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人工知能は教育をどう変える? 徹底対談 第2回

品川女子学院 漆校長×人工知能プログラマー 清水亮

人工知能を持ち歩く時代に生き残る仕事っていったいなんだろう?

2016年11月21日 09時00分更新

文● イトー / Tamotsu Ito

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人工知能によって知能指数や偏差値の価値がなくなる時代
そのとき生き残る仕事とは?

清水  一番ショックなのは、今まで頭の良さ、知能指数とか偏差値とかの価値がなくなるってことです。たとえば、東ロボくんという人工知能は、東大受験目指してるんですけど、今、偏差値57です。

 大半の日本人はAIに負けてる、偏差値というレベルでは。しかもこれは深層学習使ってないんですね。深層学習を使ったら、そのうち東大に本当に入っちゃうでしょう。そうすると東大生の価値もなくなるわけです。だから東大生ばかりが研究してる東ロボくんは、進路変更したんでしょうね。自分たちの価値がなくなっちゃうことを自分たちで証明しちゃうことになるので。

 ここがAIの面白いところで。IQで測るとおそらく2万5000ぐらいはすぐいくでしょう。IQを測るのは簡単ですからね。IQテストに最適化したAIが、本当にIQ250の人間と同じぐらい賢いか、というのは話は別としても、数値としてはそこまでいくと。

 そうすると、これだけIQが高いものをポケットに入れて持ち運べるようになったときに、どういう仕事が残るのかという話でいくと、まず消える仕事は「語学力」とか「デザインセンス」とか、このへんのことは、ほぼ全部なくなるでしょう。ただ僕は基本的に、いろんなところで言ってるんですけど、別にAI関係なく仕事には2種類あると思っていて。ある一定時間我慢して、我慢したことに対してお金をもらうという仕事と、何をやってもいいからとにかく楽しんで、そのうえお金までもらえるという仕事があります。

人工知能の一般化によって、人が支援を受けることができるようになる職業。すなわち、相対的に価値が低下する職業。先日、Googleが日英翻訳などにニューラルネットを組み合わせたことで劇的に自然な翻訳が可能になったことからも明らかなように、外国語の理解能力というのは、「読み書き」という観点では2016年現在ほど重要な能力ではなくなっていく可能性が高い。

漆 清水さんがやってるみたいなのですね。

清水 そうそう。僕は後者のほうが人は幸せだと思うんです。少なくとも僕は幸せだし。ただ僕みたいな仕事をしてても、どこかで我慢しなきゃいけないことはありますよ。それをAIによって、ちょっとずつ、どうでもいい仕事というのをロボットやAIにやってもらうようにして、楽しいことを仕事にする、あるいは仕事すること自体が人生の目的になるような世界がきたら、もっと面白いのになと思うんです。

 それは労働者を救済しようと思ってるわけじゃなくて、そのほうが楽しいんじゃないかなってことです。

 僕が思ってるのは、覚えるとか頭を使うとかは、今後価値がなくなっていって、感じる、感動させる価値は残るんじゃないかと。人って、映画とかで感動させるのは簡単だけど、演説で感動させるのはすごく難しいんです。スピーチ原稿をAIが書くことはできますが、それを実際に口に出して人を感動させるのは、人でしかたぶんできない。残念ながら最後に残る職業は、政治家かもしれない、と考えると結構ディストピアですよね。

 たとえばAIが考えたものを見て、「これ、面白いよね」とか「こんな面白いものあるんだね」と感動するというのは、意外と人間のできる最後の仕事なんじゃないかなとちょっと思って。映画評論家が残るって、すごいつまんないですけど。映画つくる人よりは残る可能性があるかもしれないな、とは思っていたりします。

 また、AIを使う人と、AIを使わない人というのが生まれたときに、使わない人は、使う人に100%勝てないので、これはもう必然的に仕方なく使わない人というのは、淘汰というと言い方悪いですけど、少なくとも携帯電話使わない人も、死にはしないですけど少なくなっていったという意味で、淘汰されていってるのは間違いないですよね。というようなことが、おそらくAIに関しても起きて、この差分がちょっとずつ起きていく中で、グラデーションをつくっていくんじゃないかなと思ってます。

漆 去年たまたま高校生のディベートの大会に、うちの子たちが出てそれを見てたんですけど、テーマがAIだったんですよ。話題になってたのは、仕事をとられてしまうんじゃないかという話と、もうひとつ、シンギュラリティの、あっ英語使っちゃった(笑)。

清水 「シンギュラリティ=技術的特異点」ですね、どういう論法だったんですか、それは。ディベートだからどっちがどうとか。

漆 今まであるような説を、覚えてきてるんですよ、いろいろな学校の子が。

清水 ああ、ディベート大会だから。

漆 そのなかで、うちの子たちみたいに、全然下調べしないでその場で考えた筋書きのない突飛なことを言って、相手がびっくりする、みたいな。そういう学校も混じってたので面白かったですけどね。

清水 それは確かに面白いですね。AIを理解するという話でいうと、僕はAIというのはブラックボックスだから、ある種の自然現象として理解しましょう、触って理解しましょう、みたいなことしかやる方法ないと思ってるんです。あともう1つは、使いこなすために何を教えるかということと、何に使うかということを明確にしていく。実際、あんまりないですけどね。

 ただ子供って想像力豊かだから、すごいむちゃくちゃなことを言う。それこそ「僕のかわりに宿題やってくれないの」とか。「それつくったら、君、宿題やらなくていいよ。それつくったら、君もう大学入れるから、宿題やる必要ないよね。学校行かなくていい」。

 逆に言うと、そんな動機でも子どもって興味持ったら、わーってやっちゃう子はやっちゃうので、それはそれで1つありかもしれません。

 今までの教育って、真面目にやる、ある種のロボットの代わりじゃないですけど、ある時間我慢して求められるパフォーマンスを出すっていう仕事のやり方をする人を育てるためのものだったじゃないですか。それがAIによって、そういう真面目な方向で頑張っても、真面目な方向ではAI先生に勝てないですよっていうのは、割と共通した認識として出てくる可能性があります。

 実際僕らが今やってる仕事というと、本当にこれはみんながやりたくないんだな、というのをAIに置き換えようとしてたりします。ここでは具体的に言えないですけど、建設の現場とか、生産の現場とかで、70歳のおじいちゃんじゃないと判別できない微妙な部品の曲がり方とかあるんですよ。それを、このおじいちゃんもそろそろ引退したいから、後継者がいないので、代わりにAIでできないか、という案件がくるんです。

漆 なるほどね。

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