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百家争鳴!ビッグデータの価値を探る 第14回

トレジャーデータの太田CTO、ほぼ1万字&無加工インタビュー

“シリコンバレーの技術者集団”ではトレジャーデータを見誤る

2013年07月03日 07時30分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

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シリコンバレーの日本人ベンチャーとして注目度の高いトレジャーデータのCTOである太田一樹氏とのインタビューが実現した。CEO芳川裕誠氏の家のベランダと熱海の温泉で始まった会社の起業物語やサービスのポイントなどを聞いた1時間のインタビューをほぼ加工なしで掲載する。

Hadoopのポテンシャルを感じ始めたときに声をかけてもらった

TECH.ASCII.jp 大谷(以下、TECH 大谷):太田さんというと、Hadoopの人というイメージがありますが、そもそものバックグラウンドを教えてください。

トレジャーデータ 太田氏(以下、TD 太田):はい。もともと私のバックグラウンドはHPC(High Performance Computing)のエリアで、19歳くらいからあまり学校にも行かず(笑)、プリファードインフラストラクチャという会社のCTOをやらせていただきました。あと、米オレゴンの国立研究所ではIBMのBlue Gene※1を使って、50万個コアくらいで並列処理したI/Oリクエストをいかにバックグラウンドのストレージに効率よく回すかといった研究をやっていました。

米トレジャーデータCTO 太田一樹氏

それとは別にオープンソースソフト(OSS)のプロジェクトにも高校生の時から関わっていました。当時は日本語表示とか、全角空白直せないとかKDEのWebブラウザを直してたりしました。まあ気づいたら、これがChromeになったわけですが……。

TECH 大谷:そうしたバックグラウンドがあり、Hadoopを触りだしたと。

TD 太田:はい。HPCの研究をしていくと、いかにCPUが速くても、やはりディスクが足を引っ張ることがわかります。これを解消すべく、触り始めたのが当時おもちゃみたいだったHadoopだったんです。Hadoop触り始めて、雑誌に記事書いたり、NTTデータの濱野さん※2といっしょにコミュニティを作ったりしましたね。こうしたことを続け、日本でHadoopのポテンシャルあるよなと考えていたときに声をかけてくれたのが、うちの芳川なんです。

芳川はレッドハットで7年くらい勤めた後に、三井物産ベンチャーでオープンソース系への投資を担当していました。要は投資のプロです。芳川は、私とクラウデラ※3のファウンダーであるクリストフ・ビシリアと引き合わせ、ビッグデータという言葉が生まれるか生まれないかの2009年に日本で「Hadoopカンファレンスジャパン」を開催しました。そこで「Hadoopユーザー会」の立ち上げを発表し、カンファレンスのあとにはClouderaのリソースを翻訳したり、米国から人を呼んでトレーニングしました。実は今のHadoopのコミュニティとか、デプロイメントをやっている人は、そこでトレーニングを受けた方たちが中心になっているんです。

TECH 大谷:こうして話を聞くと、本当に日本のHadoopの黎明期から立ち会ってきたんですね。

TD 太田:まあ、意図してこうしたわけではなく、気がついたらこうなっていたんですが……。

※1 IBMのスーパーコンピュータープロジェクト。1999年に発表され、その後数々のスーパーコンピューターランキングで上位を占めている。

※2 NTTデータ 基盤システム事業本部の濱野 賢一朗氏。1990年代後半よりLinux/OSSに関する技術情報の提供および普及促進活動に関わり、現在はNTTデータにてOSSに関する技術調査やHadoopに関する調査に従事する。

※3 企業向けのApache Hadoopディストリビューションを提供するベンチャー。ヤフーやオラクルでHadoop関連のプロジェクトを担当していたメンバーが立ち上げ、急成長を遂げている。

芳川CEO宅のベランダで始まった起業話

TD 太田:その後、いろいろな会社に誘われたり、クラウデラの仕事で米国に渡ったりしていたんですけど、2010年の6月くらいかな。シリコンバレーにある芳川の自宅のベランダで、「太田君、うちらもクラウデラみたいに会社起こせたらいいよね」という話になって。

TECH 大谷:ベランダでの雑談から、トレジャーデータの設立になるわけですね。

TD 太田:私もどうやら「いいっすね」と答えたらしいんですが、あまり記憶がなく(笑)。当時、太田はプリファードインフラストラクチャ、芳川は三井物産ベンチャーに勤めていたのですが、年末くらいに芳川から真剣にビジネスプランを練ろうという連絡をもらったんです。

当時、Hadoopのコミュニティが拡大してくるとともに、デプロイメントにはいくつか問題が出てきていました。実際に導入してみると、なにしろ運用で苦労しているし、Hadoopの技術者もいない。あと、私も大手企業でコンサルティングとしてプロジェクトをやらせていただいたのですが、データの収集にフォーカスしたものがないんです。

この3つの課題に対し、クラウドというモデルで、インフラを提供できれば、いくらでも使い道があるんじゃないのか?と思ったのが、トレジャーデータのビジネスモデル構築のきっかけです。2011年の1~2月くらいですかね。

TECH 大谷:太田さんの場合、すでにプリファードインフラストラクチャでCTOになっていましたが、新会社はどんな会社にしようと思ったんですか?

TD 太田:一言でいえば、“プロダクトカンパニー”を作りたいと思いました。前職のプリファードインフラストラクチャーは学生5人が、資本金30万円で始めた会社です。今では30~40名くらいになっていると思うのですが、VCの資金が入っていません。でも同時期に5名でスタートしたクラウデラは、もう350名くらいになっています。VCから50億ドルとか入って、ビジネスががんがんドライブしている。これを見ちゃうと、やはりプロダクトカンパニーを作るからには、やはり米国の方が土壌が整っていると思ったんです。

簡単に言えば、人、モノ、金があったということです。私は肌感覚だったんですけど、芳川は確信があったんでしょうね。2011年は投資家を探しに10~11回くらい米国行ってました。

(次ページ、お前の会社で30社目だと言われたこともある)


 

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