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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第20回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

自分と相手のエンジョイ

2008年10月05日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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エンジョイからエンターテインへ。大公開時代を生きる道


 では、ものごとを「enjoy」できる人は次に何ができるだろう。「enjoy」とは、自分の「joy」を見つけて自分が楽しむこと。英語でも、「enjoy oneself」の形で本人自身が楽しむことを表す。そして、自分が楽しめる人はその楽しみを周囲の人にも発信できるはず。つまり「自分が楽しむ」から「他人を楽しませる」への発展だ。

 それが「entertain」。他者に楽しさをもたらし、その人の気分をよくする。エンターテインできる人がエンターテイナーであり、その行為がエンターテインメントと呼ばれる。この「楽しむ」と「楽しませる」。似て非なるものだ。自ら楽しむエンジョイと他者を楽しませるエンターテインとの間には、実は大きな谷間がある。

 たとえばカラオケとプロの歌手のコンサートとの違いを考えてみよう。カラオケでものすごく上手に歌えるからといって、コンサートを開けるわけではない。なぜならカラオケは、基本的に歌っている本人が楽しむものだからだ。

 歌うことをエンジョイする場であり、自分の歌にある種の自己満足をするアミューズメントだ。周囲の友人たちも一緒にノッて楽しむ場合もある一方、自分が次に歌う曲を探したり、リモコンを操作してその曲を入力している。おしゃべりに興じている人たちもいる。歌い手の自己陶酔につきあってばかりはいないのだ。

 一方、プロ歌手のコンサートであれば、まさか自分が次に歌う曲を探している人はいない。ステージで繰り広げられる歌手の音楽や踊りを全身で受け止めて、ともにエンジョイする。それができるのは、歌手が聴衆を楽しませようとしてくれているからに違いない。歌手のパフォーマンスはエンターテインメントなのだ。

 言い換えれば、エンターテインメントとは他者をエンジョイさせられる表現力のことだ。それはホスピタリティーやもてなす心のなせるワザであり、相手のエンジョイを引き出そうという気持ちや配慮の表れである。いわゆる「サービス精神」がその根底にあると言っていい。


(次ページに続く)

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