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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第9回

デザインの概念は新たな局面へ

問題はあえて解決しない、2016年重要ワード「スペキュラティヴ・デザイン」とは

2016年01月12日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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倫理や道徳を考え直すべき時期がもうすぐやってくる

 特に私たちの旧来の世間的常識や社会的通念では受け止められない事態や現象は、今後、バイオテクノロジーやナノテクノロジー、人工知能、ロボット工学の分野で表出してくるだろう。

 筆者がスペキュラティヴ・デザインに着目する理由もまさにそこにあって、技術が人間の身体や意識に介入してきた際(介入といっても強制的にではなく自発的にである)、私たちはこれまでの「人間」や「心」や「生命」といったものの再定義を迫られる。つまり、既存の哲学や倫理や道徳では解決できない問題に直面することになる。

 具体的な例を挙げると、ナノテクノロジーによって老化をつかさどる遺伝因子をオフにできた場合、人間の寿命はさらに数十年、いや数百年伸びるかもしれない。そのとき人生の中途で「死」を選択することができるのか? バイオテクノロジーによって食肉の特定の部位だけを培養できれば食料難に苦しむ地域の人々を救えるかもしれないが、それはそもそも倫理的/道徳的に許容されることなのか?

 もっと直近の未来で言えば、人工知能を持ったロボットによって大多数の職種が機械に代替されたとき、人間に残された仕事とはいったい何なのか……?

Pepperが接客に関わるお店もあるという。まだカワイイものだが、今後ロボットが本格的に人にとって代わる日は来るかもしれない……

 書籍「スペキュラティヴ・デザイン」では、第四章の「デザインという名の巨獣」でバイオテクノロジーと今後のデザインとの関係が主に綴られている。たとえば、墓石の代わりに亡くなった愛する人の遺伝子を組み込んだリンゴの樹を植えることが可能になった場合、人々はいったいどんな心情を抱くだろうか? 言葉にならない嫌悪を覚える人もいるだろうし、毎年実をつけるリンゴを食べることで故人を偲びたいと考える人もいるだろう。

 ここでは従来の死生観では扱いきれない人間の倫理感/道徳感の新しい形が問われているわけで、それが良いことなのか悪いことなのか、いまのところまだ誰も答えを知らない。しかし、そうした技術と人間との新しい関係による世界像やその可能性をいちはやく提示し、思索や議論を誘発するのがスペキュラティヴ・デザインの役目なのだ。

 上記の例は私たちが遅かれ早かれぶち当たる難題のごくごく一部にすぎない。従来の思考パターンや認識フレームを一旦留保し、人類の未来を幾通りも素描し続けること、選択肢を常に探求/模索し続けること、想定し得る世界の多様な在り方を提示し続けること……。

 “デザイン”の重要な役割は現状の問題解決型から未来問題提起型へ、つまりスペキュラティヴデザインに比重を移していくだろう。解答ではなく思索、直進ではなく迂回、早急な判断ではなく深遠な議論こそが重要になる。

 「アンダルシアの犬」「忘れられた人々」「皆殺しの天使」などで知られる映画監督のルイス・ブニュエルは、「あなたはなぜ映画を作るのか?」と質問されたとき以下のように返答したという。ブニュエルが活躍した時代にはスペキュラティヴ・デザインなどという言葉は存在しなかったが、あらゆる芸術は基本的に「speculative」なものである。現状に埋没した人はわざわざ表現などしない。ブニュエルのこの言葉には、まさにスペキュラティヴ・デザインの思想の真髄が表明されているように思う。

――この世が考えられる世界の最善のものではないということを示すため――

※ スーザン・ソンタグ「写真論」(晶文社)より

2014年12月13日、京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab.主催で開催されたアンソニー・ダン氏による講演「Not Here, Not Now」の模様を収めた動画。書籍「スペキュラティヴ・デザイン」における思想や概念のエッセンスが詰め込まれた講演内容となっている。(c) 2015 KYOTO Design Lab, Kyoto Institute of Technology

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