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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第52回

「これでやっていける」 配信音楽、一年目の手ごたえ

2011年04月09日 12時00分更新

文● 四本淑三

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何を言っても「スベる」状況下で

―― 最初の地震の時(3月11日)は何をしてました?

まつき ここにいました。そんなに揺れなくて、物が落ちるようなこともありませんでしたけど、実家の様子を見に帰ってみたりはしましたね。

―― ご家族は?

まつき おかげさまで無事です。

―― 震災後にいろんな前提が変わってしまったと思うんですが、今の状況をどう理解していますか?

まつき 9.11が起きたとき、僕は高校生だったんですけど、映画みたいでリアリティがないという言われ方がありましたよね。今回はそういう感じがしない。天災だからテロみたいなストーリーもない。リアリティしかない。すぐそこで、友達もいるような場所で起きた。「AKIRA」みたいな話じゃないんだと。それで3.11の翌日に曲を書いたんです(「3月11日未明.mp3」)。

 直接的か間接的かはともかく震災にリアクトするような曲作りは積極的にしていきたいと思っているし、そうせざるを得ない。それも、情けないですが誰のためでもなく自分のためにって言うのが本音です。今一番しんどい人にできることはほとんどないっていうのをはっきり理解しつつ、それでも作るんです。

「3月11日未明.mp3」(Webサービス「twaud」にアップしたもの)

―― 表現する側としては難しい状況だと思いますけど。

まつき この状況にはそれぞれのスタンスがあると思うんです。それに対して包括的な立場で何かが言える人というのは存在し得ない。いま、震災に対していろんな人が語りたがっているというか、語らざるをえない状況になっているんですが、Twitterなんかを見ていても、言葉は悪いですけど、誰が何を言ってもほとんど「スベる」んです。真面目なことを書いても、アホなことを書いても、何を書いてもスベる。自分で一番感じます。だからこれから作るものは、たとえ目の前の現実を無視したとしても、否が応にもまとわりついてくるわけですよね。個人的にそれを僕は無視したくありません。

―― それは避けようがないですよね。ただ、まつき君のように若いアーティストには重すぎるんじゃないかと思うんですが。

まつき いえ、それはまた別の部分でそんなことはない気がします。例えば「春」を表現するとして、ベテランは何度も春を経験しているかもしれないけど、今年の春は今だけのものですよね。そこに差はないと思うし、だいたいこんな初めて起こった大事に対しての条件はみんな一緒でそれに対してどう生きて行くかの違いだけだと思います。

 僕は過去にこれほど大きなパラダイムシフトを経験してないですが、オウム真理教の地下鉄サリン事件があったとき、アーティストが何を作るか子供ながらに見ていたわけです。単に「みんなでがんばろう」だけじゃないものを。また、個人的な考えを言うと、僕は自分の音楽とチャリティーを曖昧に結びつけず、それは意思や意味を持たせられるふさわしい人に任せておくことにしました。個人として破綻しない範囲で寄付をしながら、自らで変な注釈はつけない音楽を作ろうと思っています。

 繰り返しですが、音楽は誰でもない自分のためにやるものだと思うし。

(次のページに続く)

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