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ThinkPadの父・内藤在正氏に聞く、“これまでのThinkPad”と“これからの20年” 最終回

ThinkPadはなぜ日本で作られたのか(後編)

2012年12月24日 12時00分更新

文● ASCII.jp編集部、写真・構成●小林 久

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ThinkPadの開発に深く携わり、現在はレノボ・ジャパンの取締役副社長として研究・開発を担当する内藤在正氏に聞く短期集中連載。最終回では低コストな海外での開発に各社が移行する中、レノボはなぜThinkPadの開発を日本ですることにこだわるのかについて聞く

 レノボは2011年に神奈川県大和市の中央林間駅近くにあったThinkPadの開発拠点を、神奈川県横浜市のみなとみらい地区に移転した(関連記事)。レノボは中国の北京などにも開発拠点を持つが、大和研究所の名とともにThinkPadの開発部隊は日本に残した形となる。

 過去2回の記事で見てきたとおり、ThinkPadは日本からグローバルに向けて開発されたプロダクトであるが、コストなどを考慮すれば、今なぜ日本なのか? という疑問も残る。短期集中連載の最後は、やはり「日本でノートブックを開発する意味」を聞かざるを得ないだろう。

大和研究所を日本に置く意味は?

── IBMがPC事業をレノボに売却した後も、ThinkPadの開発チームは日本を拠点としています。開発拠点を日本に持つ意味について、どう考えていますか?

内藤 「昔はね、三洋電機の電池が要るとか、ディスプレーがいるからとかっていう理由で、日本に拠点を置く意味がありました」

遠藤 「要するにパーツメーカーやデバイスメーカーが日本には多かったということですよね」

内藤 「しかし今では、こういう部品メーカーはほとんどが海外進出しているし、海外の顧客にどうやってサービスするかについてもよく研究されているから、日本にいるから特段のメリットがあるわけではないのです」

遠藤 「かつてはパソコンの中を開けると、日本の部品だらけだった。だけど、今じゃ探すほうが難しいぐらいになっている」

内藤 「今や世界はフラットなので、地域的なメリットは乏しい。そうすると何が残るんだろうか、結局人間しか残らない。だから大和を残した。ThinkPad開発のノウハウを蓄積してきた人間が残っているし、それを若手にも伝えていける。それをやり続ける限り、会社も日本に開発拠点を置くことを許してくれるだろうと。

 技術を継承し、次の技術を作っていく姿勢なり実力が大和研究所にはある。この実力だけで持っているという面はありますね」

遠藤 「ヒューマンリソースの中に蓄積されたノウハウや感覚こそが日本に開発拠点を置く意味だということですね」

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