対応の製品から使い始めたことを思い出しました。

 ちょうど、15インチのPowerBookと同じく、2001年に使い始めたキーボードは、お小遣いを貯めてHHKB Professional 2を手に入れるまで、長期にわたって使ってきました。そうだった、そうだった。

 HHKB開発のきっかけとなる論文を書いた東京大学名誉教授 和田英一氏の言葉である「コンピュータは消耗品、キーボードは一生もの」という言葉を、実感する瞬間でした。

HHKB、その開発秘話とは

 HHKBは1996年に発売されて、進化を重ねながら、すでに40万台を出荷するロングセラーとなっています。イベントでは、このキーボードの開発と発展に関わった方々が一堂に会し、その誕生秘話が語られました。

東大名誉教授、和田英一氏。HHKB開発のきっかけとなる論文をPFUの技術機関誌に寄稿し、1996年の発売に尽力した。現在でもLISPで線を描き、これを3Dプリンタで出力するなど、テクノロジーを探求し続ける

 1991年に、前述の和田氏が、PFU研究所向けの機関誌の冒頭に「けん盤配列にも大いなる関心を」という論文を寄稿したことが、後にHHKB開発につながります。冒頭の文章は1ページ程度のものであることが一般的ですが、和田氏はここぞとばかりに10ページ、思いの丈を綴ったと語ります。

 その文章は、ウェブサイトでいまでも読むことができます

 和田氏が東大を定年して富士通研究所に移った際に、再びこの論文が話題にのぼり、5年後にHHKBの最初の製品が作り出されるに至ったというわけです。作る過程では、持ち運べるサイズを確かめるため、既存のキーボードの外周を切って試作機を作ったこともあったそうです。

PFUの代表取締役社長、長谷川清氏。米国赴任時代に、HHKB Liteの開発に携わった。ハッキング被害が広がる中、製品名にあった「Hacking」というキーワードが使いにくかった点を振り返っていた

 1996年12月に発売された初代HHKBは500台の初回ロットがすぐに完売しました。発売前に和田氏がWIDEプロジェクト(日本を代表するインターネット創生期に貢献した研究団体)に見せたところ、大好評を得たというところからも、当時のハッカーと呼ばれるコンピュータのプロにとって、待望の製品だったことがうかがえます。

 米国では評判の良さと裏腹に、価格の高さがネックになって思うように売れなかったそうです。そこで価格を抑えるLite版を開発し、こちらもロングセラーのヒットになりました。筆者はそのセカンドバージョンからHHKBに入門し、「いつかは本流へ」というステップアップを夢見てタイピングに励んだものです。

筆者のHHKBとの出会いは、USB版として登場したHHKB Lite 2。これにMacキットを追加購入して、15インチのPowerBookと組み合わせて使っていた。後にMac版が登場し、HHKB Lite 2 for Macに乗り換えた経緯がある

 コンセプトもデザインも「変わらないこと」が是となるこの製品。その背後で重要だったのは、ファンの醸成でした。例えば、ジャーナリスト、ノンフィクションライターの山根一眞氏は「HHKBに出会ってから、これなしでは仕事ができない」と言い、もしPFUがHHKBの製造を止めたら仕事を辞める、とまで言わせるほどでした。

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