初代IBM PCからThinkPadにいたる思想とは何か
ThinkPadといえば、世界中に熱心なファンを持つIBMの傑作ノートPCであるのはご存じのとおりだ。黒く直線を基調にした高品質なデザイン、仕事の効率を損なわない7段配列のキーボード、カーソルを自在に扱えるトラックポイントは、他PCとは一線を画する魅力がある。このThinkPadは、1990年代のはじめに日本IBMの大和研究所のエンジニアたちによって生み出された。
一方、ThinkPadとほぼ同時に登場したDOS/Vは、IBM製品に限らず多くのメーカーに採用され、我々日本のユーザーのソフトとハードに対する視点を変えさせた。グローバルなハードウェアが、ソフトウェアだけで日本語環境で使えるようになった影響は計り知れない。
8月12日(日)、これらThnkPadとDOS/Vのエンジニアや関係者17名を集めた決定版なイベントが開催される。これは、既報(関係記事「1981年発売の初代IBM PCの未開封品が日本で発掘された」)のとおり、IBMマシンの原点であるIBM PC Model 5150を触ってみようというアイデアがきっかけになっている。
今回は、このイベントを角川アスキー総研と一緒にプロデュースする竹村譲氏に、ThinkPadとDOS/Vの誕生前夜における同氏とIBM PCとのかかわりについて伺う。
遅い、解像度も低い、ドンクサイ、これはやめようと思った
ーー 竹村さんといえば、ThinkPadやDOS/Vの商品企画を担当されたわけですが、パソコンというかIBM PCとの出会いはどんな感じだったのですか?
竹村 僕は、もともとIBMで大型機の関係の仕事をしていたんですが、パソコンは、富士通の「FM-7」のユーザーだったんですよ。その前はポケコンでプログラムを書いたりしていてね。82年暮れに、FM-7が出たとき、タモリがコマーシャルしていましたが速攻で買いに行った。12万8000円(編集注:12万6000円)くらいですよね。
ーー なるほど。
竹村 腰抜かすほど高かったですねぇ。でも、カセットでね。「なんかちゃう、これは」という感じで途中でエプソンのフロッピードライブ買いにいって、また18万円くらい取られて、あっという間に30万円超えるわけです。
-- 当時はそんな感じですね。
竹村 で、84年にIBMが国内でコンシューマ向けのパソコン「IBM PC JX」を発売します。社員なので速攻見にいってデモしてもらったのですが「遅い」。解像度も「低い」。ドンクサイいんですよ。「これはやめよう」と同僚の萩原茂樹さんと二人で話あったのを覚えています。ということで、FM-7からIBMを買わずに98を買いました。
-- 98は何ですか?
竹村 PC-9801F2です。
ーー PC JXは、社販というのはあったのですか?
竹村 ないない。日本IBMが近々それまでに発売していた5550の弟分みたいなホビーユーザー向けのパソコンを発表するときたんですね。
ーー IBM PC JXは、「1984年に日本、オートストラリア、ニュージーランドを含むアジア太平洋地区で販売した、家庭用パーソナルコンピューターである。イメージキャラクターは森進一」とウィキペディアにありますね。タモリに対して森進一ですね。84年といったらIBM PC/ATが発売されて市場の覇権を完全ににぎった時期だと思いますが。
竹村 僕らは当時は関係者じゃないからそんなの分かる由もないわけです。後でわかって僕ら「何で?」となったわけです。普通の感覚でいったらありえない。
-- PC/ATに合わせて日本でも出すべきなのに、わざわざホビー用だと。しかし、日本IBMには日本語マルチステーション5550という製品があったという社内事情があるんでしょうね。
竹村 あとで聞いたらPC-8801に対抗として出したんですね。でも、値段が98クラスでしたもん。
-- なるほど。
君たちは世界を見ていない。だからわかっていないんだ
竹村 それで、帝塚山マイコンクラブで、萩原さんと98用のホストプログラムを作って『日経バイト』に載せる話になった。
-- 帝塚山マイコンクラブって何なんですか?
竹村 その頃住んでいた帝塚山(大阪府大阪市阿倍野区南西部から同市住吉区北西部にかけての地域=ウィキペディアより)の町内会のマイコンクラブですよ。
-- ハイソですね。
竹村 ところが、そのホストプログラムのことが会社に知られて「IBM社員ならIBM PC JX版も出さんかい」と言われた。当時、野洲工場にいたんですけど、ある日、「竹村さん、大きな箱2つきてますけど、パソコンみたいですけど」と言われてみると、5550が2台いきなり届いた。結果的には、5550版を作ることになりました。
-- JXはどうなりしたか?
