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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第39回

【後編】『SHIROBAKO』プロデュース 永谷敬之氏(インフィニット)インタビュー

「SHIROBAKOを最後に会社を畳もうと思っていた」――永谷P再起の理由

2015年07月12日 15時00分更新

文● 渡辺由美子(@watanabe_yumiko) 編集●村山剛史/ASCII.jp

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(C)「SHIROBAKO」製作委員会

部下を持つことで得たものは後世に引き継ぐ喜び

―― 新入社員が、そんなにも大きな契機になったのですか。

永谷 これまで部下というものを持つことがなかったので。

 僕は経歴がちょっと複雑で(笑)、高校を卒業してからフリーターを2年間やって、それから大学に行って、卒業したら24歳。そこからスターチャイルドにバイトで入ったんです。

 その頃のアニメ産業は業界不況で、新卒をあまりとっていませんでした。2000年初頭ですね。LD(レーザーディスク)が終焉を迎えて、DVDが売れ始める前の狭間の時期でした。

 アニメ業界全体で見ても、同い年のプロデューサーはあまりいません。必然的に部下に関する事柄について考えることがなかったんです。

―― “部下を持つ”というのはどういった喜びでしたか?

永谷 後世に引き継ぐ喜び、ですね。

 今までは、「自分が好きなアニメでこういうものがつくりたい」というモチベーションだけで働いてきましたが、部下を持つことで、かつて僕が先輩に“アニメのプロデューサーとはこうあるべき”と教わったことを、今度は後輩に教えてみたいなと思ったんです。

 先ほどの19話でも、美術監督の大倉の若い頃が描かれていて、まだ実績もない大倉が「こうやりたいんだ!」という情熱を、上の世代が受け入れてくれるシーンがありました。自分のプロデューサー人生のなかで置き換えてみても、『僕が若い頃、上司はこんな風に思っていたのか』とか、そういったことが今の僕にはわかって、すごくじーんと来ました。

 僕の上司だったキングレコードの大月俊倫さんは、様々な場面で、上の立場として責任を取ってくれる人だった気がしています。いろいろなところに対してのフォローをご自身でなさっていた。そうでないと、庵野秀明監督をはじめとするトップクリエイターからの信用は生まれません。

 責任をとってくれていたというのは、つまり部下の僕らを守ろうとしてくれていたということだと思います。

(C)「SHIROBAKO」製作委員会

―― 自分が仕事をやりたいだけではなく、下の方を育てたいと思い始めたのは、上の世代が見えたからでしょうか。

永谷 そうなんでしょうね。

 僕は、心のどこかで常に「もう一回、いちファンに戻りたい」と思っているところがあったのですが、もしも自分がもう一度ファンの立場に回って、『アニメというものをこれからも見ていたい、業界が残ってほしい』と思ったときに、もう少し自分にもアニメと業界に対してできることがあるのではと『SHIROBAKO』に教えられました。

 作中で、小諸スタジオで仕上げを一緒にやっていた人がハードディスクを届けてくれる話とか、あんな風に自分を助けてくれる昔の仲間がいたりするとか、そういうところで身につまされる部分がいっぱいありまして。

 今、自分が会社を畳んでファンに戻りますというのは、ひょっとしたら“逃げ”なんじゃないかなと。なんとなく不況だから、自分の感性がズレるかもしれないから、早々にこの船から下りました、みたいな、ね。

 そうではなく、まだ自分にも何かやれることがあるのではないかと。P.A.WORKSの堀川社長のセリフじゃないけど「明日も頑張ろう」という。

“仕事の楽しさ”をいかに見つけるか

―― 永谷さんのそうした心理が、『SHIROBAKO』制作の上で反映されたことはありますか?

永谷 キャストの方たちに、ラジオ番組の企画で実際にアニメをつくってもらったことにつながっていると思います。声優さんたちが作画した4分ぐらいのアニメが、少し前に完成しまして。

 なぜ始めたかというと、声優だけどアニメをつくってみることで、思いもしない発見や可能性が生まれるかもしれない。より楽しむためにはいろいろなことに挑戦して発見して経験を積んでいくことが大事かなと。

 特に、「新しいことを見つけたい」という欲求は、明日も仕事を続けていくための活力になるのではないか、と。そういうことを伝えたかったのです。

 『SHIROBAKO』はアニメ業界ものではありますが、じつは一般社会と変わりはなくて、普通に働いていたら、あおいたちが体験していること、感じていることって会社員でもうなづけることだと思います。

 声優志望の坂木しずかが周囲から思うように評価をもらえなくて悩んだり、あおいのように自分が頑張っても、周囲の状況のせいで作業が遅れてしまうとか、ストレスとかフラストレーションはいくらでもあります。

 自分の仕事が大変だと思う人は大勢いると思いますが、僕が視聴者の方に『SHIROBAKO』で感じてもらえたら特にうれしいのは、「仕事の楽しさの見つけ方」なんだろうなと。

「3年半ぐらいキングレコードにお世話になった後は1年間フリーでした。そしてバンダイビジュアルさんとご縁があって、やはり3年ほど。ここでビジネスを教わるチャンスがあったので、業界の見方というものが僕のなかで非常に大きく変わりました」

―― 「仕事の楽しさの見つけ方」ですか。

永谷 ……これは一度業界の仕事をやめようとした僕自身に言い聞かせていることなんですけれども(笑)、自分はひょっとしたら不満に思っている状況かもしれないけれど、置かれた状況のなかでも楽しみ方はあって。自分にとって楽しいことや意義のあることを探し出すことで、その楽しみによって先にあるものを見据えることができて、結果、日々の仕事をやっぱり頑張ろうと思えればいいなと。

 それが堀川さんが言っていた「明日も頑張ろう」というメッセージにもつながっているのかなと思います。

(次ページでは、「「堀川さんの最後の作品は僕にやらせてね」」)

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