竹村 社販が始まったので安いからと買いましたよ。そのときに、さっきのプレッシャーをかけてきた人が通信ソフト「ProComm」をくれました。で、それをJXで走らせて見たら腰を抜かすほどビックリ。あれほど“トロい”と思っていたIBM PC JXで、めちゃっスピード早いんですよ。スッゲーな。これマルチウィンドウ開いてとかね。それをソフトをくれた人に言ったら「君たちは世界を見ていない。だからわかっていないんだ」と言うんですよ。で、そうこうするうちに、どっかから分からない話が来て、大和研究所と築地の事業所で「なぜJXを買わなかったかを説明しろ」と言われたんですよ。それは、得意やと、そのとおりやからと、萩原さんとふたりでプレゼン資料を作って行きました。
-- いいですね。
竹村 やがて、東芝からJ-3100が出ました。それを買っていじっていると、98のダサいところが目立ってきたんですよ。パラレルが双方向じゃないとか、シリアルが遅いとか。画面だけが速い。だんだんわかってきた。それで、IBM PCの世界を真面目にやろうと思ったんですね。その後は、NECの「MultiSpeed」を買いました。
-- MultiSpeed、米国で評価の高かったマシンですね。
竹村 本当に秀作のラップトップでね。
-- NECで米国というと超軽量のUltraLiteもすごかったですね。
竹村 これは世界一だなぁと。それで遡ってIBM PCを見るてみると、これはとてもよいマシンなんじゃないか? グラフィックが別になっているとかよく先まで読んである。
-- あれは成り行きじゃないんですか?
竹村 その辺は羽鳥さん(DOS/Vの開発者羽鳥正彦氏)がBIOSを全部見ているからわかると思うんですよね。彼が、ATに漢字で出していたのを最初に見たとき、死ぬほど遅かった。その印象は、JXを見て死ぬほど遅いというのと同じなんですよ。しかし、そういうことはソフトでカバーできる設計になっていると。これからグラフィックボードが進化するから大丈夫だと羽鳥さんは言うわけです。
-- そのあたりは、初代IBM PCまでさかのぼる設計ですね。
竹村 実は、日本IBMではIBM PC JXのあとに80286搭載のAT互換版の次期JXが開発されていたんです。
-- そんなのあったのですか?
竹村 「HUDSON」という開発コードでしたね。
-- 発売されなかった?
竹村 サンプルだけで発売されなかったですね。なんで最初からそれじゃなかったのか? 大和研究所でも侃々諤々だった。そういうことがあったのが、JXやATが出た1年後ですね。
-- 一般のユーザーのほうがあの時期だと感度高かったかもしれませんね。いま必要とされるスペックやニーズという点においてはですが、その1年は大きかったと思います。しかし、企業ユースでは個人が買うようなシビアな目線で見てなかった。
竹村 そうですよね。
-- ところが、世界ではIBM PC、そしてPC/ATが本命という感覚にもうなっていた。私のいた『月刊アスキー』だと1986年10月号がIBM PC特集です。当時、編集部でATをコンピューターランドから買うのですが高かった。僕が稟議書書いたのですが、プリンタとかセットで200万円したと思います。ちなみに、「こちらはいかがですか?」と言われたコンパックなんかもっと高かった。
竹村 そうですよね。5550は、価格的にもソックリなんですよね。
-- すでに、IBM PC互換機が世界中で盛り上がっていましたね。当時は、クローンという表現をすることも多かったですが、さっきのIBM PC特集の記事を見ると、1986年のIBM純正PCの合計出荷台数が260万台、それに対してクローンは200社以上が作っていて250万台と予測されると。日本メーカーも海外でどんどん互換機を売りはじめていましたね。エプソンはかなり売っていたし、東芝やソニーなどPC作れるところはみんなやっていたと言ってもいい。それを受けて、国内ではマイクロソフトとアスキーによる「AX規格」も87年に出てきます。MSXに対してオフィス向けの共通規格としてOAXと呼んでいたものですが、キヤノンやサンヨー、台湾メーカーなども出していましたね。
竹村 国内でみるとJ-3100の存在がやはり大きいですよ。
-- 衝撃的でしたからね。プラズマディスプレイもカッコよかった。それで、ハードディスク内蔵。一説によるとビクター製のHDDは小さなゴムボールをぎっしり敷き詰めた箱に入っていた。
竹村 20Mバイト。とまるときにポトンと音するんですよね。
-- J-3100を買われたときも高かったでしょう。
竹村 同時に、Macintosh Plusも買ったんですよ。
-- さすがIBM社員!
竹村 ローンで死にそうになっていました。両方で120万円ですよ。そのあともT1100とか小さい薄いやつとかいくつ買いました。
-- そして、1989年に東芝からJ-3100SS(Dynabook)が発売される。しかも、A4ファイルサイズで19万8000円だと。これは、完全に時代が切り替わった感じがしましたね。
竹村 日本IBMは、PS/55ノートを1年後くらいに出しました。エプソンとNECが、先にノートPCを出していて、デザイン担当の山崎さん(山崎和彦氏=千葉工業大学教授)と話をして大きさを小さくするしか対抗できない」という結論でA4サイズにしたんですよ。彼らはA4ファイルサイズでしたよね。
-- 前後してDOS/Vもリリースされた。PS/55ノートは、すでに黒い直線を基調とした落ち着いたデザインで、それまでの情報機器とは違うものを感じたのを覚えています。ここから1992年発売のThinkPad誕生に繋がっていくわけですね。
-- 8月12日の登壇者の方々を少し紹介してもらえますか?
竹村 デザインに関しては、いま話の出た山崎さんと帝塚山マイコンクラブにもいらしたプラマークでも有名な富山大学名誉教授の前田一樹先生。
-- とくにデザインは初代IBM PCなどコンピューター全体の中でThinkPadをどう置くかお聞きしたいですね。
竹村 DOS/Vに関しては、これも名前の出た羽鳥さん。ThinkPadについては、220 / 230Cs / 235 / Palm Top PC110を開発した松永克也さんに来てもらいます。キーボードは堀内光男さんですね~。あとアメリカにいたのは加藤徳義さんで、彼に聞きたいのはThinkPad登場の裏あるいは影のお話です。
-- 加藤さんの自己紹介でいただいた資料に「個人でCompuServe IBM ThinkPad Forum立ち上げ、WizOpとして運営、のちに帰国準備と有料会員数5万人突破を機にForum運営をIBMに委譲」とあります。
竹村 初代IBM PCを所有されていた福山敏博さん、IBM以外のJ-3100に関わられていた水居徹さんや当時すでに業界で活躍されていたエイビットの檜山竹生さんにも登壇いただきます。
-- そして、この分野に詳しいお二方のジャーナリストの方々ですね。
『月刊アスキー』の関連記事を抜き刷り冊子にしてプレゼント
8月12日に開催の「UNBOXING THE PC/初代IBM PC開封の儀 ~登壇者17名! 初期のPC、DOS/V、ThinkPad の担当者たちが語り尽くす~」では、『月刊アスキー』のIBM PC関連記事をまとめて、参加者に抜き刷り小冊子「IBM PC Model 5150記事アーカイブ」(16~24ページ予定)として配布予定だ。1981年10月号、1981年12月号、1986年10月号を収録予定。知っているようで知らないThinkPadやDOS/Vにいたるパーソナルコンピューティングの原点についての貴重な資料です。
開催概要
※登壇者の方々(写真のみですが五十音順)
■講座名:UNBOXING THE PC/初代IBM PC開封の儀 ~登壇者17名! 初期のPC、DOS/V、ThinkPad の担当者たちが語り尽くす~
■日時:2018年8月12日(日)12:30 ~ 21:00(12:00 受付開始)
■会場:角川第3本社ビル(東京都千代田区富士見1-18-19)
■定員:75名(予定)
■主催:株式会社角川アスキー総合研究所
■共同プロデュース:竹村譲氏
■スペシャル協力:福山敏博氏
■参加費:6,500円(税込)
※飲み物と軽食を用意しています
■内容:
12:30 開会&会場説明
13:00 PCのデザインとThinkPad
14:00 初代IBM PC開封の儀
14:45 休憩
15:00 DOS/Vいまだから話せること
16:00 ThinkPadといえばキーボード
16:30 ハードウェアとしてのThinkPad
17:30 予備・休憩
18:00 IBM PC endless forever unlimit
19:00 懇親会
■申し込み:
参加登録はコチラから!
==>http://lab-kadokawa59.peatix.com(Peatixの予約ページに遷移します)。
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